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国際人権ひろば No.148(2019年11月発行号)

特集:国際人権規約批准40年目の日本社会

国際人権規約は日本社会に何をもたらしたか

丹羽 雅雄(にわ まさお)
弁護士

国際人権規約が国際連合総会で採択されるに至る前史

 第二次世界大戦は、ナチズム、ファシズムといった差別・排外的な全体主義によって、著しい人権侵害や甚大な生命侵奪を強いた戦争であった。戦後、国際社会は、国際連合を推進役として、この悲惨な戦争の歴史を踏まえ、「戦争は最大の人権侵害であり、すべての人間の尊厳と人権尊重こそが世界平和の基礎となること」を確認した。国連総会は、1948年12月10日、自由権、参政権及び社会権の三種に大別された30の条文からなる「世界人権宣言」を採択した。世界人権宣言は、前文において、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する」とし、第1条で、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」と唱っている。世界人権宣言は、法的拘束力のある条約ではないが、戦後人権思想の世界的普及とすべての人々の人権意識の向上、定着化に多大な役割を果たすことになった。

戦後日本の人権状況と国際人権規約の批准

 ポツダム宣言を受託して敗戦を迎えた日本は、1947年5月3日、日本国憲法を施行した。日本国憲法は、最高法規であり、最高価値を個人の尊厳の尊重を基礎とする基本的人権に置いている(97条、98条、13条)。しかし、基本的人権の享有主体は、日本国籍を有する者と解釈し、旧植民地出身者とその子孫に対しては、行政通達によって日本国籍を喪失(1952年4月28日)させ、他の外国人とともに出入国管理法制度の対象とした。しかし、国連に寄託した日本国憲法の英語正文は、個人の尊重(13条)、法の下の平等(14条)、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)などの享有主体は、「All of the people」「All people」とされている。

 戦後日本社会は、外国人を管理することを主眼とする出入国管理法制度しか存在せず、外国人・民族的少数者の人権に関する法整備がなされてこなかった。また裁判所は、差別的な法律や行政政策(国籍条項)について、いずれも「合理性」があるとの判断を行い、「市民社会」においても、日本は単一民族社会であるとする神話的意識が拡大し、外国人の権利制限を容認してきた。1978年10月4日、最高裁大法廷は、アメリカ国籍のマクリーンが在留期間の更新不許可処分を争った事件において、「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」としたが、他方で「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない」とも判断した。

 翌1979年6月21日、日本国は、「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」、「市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」を批准した(同年9月21日発効)。この国際人権規約(社会権規約、自由権規約)は、世界人権宣言を法的拘束力のある二つの条約として具体化したものであり、日本が初めて批准した人権条約であった。

国際人権規約の主な内容

 国際人権規約は、植民地支配を受けた発展途上国の影響(1955年4月のバンドン会議など)を受けて、社会権規約と自由権規約の第1条に、「すべての人民は、自決の権利を有する」とし、民族自決の権利を重要な人権としている。

 自由権規約は、第2条1項において、「締約国の領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し(下線は筆者)、人種、皮膚の色、性、言語、宗教…出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保する」と規定し、「他の地位等」に国籍を含ませている。自由権規約は、伝統的な自由権を中心に、生命に対する権利(6条)から民族的少数者の権利(27条)に至るまで、日本国憲法には包摂されない多くの実体的権利を保障し、締約国に即時実施する義務を課している。

 社会権規約は、第2条1項において、「締約国は規約上の権利の完全な実現を漸進的に達成するために行動をとることを義務づけられる」として、発展途上国の国内事情などを考慮している。社会権規約は、すべての者の権利として、労働する権利(6条)、社会保障の権利(9条)、相当の生活水準の維持と飢餓から免れる権利(11条)、教育への権利(13条)などが規定されている。社会権規約は、「漸進的達成」が義務とされていることから、立法や行政の裁量が広いとされて来た。しかし近時は、生存権保障(11条)は人間の生存と尊厳にとって基本であり中核的権利であるとして、差別の禁止(2条2項)とともに直接的義務であり、司法審査に服するとされている。

国際人権規約の日本での実施状況

 国際人権規約の日本発効と1981年の難民条約の加入は、日本社会における基本的人権法の大転換をもたらした。国際人権規約の批准は、憲法第98条2項により国内法としての効力をもち、憲法に次ぐ法規範であり、国会制定法よりも優位となる。しかし、国際人権規約の批准後も、裁判所、国会、行政機関は、一部の法改正があったものの大きな法的転換を行うことはなかった。

 このような状況下、日本弁護士連合会は、1988年11月5日、国際人権に関する「神戸人権宣言」を発出し、「人権侵害の絶滅のためには、国際人権規約や諸条約の完全な実施と、人権の国際的保障体制の確立が今、必要とされている」と宣言した。また、1996年の人権大会では、「法廷に活かそう国際人権規約」をテーマとするシンポジウムを開催し、法廷での国際人権規約を始めとする人権条約の実践的援用を進めている。

 裁判所においても、受刑者接見妨害事件、アイヌ先住民族のダム建設に関する事件、入店拒否事件、ヘイト・スピーチ事件などにおいて、国際人権規約などを直接又は間接に適用する判決が出されている。私自身も、戦後補償、在日高齢者無年金、朝鮮学校生徒の高校無償化除外、琉球人遺骨の返還、退去強制処分取消、生活保護の切下げなどの裁判において、国際人権規約などを援用する国際人権訴訟を行っている。

未来を担う子ども達のために、社会のすみずみに国際人権の灯を更に輝かせよう

 1993年6月に開催されたウィーン世界人権会議は、171ヵ国の国家代表、国際機関、約1500のNGO代表が参加し、20世紀末の世界で最も正統性の高い人権思想が表明された。普遍的・生来的な人権の保護と促進は、すべての国家の普遍的義務であること、すべての人権は、不可分かつ相互依存的であること、あらゆる差別の撤廃と女性の人権保障が優先目標であること、民族的少数者や先住民族、移民・難民の権利保障などが取り上げられ、NGOの役割を高く評価し、メディアの関与を奨励した。1995年に開催された世界女性会議(北京会議)では、性と生殖に関する権利、女性に対する暴力など包括的・複合的に考察する視座の重要性が確認された。

 また、2001年8月の「人種差別、外国人排斥及び関連不寛容に反対する世界会議(ダーバン会議)」では、植民地主義が、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらしていること、「寛容、多元主義および多様性の尊重が一層の包摂的社会(共生社会)を生み出すことができる」と宣言され、国際人権法は、確実に発展している。しかし他方、21世紀に入り、イラク戦争などが起こり、日本を含む世界各地で、貧困の連鎖や自国民優位の差別・排外主義、ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライムが台頭し、「人権思想のゆらぎ」が生まれている。

 国際人権規約に示された人権思想と価値は、虐げられた人々が血を流して築き上げた「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である。私達は、未来を担う子ども達のために、国際人権の灯を更に輝かすための更なる努力が必要である。そのためには、国家機関や地方自治体のすべての業務、メディアや企業、NGOを含むあらゆる中間団体の活動、そして「市民社会」のすみずみの領域において、国際人権思想と価値を意識化し行為規範としなければならない。そして、人権侵害や差別に苦しんでいる人々に寄り添い、支え合う人間関係をつくり出し、国際人権の法制度を構築する必要がある。2015年9月、国際連合総会は「2030アジェンダ」(SDGs)を採択し、17項目の目標と169ターゲットを宣言した。SDGsの合言葉は、「誰一人取り残さない」である。


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