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国際人権ひろば No.152(2020年07月発行号)

特集:国籍って何ですか?

グローバル時代に求められる国籍法とは

仲 晃生(なか てるお)
弁護士

日本の国籍法制と複数国籍

 今や海外に活躍や生活の場を求める日本人が珍しくない時代だ。国際移住や国際結婚の結果、家族関係が国境を越えて広がることもまれではない。通信技術や航空網の発達は、海外に出た人たちが母国の親族らと緊密なつながりを保つことを容易にしてきた。

 国境を越えて暮らす人が増えれば、一人のひとが複数の国籍をもつ状態(複数国籍、multiple nationality)も増える。ある国がどういう人に国籍を与えるかはそれぞれの国が決めることで、よその国は干渉できないから、自国民が外国籍を付与されることをどの国も防ぎようがないからだ。

 この「複数国籍」の状態を、日本では「重国籍」と呼ぶことが多い。「重婚」をイメージさせかねないその字面と響きのせいか、道徳的に良くないものだとする認識が根強く残っているように見える。しかし、「複数国籍」は道徳とは無関係な法律上の状態にすぎない。

 第2次世界大戦後、複数国籍の人が増えても実害は生じないこと、弊害のおそれも容易に回避できることが明らかになってきた。その一方で、複数国籍を肯定することが個人のアイデンティティー保護や移民の社会的統合の点で好ましいとの認識が広まってきた。複数国籍を肯定する国は増え続け、外国に行ってその国の国籍を取得した人が元の国籍を保持できる制度を持つ国は2011年には世界の72%以上、2018年末には75%に達している。

 意外かも知れないが、日本の国籍法も1984年の改正で複数国籍の肯定に舵を切っている。それまでは父親が日本国籍の場合しか子どもは日本国籍を与えられなかったが(父系血統主義)、母親からも日本国籍が与えられることになった(父母両系主義、2条1号)。外国国籍のみを有する子が、日本国籍の父の認知を受けて法務大臣に届けた場合(3条1項)や、日本国民の子なのに国籍留保届がされず外国籍のみとなった子が、一定の条件を満たして法務大臣に届け出た場合(17条1項)に、日本国籍を取得して複数国籍となる制度が設けられた。また、日本への帰化一般について、事前に原国籍の離脱ができない国の国民は、原国籍を離脱しなくても帰化できる制度が設けられた。こうして複数国籍が一気に増えることになり、その解消は本人の意思を尊重してなされることとされた。

 このときの改正で、法務大臣が複数国籍の日本国民にどちらの国籍を選ぶかの「選択」を「催告」でき、「催告」されても期間内に「選択」の宣言をしない者の日本国籍はなくなるという規定が設けられた(国籍法15条)。この規定と特に「選択」という言葉のせいで複数国籍は禁止されていると考えている人が多いようだ。しかし、法律の内容をみると、日本の国籍を選択するとの宣言(14条②。2019年、大坂なおみ選手が行い話題になった)をすれば、両方の国籍を維持できる仕組みになっている。実際の運用を見ても、複数国籍の日本国民は2018年で92万5000人に上るというのに(法務省推計)、「選択」の「催告」が行われたことは一度もない。人権への配慮と、おそらくは憲法22条2項とが「催告」を封じ込めている。と言うのは、いったん催告してしまえば催告された側の対応次第では本人の意思に反してでも日本国籍を失わせることになるが、そのような事態は、複数国籍の人に日本国籍を離脱する自由(とその反面としての離脱しない自由)を保障する憲法22条2項に反すると考えられるからだ。

 そもそも国は、これほど多くの人が複数国籍になっているのに、複数国籍の防止・解消を重要な政策課題としたこともない。

国籍はく奪条項違憲訴訟とは

 ところが、日本の国籍法にも、複数国籍を徹底的に否定する規定が一つだけ残っている。外国に帰化した人の日本国籍を、日本国籍を離脱する意思の有無にかかわらず、一律かつ自動的に失わせて複数国籍の発生を防止する11条1項(国籍はく奪条項)だ。

 外国で暮らす日本国民が、外国での生活の安定や活躍の機会を得るために住んでいる国の国籍を望み、日本とのつながりを大切に持ち続けているがゆえに日本国籍の保持を望む。これは人としてごく自然な願いだろう。しかし、国籍法11条1項はその願いを否定し、どちらか一方だけを選べと迫る。残酷で暴力的な規定だ。

 この規定は、もともと国民が国家に従う「臣民」に過ぎなかった明治憲法下の1899年に、複数国籍防止を目的として設けられた。それがなぜか、国民主権、基本的人権尊重、「個人の尊重」を基本原理とする新憲法が制定された後も、新憲法に合うかどうかがまったく検討されないまま残ってしまい、今に至ったものだ。

 19世紀末のそんな法律が21世紀のグローバル社会に合うはずがない。

 2018年3月、欧州在住の原告8名が、この国籍はく奪条項(国籍法11条1項)は違憲無効であるとして東京地方裁判所に訴訟を起こした。住んでいる国の国籍を取得している6名は日本国籍を持っていることの確認を、これから取得しようとしている2名はその国の国籍を取得しても日本国籍をはく奪されない地位にあることの確認を、求めている。

 主な争点は、① 複数国籍発生防止を理由とする日本国籍はく奪が現憲法下で許されるのか、② 外国籍を志望して取得した場合のみ複数国籍を徹底して防止することが平等原則(憲法14条)に違反しないか、の2点だ。

 順に説明すると、まず日本国籍のはく奪は、① 主権者としての地位を国民から奪い、国の統治の正統性の源を損なう重大事であり、しかも、② 現憲法の目的とされる基本的人権保障の土台を根こそぎ奪い去る。さらに、③ 立法その他の国政の上で最大の尊重が求められる幸福追求権(憲法13条)や日本国籍を離脱しない自由(憲法22条2項)等を直接に侵害する。このように重大で深刻な結果を生む日本国籍はく奪を、実害が報告されたこともない複数国籍の発生防止を理由に正当化できるのか。

 次に、日本の国籍法で複数国籍が生じるのは、① 国際結婚や国際養子縁組などの結果、外国籍を自動的に与えられて複数国籍になる場合、② 生まれたときに複数国籍になる場合、③ 認知を受けた外国人等が日本国籍を取得して複数国籍となる場合、④ 外国人が日本に帰化して複数国籍になる場合である。これらの原因で複数国籍となった人には、国籍選択の機会があり、最終的に複数国籍を保持することができる。一方、外国に帰化した日本国民は、国籍法11条1項さえなければ上記①②③④の人と同じ扱いを受けられるのに、国籍法11条1項によって日本国籍をはく奪され、国籍選択の機会はもちろん日本国籍を保持する機会もない。この区別に合理性はあるのか。

 東京地裁での審理は最終段階にさしかかっており、判決は2020年中と見込まれている。

グローバル化時代に国籍法に思うこと

 私が国籍法に関心を持つようになったのは、今回の訴訟提起の相談を受けるかなり前、南米にルーツを持つ子どもたちを支援する活動に関わっていたときのことだ。子どもたちが自分のルーツを隠し否定しようとするのを見て、そんな状況に子どもたちを追い込む日本社会はおかしいと感じた。子どもたちが自分のルーツを否定しないですむよう、多様なルーツがそのままで尊重される社会に変えていかなくてはと考え、そのための取り組みの一つとして複数国籍を肯定するための国会請願活動に関わるようになった。それが縁となり、今回の訴訟を担当することになった。

 在日外国人支援に関わっていると、異国で外国人として暮らすときに受ける制約の大きさや、外国(日本)の国籍を取得できるまでの道のりの長さと困難とを痛感させられることが少なくない。国籍法11条1項は、そうした困難を乗り越えて、原告らの言葉を借りれば「幸運」にも恵まれて、外国国籍を取得できるところまでたどり着いた在外日本国民に「日本国籍か居住国の国籍か」の二者択一を迫る。つくづくナンセンスな規定だと思う。

 国籍法には11条1項以外にも様々な問題がある。例えば、日本国籍取得のために母国の国籍の放棄を強いられる人がいたり(5条1項5号)、無国籍が生じたり、国籍法が原因となって、個人の尊重や人権保障とは正反対の結果が多数生じている。

 外国籍住民がますます増えていくことが想定される今、国籍法についてあらためて検討すべきではないだろうか。