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国際人権ひろば No.166(2022年11月発行号)

特集:「性と生殖に関する健康と権利」と中絶

「性と生殖の健康と権利」から見つめ直す 人工妊娠中絶と日本の今

福田 和子(ふくだ かずこ)
ヒューライツ大阪

「性と生殖の健康」とは?

 今から27年前、私が生まれた頃のこと。1994年に開催されたカイロ世界人口開発会議、1995年に開催された「第4回世界女性会議(北京会議)」、そのふたつの会議を通して、世界は大きく変化した。それまで、「生殖」や「出産」は国家にとっての人口や経済に関する問題として扱われてきた。例えば日本でも、戦争に勝つために「産めよ増やせよ」と出産が奨励されたかと思えば、戦後のベビーブームと食糧難を懸念して人工妊娠中絶が実質的に合法化された。それが、2つの会議を通して国際的に確立した「性と生殖の健康と権利(Sexual and Reproductive Health and Rights, 以下、SRHR)」によって、性や生殖に関わる問題は、国家の都合が重視される人口政策の話から、個々人の生活の質、選択、尊厳、権利の話へと、変化を遂げていったのである。
 「性と生殖の健康」は、 WHO(世界保健機関)が「身体、感情、精神、社会的な幸福がセクシュアリティと生殖のすべての局面で実現できていることを指す。単に病気、機能障害、虚弱ではない状態を意味するのではない」と定義している。性や生殖というと、性感染症や妊娠に関連することを思い浮かべがちだが、それだけではなく、こころ、社会的なウェルビーイング、すなわち幸福感や充足感も満たされていることを指す点が重要だ。
 そして、この「性と生殖の健康」の実現を権利として確立するのが「性と生殖の権利」だ。これによって「自分のからだは自分のもの」であることは、私たちのわがままではなく権利であると言えるようになる。すなわち、すべての個人とカップルが、パートナーの選択、性行為、結婚、出産など性に関わるあらゆる事柄に関して、するかしないか、するならいつするか等を自分で決められることを権利として確立したのだ。同時に、自己決定の実現のためにも、「必要な情報、資源、サービス、支援を生涯にわたって得られ、これらに関していついかなる時も差別、強制、搾取、暴力を受けないこと」も含まれている。今ではSRHRはSDGs(持続可能な開発目標)にも明記されていて、「ジェンダー平等を実現しよう」のゴール5においては、「5.6.国際人口・開発会議(ICPD)の行動計画及び北京行動綱領、並びにこれらの検証会議の成果文書に従い、性と生殖に関する健康及び権利への普遍的アクセスを確保する」がひとつのターゲットとされている。

SRHRにおける人工妊娠中絶

 「すべてのカップルと個人が自分たちの子どもの数,出産間隔,ならびに出産する時を責任をもって自由に決定でき,そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利,ならびに最高水準の性に関する健康およびリプロダクティブ・ヘルスを得る権利を認める」という文言を入れた北京行動綱領。しかし当時中絶に関しては、反対派の意見も根強く、あくまで「公衆衛生上の問題」として捉え「妊娠中絶が法律に反しない場合,その妊娠中絶は安全でなければならない」と述べるに止まり、「妊娠中絶への依存を軽減するよう強く求める」など、権利の視点は明記されなかった。しかしその後2010年代後半になると、「中絶の権利」が社会権規約、自由権規約の一般勧告にも明記されるに至った。
 それだけでなく、近年では、人工妊娠中絶を「UHC (ユニバーサルヘルスカバレッジ)」の文脈で捉えるようにもなっている。「ユニバーサルヘルスカバレッジ」とは、「全ての人が適切な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態」を指し、2012年に国連総会で国際社会の共通目標として推進することが議決された。そのUHCにおいて、中絶を含む性と生殖の健康に関連するサービスの提供はひとつの基盤として認識されるに至っている。例えば、カイロ会議から25年を記念して2019年にケニア・ナイロビで開催された「ICPD25+」の会議で採択されたステートメントでは、「予防可能な妊産婦死亡と産科フィスチュラ(瘻孔)などの妊産婦罹患をゼロにする。それは、性と生殖の健康の包括的な介入パッケージを、UHC戦略・政策・プログラムに統合することで実現する。性と生殖の健康の包括的な介入パッケージには、法の許す限りでの安全な中絶と、中絶の予防、回避のための措置と中絶後のケアの提供を含む。それによって、全てのひとのからだの保全、また、自律性の権利と生殖の権利を守り、保障する。同時に、それらの権利に則った必須サービスへのアクセスの提供も実現する。」と表記された。

「私のからだは私のもの」って言えますか?

 このように、私たちのからだをめぐる権利概念は年々変化し続けているが、果たして、日本の状況はどうだろうか?
 ここでは中絶もさることながら、日本におけるSRHR全体を振り返ってみたい。
 まず情報提供として重要な一端を担う性教育はどうだろうか。世界では生物学的なことだけでなく人間関係やこころのこと、性の多様性など、人権とジェンダー平等をベースに幅広い内容を扱う「包括的性教育」が一般的になりつつある。一方日本では、「制服」や「女子高生」にすら大人からの性的視線が溢れる社会にもかかわらず、「寝た子を起こす」からと性教育はタブーにされたまま、自分のこころやからだ、人生プランを守るための最低限の知識を教えてもらえない状況が続いている。
 なんとか知識を得て信頼できる大人やより確実な避妊法にアクセスをしようとしても、そこには値段や偏見が立ちはだかる。避妊法を無料とする年齢をフランスが21歳から25歳に、スウェーデンも18歳から21歳に引き上げるといった動きが見られる中、日本では、病気ではないことを理由に一切の公的負担は存在しないままだ。結果として日本での避妊法はコンドームのみが最も一般的だが、破損なども考慮すれば、アメリカCDCは1年に100人の女性が使用した場合、13人程度が妊娠するとしている。


no166_p8-9_img1.jpg筆者も参加したナイロビで開催されたICPD+25の写真。
現地は若いアクティビストの参加も多く、熱気に溢れていた。


 そのように、避妊の失敗は比較的起こりやすい状態にある中で、避妊失敗の際のバックアップとして使用可能な緊急避妊薬は、処方箋が必要で、値段も1万円前後と高額だ。ちなみに海外では90ヵ国以上で処方箋の必要なく薬局で購入でき、若者には公的負担で無料になることも多く、2022年9月、フランスでは年齢にかかわらず緊急避妊薬は無料にすると発表したばかりだ。
 そういった情報や避妊へのアクセスの不足によって、子どもを育てられない状況で妊娠をしたとして、人工妊娠中絶を選択しようとすると、日本では法律上配偶者の同意が必要となる。しかも、実際には結婚しておらず配偶者が存在しない場合でも、パートナーや親の同意を求められることがある。値段も高額で、中絶の方法も、母体に負担が少ない中絶薬の承認はなく、子宮を傷つける恐れなどもあるためにWHOがやめるように勧告する掻き出すタイプの中絶方法「ソウハ法」を使う病院が今でも存在している。アメリカでの中絶が権利として保障されなくなったことに戦慄する報道は日本でも少なくないが、日本でも安全な中絶へのアクセスがあるとは言えない状況だ。
 一方で、出産をしたいが、周りに打ち明けるのも育てるのも難しいとなれば、例えば熊本県慈恵病院では産んだ赤ちゃんを預けられる「こうのとりのゆりかご」や、匿名性を保持する形で安全な環境で出産に望める匿名出産といった仕組みづくりをしている。しかし国の制度として考えようとすると「子捨てを助長する」と批判が上がり、議論が進まずここまできた。
 そういう中で、誰にも相談できないままに一人出産をすれば、母子の安全が守れないことはもちろん、最悪の場合0ヶ月0日の虐待死につながってしまう。ちなみに、日本の子どもの虐待死の中で最も多いのは、0ヶ月0日、生まれたその日に亡くなってしまうケースだ。そして、妊娠はひとりではできないはずなのに、逮捕され非難されるのはいつも女性ばかりという現実がある。
 そういったことは顧みられることもないまま、「少子化は最大の国難」として、出産を奨励する言説に溢れ、出産をしない女性を責める発言をする政治家はあとを絶たない。これではまるでSRHR確立前の世界が続いているようだ。
 「私の子宮は、からだは、人生は、誰のもの?」
 「もちろん、私のもの!当然でしょ?」そう言える日本社会、すなわち、SRHRが十分に浸透しきった日本社会の実現への道のりは、まだまだ長い。