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国際人権ひろば No.135(2017年09月発行号)

アジア・太平洋の窓

バングラデシュにおけるアシッドバイオレンスの実態

近藤 凜太朗(こんどう りんたろう)
大阪大学大学院 人間科学研究科博士前期課程

 アシッドバイオレンス(acid violence)とは、硫酸などの酸性物質を顔や身体に浴びせる暴力のことである1。目・耳・鼻といった身体器官に機能的な損傷を与えるだけでなく、多くの場合、皮膚を溶解させ、深刻な容貌の損壊をもたらす。被害を受けた人々のなかには、職場や学校で外見を理由とした差別を受けたり、人が集まる場に足を運べなくなったりする人もいる。この暴力の報告件数が多いのは、バングラデシュ、パキスタン、インドなど、南アジア地域の国々のほか、カンボジア、ウガンダ、イランといった国々である。

 しかし、「途上国」でしか発生しない暴力というわけではなく、これまでには、アメリカなどの「先進国」でも報告例がある。最近では、イギリスのロンドンにおいても件数が急増していることが話題となっている2。日本ではこのような暴力が存在すること自体、あまり知られてはいないが、世界的には一定の注目を集めているのである。以下では、現時点でもっとも詳細な情報を得ることができるとされるバングラデシュを事例として、アシッドバイオレンスの実態に迫りたい。

バングラデシュにおけるアシッドバイオレンスの実態

 まずは最新のデータから確認すると、2015年には74人が被害に遭い、そのうち50人(68%)が女性であった3。このように女性の被害者の割合が多いのは、統計が整備され始めた2000年代からの一貫した傾向である。そのため、この暴力の背後に女性差別があるのは間違いないが、男性の被害者も一定数存在している。

 暴力の発生に至った経緯としては、「土地・財産・金銭をめぐるトラブル」によるものが16人でもっとも多く、「夫婦間のトラブル」と「家族内のトラブル」がともに9人であとに続いている。さらに、相手(加害者)の結婚の申し出を拒否したことで報復を受けたというケースが7人、交際の拒否によって報復を受けたのが5人、ダウリー(持参金)4の支払いに関するトラブルが5人、性交渉の拒否による報復が2人となっている5

 バングラデシュでは2002年以来、一貫してこの暴力の件数は減少している。2000年に240件、2001年351件、2002年494件と増加を続けていたのが、2002年をピークとして減少に転じ、2015年には74件まで数を減らしたのである6。これは、1980年代からこの暴力の根絶に向けて精力的に活動してきた、バングラデシュの女性運動の大きな成果である。この運動の働きかけによって、2002年に2つの重要な法律が制定された。1つめは、アシッドバイオレンスの加害者への刑罰を規定する法律、2つめは、この暴力の原因となる酸性物質の流通をライセンス制度によって規制する法律である。効果的な運用がなされているかという点では現在でも課題が残るが、アシッドバイオレンスに対する警察の注目を高め、非常に安い価格で行われていた酸性物質の取引に一定の歯止めをかけることに成功した。1999年には、高度な医療処置、裁判の手続きに関する情報提供、カウンセリングなど、被害者への包括的支援を行うNGO“Acid Survivors Foundation”(以下、ASF)も設立された。現在では、バングラデシュでのASFの活動をモデルとする同様の団体が、インドやパキスタンといった国々でも活動を始めている。

被害者たちのパーソナル・ストーリー

 アシッドバイオレンスはどのようにして起こり、被害に遭った人は、その後どのような生活を送っているのか。さらに詳しい事情に迫るため、ここでは、ASFが発行する年次報告書7のなかから、2人のストーリーを紹介したい。

(1)アスマの場合

 まずは、アスマ(Asma)という女性のケースである。

 アスマは、バングラデシュのある農村地域の出身である。学校までの道が遠いために周りの子どもたちはみな学校を中退してしまい、彼女は同世代のなかで唯一中等教育を受ける存在となっていた。しかし、ある時期を境に、ひとりの男性から通学中にストーカー被害に遭うようになる。その男性はアスマに結婚を申し出たが、アスマ自身も彼女の家族も、まだ若すぎるという理由でそれを断った。すると、男性とその親族は、今すぐ勉学の道をあきらめて彼と結婚するよう求めて脅迫を行うようになった。しばらく経過した1999年8月、アスマが13歳の時、早朝4時ごろに彼女が家族とともに眠る寝室へと男性が忍び込み、彼女に酸を浴びせた。

 酸性物質による身体へのダメージを軽減するには、とにかく水で洗い流すということが重要である。このことは今では広く知られているが、1999年当時、そうした基本的な応急処置の方法が医者の間でさえ周知されておらず、アスマは適切な治療を受けられずにいた。ASFが設立されてからは、医療的な処置のみならず、学業の継続に向けた資金的なサポートも受け、彼女はみごと中等教育修了試験および後期中等教育修了試験8に合格した。

 それでもアシッドバイオレンスによる被害の影響が完全に消えたとはいえない。裁判の結果、加害者の男性には終身刑の判決が言い渡されたが、加害者側の家族は減刑を求めて控訴し、アスマと彼女の家族への脅迫を強めている。アスマは、暴力を受けてから自分の人生がすっかり変わってしまった、と語る。

 

(2)ウザルの場合

 次に、男性の被害者であるウザル(Uzzal)の事例をみてみたい。

 後期中等教育試験に向けて勉強に励んでいたウザルは、2000年3月、彼の家庭教師だった4歳年上の男性に、「反抗的」なのが気に入らない、という理由で酸を浴びせられた。男性が、ウザルと友人との交際に制限を加えようとしたために2人の間で口論になったのである。警察の捜査では、腹を立てた加害者男性は、ウザルが勉学を継続することを妨げるために、彼を失明させる狙いをもっていたことがわかっている。

 だがウザルは、顔に大きなやけどを負ったものの、失明には至らなかった。後期中等教育試験で優秀な成績を収めた彼は、繊維開発に関する研究を志して私立大学に入学する。ASFは、大学に積極的な働きかけを行い、彼の学費を減額させることに成功した。それでも学費の工面には苦労し、在学中は家庭教師をしながら、何とか学費を捻出していたという。ウザルは、大学を卒業して繊維関係の企業に就職し、エンジニアとして活躍している。

おわりに

 ここまでみてきた2人のケースの特徴は、ASFの支援を得て、学業的な側面での成功を収めているということである。もちろん、この2人のケースがアシッドバイオレンスの被害者たちの人生を代表しているというわけではない。現実には、置かれた環境によってそれぞれに多様な生き方がありうる。さらに、経済的貧困により都市部への移動が困難であるといった理由で、そもそもASFのような支援団体にアクセスできないこともある。

 しかし、ここで重要なのは、被害者たちが、他者が差しのべる救いの手を待っているだけの受け身的な存在ではないということである。2人のストーリーには、アシッドバイオレンスがもたらす身体的・精神的苦痛や経済的・社会的排除、周囲の差別的な言動といった経験を引き受けながら、それと闘っていく主体的な姿の一端が示されている。

 

1:英語ではacid attack, acid throwing, acid burningなどさまざまな呼称があるが、ここでは「アシッドバイオレンス」を用いる。

2:http://www.bbc.com/news/uk-40559973?ocid(2017年7月31日閲覧)

3:Acid Survivors Foundation(2015)Annual Report, p.8.

4:ダウリー(持参金)とは、新郎側の親族が新婦側の親族に対して婚資を要求する慣行のことである。

5:Acid Survivors Foundation(2015)Annual Report, p.10.

6:同上、p.8.

7:アスマのストーリーは2011年、ウザルのストーリーは2007年の年次報告書からの抜粋である。

8:バングラデシュの教育制度は、初等教育5年間、前期中等教育5年間、後期中等教育2年間となっている。前期中等教育(初等教育から合計10年)を終えると中等教育修了試験(Secondary School Certificate, SSC)があり、さらに後期中等教育を終えると後期中等教育修了試験(Higher Secondary Certificate, HSC)がある。


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