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国際人権ひろば No.156(2021年03月発行号)

特集:アウティング-「暴露」「さらし」を考える

一橋大学アウティング裁判から考える 暴露行為の被害の本質

南 和行(みなみ かずゆき)
弁護士 なんもり法律事務所

 一橋大学アウティング裁判の経緯と概要

 2015年8月24日、東京の一橋大学の法科大学院に在籍する男子学生が、授業中に教室のある建物から転落し、救急搬送先の病院で亡くなった。地元からかけつけたA君のご両親に大学関係者らは「A君は実は同性愛者で、同性愛を苦に自殺した」と説明した。

 しかし実際は違った。亡くなる2ヶ月前、夏休み直前の試験期間のある日、A君は、クラスメイト同士のLINEグループで、とある同級生から同性愛者であることを暴露された。A君はその後、定期試験も追試で受けなければならないほどの心身の不調になり心療内科に通院した。そしてA君は夏休みの間、心身の不調を抱えつつ、この暴露行為について、加害者への指導や対応を求め、ロースクールの教授や大学のハラスメント相談室に相談をした。しかし特に大学から積極的な対応がされることはなくA君は8月24日に亡くなった。その日は、夏休み明け1日目で朝から必修科目の「刑事模擬裁判」の授業で、A君は暴露行為の加害者と顔を合わせていた。

 A君のご両親と妹さんは、A君が遺したパソコンのデータからこれらの事実を知った。A君自身が、暴露行為そのものであるLINEの画面のスクリーンショット画像、暴露行為の経緯とその苦しさについての説明、教授やハラスメント相談室への相談のやりとり等を、わかりやすいデータの形で整理し保存していたのだ。

 またA君のご両親と妹さんは、パソコンの中に生前のA君から相談を受けていた私が「大学がきちんと対応すべき問題」と書いてあるメールを見つけて連絡をくれた。そして、私はA君のご両親の代理人として問題を放置した一橋大学の責任を問う訴訟を2016年3月に提起した。

 しかし2019年2月27日にされた東京地方裁判所の第一審判決も、2020年11月25日にされた東京高等裁判所の控訴審判決も、一橋大学の責任を否定しA君のご両親の請求を退けた。A君のご両親が上告しなかったので控訴審判決が確定している。

 なおこの訴訟は当初は暴露行為の加害者も被告としていたが、第一審の証人尋問前に加害者との間では和解が成立したため、判決における争点は一橋大学の責任の有無に絞られていた。

 なぜ一橋大学の責任は「ない」のか

 第一審判決は、ハラスメント相談室の相談員や、相談を受けたロースクール教授ら大学関係者らの対応は、A君自身の言動に応えるものであり落ち度はないとした。たしかにA君はハラスメント相談室の相談員や教授に対して、概ね冷静で礼儀を欠かないメールを送り、ときには「相談して楽になりました」という趣旨の文言まで添えていた。しかしこれはあくまでも表面的な言葉の問題である。

 第一審判決の枠組みに沿えば、大人の対応ができる冷静な被害者ほど自己責任とされ、デリケートな問題に気付かない鈍感な組織ほど責任が軽くなってしまう。そもそも第一審判決は、同性愛の暴露行為がそもそもA君のいかなる権利を侵害するのか、A君が受けた被害の実情について一切の言及がなかった。

 控訴審で私たちは、求められるべき被害対応やケアの程度は、個別の被害の実情に応じて判断されるべきであり、本件について同性愛を暴露されるという被害の本質を一切考慮しない一審判決は誤りだと主張した。そして一橋大学の責任の有無は、A君から相談を受けた大学関係者らが認識した情報に基づいて、大学が組織としてA君の被害をどのように理解し対応をしたのかにより判断すべきと主張した。

 控訴審判決は、第一審判決が無視をした暴露行為について「A君がそれまで秘してきた同性愛者であることをその意に反して同級生に暴露するものであるから、A君の人格権ないしプライバシー権等を著しく侵害するものであって、許されない行為であることは明らかである」としてこれが不法行為であることを明言した。

 その上で控訴審判決は、暴露行為後のそのときどきの場面で、大学関係者が認識した情報と大学としての対応の実際を、第一審判決よりは踏み込んで詳細に分析し、一橋大学の法的責任を否定した。

 私は控訴審判決の結論は残念で悔しくてならないが、暴露行為後の時間経過に沿って、それぞれの場面での大学の対応を分析的に検討する判決内容については、控訴審裁判所の裁判官が、暴露行為の被害の本質を理解したことが顕れていると受け止めている。

 暴露行為によって強制的に「暴露された後の状態」が日常になること

 第一審の裁判所や一橋大学は、暴露行為の被害の本質を全く理解していなかった。一橋大学は、A君から相談を受けていたロースクールの教授がほかの教職員への情報共有として送ったメールを裁判の証拠として提出したが、そのメールで当該教授は「A君の気持ちが落ち着くことを期待するしかないと思います」と書いている。要するにこのメールは、A君の苦しみはA君自身が「時間薬」で元気になるしかない自己責任の一過性トラブルであるという認識を示す内容である。

 しかし暴露行為の苦しみは「時間薬」で治癒する類いのものではない。暴露行為により日常生活は強制的に「暴露された後の状態」となってしまう。いくら時間を重ねても「暴露される前の日常」には戻らない。そして暴露による情報介入で、それまでの人間関係の変質や破壊が余儀なくされる。組織や集団における自分自身の立ち位置や「キャラクター設定」は変更を迫られる。

 「聞かなかったことにする」のは嘘のフィクションが嘘で、本当はみんなが事実を知っている。「私は気にしない」という心ある友人の言葉すら、これまで気にして隠してきた自分自身への非難のようにすら思われる。「気にせず胸をはれ」などというのは、自分で自分の属性を「気にすること」と意味づける自由を奪う二次的な暴力だ。A君もメールの中で書いていた「いつか自分のタイミングで言いたかった」という言葉のとおり、それは将来にわたる自分の人生のコントロール奪う暴力なのだ。

 一橋大学は、「時間薬」に期待するという教授のメールを、大学が適切な対応をした証拠として裁判に提出した。そして第一審判決は、このメールがあるにも関わらず「本件アウティングについて矮小化してその重大性をロースクールの教職員の間で共有しなかったということはできない」と認定した。

 この点、控訴審判決は、一橋大学は8月24日により先に、組織として暴露行為の存在やA君の体調不良について情報共有していたのだから、8月24日の刑事模擬裁判の授業を前にA君に積極的に「体調等を尋ねるなどの措置を採っていれば」、刑事模擬裁判の授業で「A君が加害者と接触しないようにするためのさらなる工夫をすることができたのではないかとも考えられる」として、A君の危険行動を回避できた可能性を示唆した。

 控訴審判決は、ただ一橋大学がそのような積極的対応をすることは「望ましい行動であったとはいえるにしても、当不当の問題を超えて、一橋大学に課せられた法的義務であって、それをしなかったことが安全配慮義務に反する違法なものとまでいうことは困難である」といい、一橋大学の法的責任は否定した。

 そこまで踏み込んで対応することは法律上の義務とまではいえないが、ただ現実の対応として大学側には踏み込む余地はもっと十分にあり、それをしていれば「A君を助けることができたのではないか」というのが、裁判官自身の人としての率直な受け止めだったのではないか。

 4年間にわたる一橋大学アウティング裁判は、継続的に広く報道され、世の中に「アウティング」という言葉が浸透するきっかけとなった。私は、裁判のためとはいえ、自分自身が生前のA君とやりとりした何往復かのメールとLINEを読み返すたび、A君への申し訳なさが募った。

 裁判を支援してくださった皆さんには、感謝の気持ちばかりです。本当にありがとうございました。