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国際人権ひろば No.163(2022年05月発行号)

特集:人権と民主主義への課題-中国、ミャンマー、アフガニスタン

アフガニスタンを再び歴史の闇に葬ってはならない

谷山 博史(たにやま ひろし)
日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問

タリバーン復権の意味

 2021年8月15日にタリバーンがアフガニスタンの首都カブールを陥落させ政権に復帰してから7カ月が経つ。世界に衝撃を与えた現代史の大事件であるにもかかわらず、メディアが大きく取り上げたのは1カ月足らずでしかなかった。原稿を執筆している現在はウクライナへのロシアの侵攻にメディアが占領されてしまったかの感がある。アフガニスタンは再び忘れ去られてしまうのであろうか。
 この政変に際して日本を含む各国政府は当初、メディア報道と調子を合わせるようにタリバーン政権による人権抑圧への懸念表明に終始していた。しかし、この事変の重大な意味は別のところにある。まず世界を驚愕させたタリバーンによるアフガニスタン全土制圧がなぜ可能だったかということである。世界最強の軍隊をもつアメリカが駐留し、20年にもわたる対テロ戦争でタリバーン殲滅(せんめつ)作戦を展開してきた。また米軍が訓練し、かつ支援するアフガニスタン国軍はタリバーンより遥かに強大な兵力をもっていた。
 次にアメリカ軍の撤退の意味である。アメリカは、2020年2月のトランプ元大統領とタリバーンとの合意に基づいて撤退したと言う。しかし、米軍が撤退すればアフガニスタン国軍だけでは守り切れないと分かっていたはずである。それにもかかわらず予定より早く撤退を実行した。この撤退はアメリカの敗退であり、かつ同盟国のアフガニスタン共和国政府を見捨てたことを意味する。
 さらに付け加えると、タリバーンによる人権抑圧は許してはならないと欧米や日本の政府とメディアは口をそろえて主張する。しかし、対テロ戦争下のアフガニスタンで人権侵害はなかったのか。人権侵害の最たるものは多くの民間人を死傷させたアメリカの軍事行動と超法規的な家宅捜索、逮捕、拷問であった。また、タリバーン復帰前にも農村部では女性の教育は制限されていたし、男性の同伴なく外出しないという慣行も残っていた。女性が全身を覆うブルカを着用することは普通に見られる光景であった。

タリバーン政府の閣僚人事とアフガニスタン制裁

 2021年9月8日、タリバーンは暫定政府の閣僚人事の一部を発表した。暫定副首相の一人に安保理制裁対象のムラー・モハマッド・アフンドがおり、内相に強硬派のハッカニ・ネットワークの指導者でアメリカが指名手配しているシラジュディン・ハッカニがついた。ハッカニ・ネットワークの幹部が他にも2人閣僚に入っている。一方でタリバーンの実質的な指導者とも言われ、穏健派で国際社会にもネットワークを持っている前ドーハ事務所の責任者のアブドゥル・ガニ・バラダルも暫定副首相に就任している。
 この人事でタリバーン政権のその後の政策はある程度予想できるものになった。すなわち強硬派と穏健派との間の綱引きによって、政策が揺れる、あるいはなかなか決まらないということである。タリバーンにとっての最大の課題は国際社会の国家承認や支援を取り付けることである。一方でタリバーンが掲げるイスラム法に則った統治というドグマをいかに維持し政策に反映させるかという課題もある。欧米や日本などは、タリバーン政権が教育の権利をはじめとした女性の権利を認め、民族横断的な政府をつくらない限り国家承認をしないと言っている。この両方を天秤にかけながら国際社会の出方を見計らうという綱渡りがしばらく続くであろう。
 女性の教育を例に見てみよう。現タリバーン政権は1996年の第一次政権のときほど抑圧的ではないことが女性の教育政策に現れていた。すでに2021年9月の時点で北部3州やバーミヤン州で12年次までの女子学校の再開が認められた。大学で女性の授業も一部再開した。また、ナンガルハル県では私たちの団体JVCから独立し活動の後を継いだ現地NGO、Your Voice Organization(YVO)が女性の識字教育活動を再開し、女性の教員も働いていた。
 タリバーン政府はゆくゆく全国で女子学校を再開するとしていたが3月23日、突然6年次以上の女子学校の再開を延期すると発表した。この発表に対して国内各層と国際社会は強く反発している。国際社会による国家承認が遠のいたことは間違いない。タリバーンはなぜこのようにリスクを招く重大な決定をしたのか。国内にとどまる何人かのアフガニスタン人に聞いてみた。元から女子教育を認めるつもりはなかったという人もいれば、政策が迷走しているという人もいる。私は後者だと見ている。政権内の力関係が女子教育自由化の流れを引き戻す方向に働いたと考えられる。


no163_p8-9_img1.jpg2021年10月、ナンガルハル県での政府とNGOの会議(提供:YVO)


アフガニスタン対テロ戦争とはなんだったのか

 ここでアフガニスタン対テロ戦争を振り返る必要がある。タリバーン政府を出現させた意味とタリバーン政権の性格が見て取れると思う。
 アメリカはアフガニスタン対テロ戦争を通常の戦争ではなく講和なき戦争として始めた。すなわち国際法を無視した戦争であり、出口のない戦争だった。アメリカが「テロリスト」と名指したタリバーンを殲滅するために「住民の中で戦う戦争」を行ったため、無数のタリバーン兵を殺したと同時に何十万人という民間人の犠牲者を生み出した。国際シンクタンク、SENLIS評議会の2006年レポートにあるように、アフガニスタン人の間に「外国軍は自分たちを攻撃する」、 「タリバーンは抵抗戦争を戦っている」という意識が醸成されていった。米軍に対する報復感情がアフガン人の間に生まれ、多くの若者がタリバーンに参加していった。
 加えて、アメリカは何度か訪れた和平の機会を拒否し続けた。大きなターニングポイントは2007年、アフガニスタン政府と国連がタリバーンとの和平に舵を切ろうとしたときである。カルザイ大統領や国連は和平を模索し、タリバーンとの交渉を始めようとした。しかし、アメリカはこの和平の試みを潰し、米兵の増派まで行っている。その後、タリバーンはみるみる勢力を拡大し、勝利が視野に入ってきたため対話のインセンティブは失われていった。国際シンクタンクICOS(International Council on Security and Development)の2008年レポートでは、2008年の時点でタリバーンの影響力はすでに全土の72%に及んでいた。勝てる戦争でタリバーンを和平交渉の席につかせるのは難しかったのである。先に触れた2020年のアメリカとタリバーンとの合意はアメリカ軍撤退のための合意であって和平の合意ではない。アフガニスタン政府も合意には参加していない。タリバーンはテロリストとして虫けらのように殺され続け、20年間もの死闘の末政権の座についた。つまりタリバーンはまだ戦時体制から抜け出せていないのである。この上さらに国際社会から追いつめられれば、政権内の強硬派が力を伸ばすことは目に見えている。

国際社会はいま何をすべきか

 一方、アフガニスタンの人たちの置かれた状況は厳しさを増している。アフガニスタン政府の1兆円あまりの銀行資産はアメリカによって凍結されている。医療をはじめ社会インフラは破綻の危機にあり、医療従事者の給与も最高裁判所職員の給与すら払えない状況である。加えてかつてないほどの干ばつの被害によって食料不足が深刻化している。2,300万人が飢えに直面し、国民の95%が十分な食料を得られていない。1,000万人の子どもが緊急の食糧援助を必要としていると国連は報告している。
 そんな中で日本政府は2021年10月に65億円、12月に110億円の緊急無償資金協力を行うことを決めた。3月31日にジュネーブで開催されたアフガニスタン支援ドナー会議では44億ドル(約4,800億円)の緊急アピールがなされていることを考えると、前政権時の20年間で7,600億円を支援した最大のドナー国としてはいかにも控え目な支援と言わざるを得ない。日本のNGOも一部人道支援を始めているが、出足は遅い。現地で今も農村部を含めて活動しているアフガニスタンのNGOと連携することで必要な人に届く援助が可能なはずである。
 最後に強調しておきたいことがある。国際社会はタリバーンを孤立させてはならない。今必要なことは人道支援と同時にタリバーン政府との対話による信頼醸成のパイプ作りである。そして日本に期待されることは周辺国や欧米を巻き込んだ包括的な和平の仲介役を果たすことである。合わせて、アフガニスタン対テロ戦争が歴史の闇に葬り去られる前に、その闇を照らし出す検証が必要である。