1. TOP
  2. 資料館
  3. 国際人権ひろば
  4. 国際人権ひろば No.136(2017年11月発行号)
  5. マイクロアグレッション/レイシャルハラスメントについて考える人権教育 ~『ちがい ドキドキ 多文化共生ナビ』発刊によせて~

 
Powered by Google


国際人権ひろば Archives


国際人権ひろば No.136(2017年11月発行号)

特集 人権につながる様々な教育の取り組み

マイクロアグレッション/レイシャルハラスメントについて考える人権教育 ~『ちがい ドキドキ 多文化共生ナビ』発刊によせて~

北川 知子(きたがわ ともこ)
大阪教育大学非常勤講師

ヘイトスピーチの底辺を支える「日常」を再考する

 2016年「ヘイトスピーチ解消法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が施行された。その背景にはヘイトスピーチの広がりとその被害の深刻さがあった。しかし、だれの目にも差別と認識しやすい酷い言動/ヘイトスピーチが大きく注目されたことによって、日常場面で起こる排外的な言動、ステレオタイプに基づく冗談といった、マイノリティ集団が受けている抑圧が「些細なこと」になってしまってはいないか。ヘイトスピーチ自体もその概念が正確に理解されているとはいえず、「ヘイト(hate:憎悪)」という語に引きずられて「相手憎しで発せられる暴言」だと誤解している人も多い。こうした誤解も、日常場面での排外主義に気づかないことも、人種差別(racism)に関する知識のなさや理解の浅さから生じている。

 2016年に金友子氏の「マイクロアグレッション概念の射程」注1)や多民族共生人権教育センター発行の『なくそう!職場のレイシャルハラスメント』注2)など、日常場面に潜む同化/排外に着目する論文や啓発冊子が続けて公にされたのは、ヘイトスピーチを支える社会意識にメスを入れなければ、この社会は変わらないという危機感の表れだろう。本稿で紹介する在日外国人教育実践プラン集『ちがい ドキドキ 多文化共生ナビ』注3)(以下、『ちドナビ』と略)が提起する学習プラン「無意識の言葉が心に刺さる~気づいてほしいこの思い~」も、小中学校の現場教員が同様の危機感をおぼえたところから着想されたものだ。日本生まれ・日本育ちなのに民族名を告げたとたん「いつ日本に来たんですか?」「日本語がお上手ですね」と言われる、ブラジル出身だからといって「サッカー上手いんでしょ」と決めつけられる、といった発言にマイノリティは日々傷ついている。日本で暮らす外国人という存在を理解されていないことにがっかりしながら何度も同じ説明をする羽目になる、属性だけで得手不得手や能力をジャッジされる居心地の悪さに気持ちがざわつく・・・が、そんなもやもやした気持ちをうまく説明できないでいる。ヘイトスピーチに遭遇した当事者が深い絶望と恐怖にとらわれるのは、その奥に広がるマジョリティの無関心、無関心ゆえに自覚されていない偏見・差別意識を日常的に感じているからだということをあらためて考えたい。その意味で、学校にとどまらず、さまざまな場で活用しブラッシュアップをしていきたい教材なのだ。

img_p4-5.png

差別のある社会の構造~「私」はどこにいるのか

 大学で人権にかかわる講義を担当し始めて10年になる。教員志望の学生は基本的に「差別はよくない」し「自分は差別していない」「人を傷つけたくない」という者が多い。そして「差別」とは何かというと、ヘイトスピーチのように国籍や民族を理由にしたあからさまないじめや暴言の類、あるいは就職差別や結婚差別といった具体的・実態的な不利益の類を想定しているために、「自分の身近に差別はなかった」と考えている学生が大半を占める。そこにあるのは「差別する人」と「傷つけられた当事者」の二者関係のイメージであり、「差別しない私」は第三者的な高みから酷い差別者を批判し、当事者に同情的に寄り添う―つまり「心の持ちよう」で人権課題に対処できるという考え方である。しかし差別は社会構造の問題だ。ゆえに社会の一員である限り、差別と無関係でいることはできないのだという当事者意識を育むことが人権教育に課された使命だろう。「私」がその社会で主流派/多数派に位置するか、周縁化された集団/少数派に位置するかによって社会的に与えられる力が違う。そのなかで差別のターゲットを決める力を持つのは主流派/多数派の側であり、周縁化されがちな少数派はターゲットになりやすい側となる。「〇〇問題」「〇〇差別」というとき、〇〇に入るのはターゲットにされた被差別者の属性だが、実際に問題があるのは「〇〇」以外のマジョリティの「力の使い方」だ。

 在日外国人問題/外国人差別でいえば、そもそも「外国人」とはだれなのかもマジョリティ日本人が恣意的に決定しているのである。あるときは日本社会で生まれ育っていても「国籍」で峻別し、あるときは日本国籍をもっていても「見た目」や「血統」、「日本語力」で峻別する。峻別され差別される立場になるか否かはマジョリティ日本人の胸先三寸であり、ターゲットにされた「外国人」にそれを決める力はない。「外国人差別がある社会」とはそういう社会だ。そこで「だれ」に生まれるかは本人の責任ではなく偶然であり、差別されるのは理不尽で不条理だ。学生の人権学習経験で圧倒的多数を占めるのは「被差別当事者の講演」で、差別の理不尽さと不条理さは学んで理解している。それでも他人事感が抜けないのは、その不条理のコインの裏にある「差別されずに済む」属性/「差別のターゲットを決める・差別する力」を否応なく持たされている「私」を考えるステップに進めていないからだろう。

 差別のある社会では、差別したくないとただ願っていてもダメだ。この不条理から自由になるためには、理不尽な力関係を私たちに押しつけてくる社会構造を理解するしかない。水平な、対等な関係性をつくりたいと願うなら、垂直的で非対称な力関係に人びとを振り分けようとする社会構造を理解し、対抗する力を身につけること。それが人権教育の目標だと筆者は考えている。

「無意識の言葉が心に刺さる~気づいてほしいこの思い~」教材の可能性

 この教材では10パターンの発言例を場面のイラストとともに〈大阪版マイクロアグレッションカード〉に示し、カードを手がかりに発言の問題点/言われたマイノリティの気持ちを考える学習プランを提示している。在日コリアンが「いつ日本に来たんですか」と言われたり、アルバイト先で「日本の名まえはないの」と聞かれたりする場面など、作成にあたった教員たちが児童や生徒、保護者から聞いてきた体験談や外国にルーツを持つ教員自身の経験に基づいてまとめられたものだ。海外ニュースを見ながら「またこんなこと。あなたも韓国人でしょ?どう思うの?」と聞かれているカードなど、昨今の東アジア情勢や日本政府・マスコミの動向を考えれば頻発している例だろう。マジョリティにとっては「言ったことがある」例であり、「悪気なんてない」「そんなに傷つくと思わなかった」という当惑や葛藤が起こる学習になる。自分と切り離していられる人権学習と違い、居心地が悪くて苦しい時間を過ごさなければならない。しかし、その居心地悪さは、マイノリティにとって日常のことなのだということに「気づいてほしい」。つまり「どんな言葉に傷つくのかを学んで言わないようにする」ためではなく、その発言の背景にあるメディアの情報や社会意識などを掘り下げつつ、平等・公正や対等な関係性をともに考えていくための教材である。

 ぜひ多くの人に『ちドナビ』を手に取り実践してほしい。そして実践のフィードバックを繰り返して大きく育てていきたい。みなさまにもご協力いただければ幸いである。

 

注1:「マイクロアグレッション概念の射程」金友子(立命館大学生存学研究センター報告書[24]堀江有里・山口真紀・大谷通高編『〈抵抗〉としてのフェミニズム』所収)2016

注2:『なくそう! 職場のレイシャルハラスメント』特定非営利活動法人多民族共生人権教育センター編・発行 2016 ※ 入手方法:発行者に問い合わせ・申し込み

注3:『ちがい ドキドキ 多文化共生ナビ~在日外国人教育実践プラン集~』実践プラン集作成プロジェクト編・大阪府在日外国人教育研究協議会(府外教)発行 ※入手方法:府外教ホームページに案内


To the page top