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国際人権ひろば No.75(2007年09月発行号)

世界の人権教育

フィリピンの大学の連続フォーラムで議論した人権教育

ジェファーソン・R・プランティリア (Jefferson R.Plantilla) ヒューライツ大阪主任研究員

  「大学教育においてどうすれば人権教育を主流化させることができるのだろうか」。これは、2007年7月16日から19日にかけてフィリピンの4つの大学で開催された連続フォーラムにおいて私が話した主なテーマである。私は、フィリピン工科大学教員で全国教員組織の代表を務めるフローラ・C・アレリャーノ教授、ミリアム大学教員で同大学の女性・ジェンダー研究所(WAGI)所長のオーロラ・デ・ディオス教授の招きを受けてこれらのフォーラムで講師を務める機会を得た。
  2人は、マニラ市のフィリピン工科大学とフィリピン教育大学、およびケソン市のミリアム大学とカガヤン・デ・オロ市のリセオ・デ・カガヤン大学の4大学でそれぞれフォーラムを企画した。最初の二つは国立大学で、後者は私立大学である。フォーラムには私と、アメリカのニューヨーク州にあるユティカ・カレッジのセオドア・オーリン教授がパネリストとして参加した。
  フォーラムには、大学生や大学教員に加えNGOのスタッフなど様々な人々が出席していた。フィリピン教育大学のフォーラムには、マニラ市やケソン市の高校生や教員も参加していた。
  さらに、フィリピン教育大学の学長や他の大学の学部長なども出席し、積極的に議論にも参加するなど、フォーラムは幅広い支援を得ていたのである。最後には各大学の役員の署名入りの正式な修了証が授与されたのである。
  フィリピン工科大学のフォーラムはおもに同大学の平和・貧困研究センター、フィリピン教育大学では社会科学部と連携・公開講座センター、ミリアム大学では女性・ジェンダー研究所が中心となり企画された。
  一方、リセオ・デ・カガヤン大学のフォーラムを企画したのは大学の学部でも研究所でもなく、社会科学専攻学生協会という名称の学生組織で、アムネスティインターナショナル・フィリピンが後援していた。同大学のフォーラムでは、地元の法科大学で人権を教えている教員やバラオド・ミンダナオというオールタナティブな法律家団体の弁護士などもパネリストを務めた。

■大学で人権教育を主流化する


  大学における人権教育の現状に関して、私は報告をする際、参加者の多くは人権教育にはあまり馴染みがなく、大学の様々な科目において人権が一般的に取り上げられていないという前提に立って話した。
  したがって、まず人権とは、そして人権教育とは何かについて簡単に説明した。たとえば、世界人権宣言やユネスコ、ユニセフをはじめとする国際人権および人権教育の文書についてふれた。人権教育は、人権に関する十分な知識なくして学習できないということを強調したかったのである。国連文書はそうした課題に関する信頼できる根拠であることを強調した。
  私は、人権と価値を関係づけること、あるいは人権的価値を議論することによってより人権を理解しやすくするための一般的な枠組みを説明した。また、人権に関する包括的な見解、および人々の日常的な関心事との関連(食料、住居、教育、仕事、政府や社会の役割、高齢者や社会的弱者、子どもの福祉など)の理解のためにユニセフが発表している『国々の前進』(2000年まで年刊)について言及した。

  また、ユネスコは、1974年に採択した勧告で、人権教育は以下のようにあるべきだと述べている。
  「学生は、解決に向けた支援に取り組むべき主要な問題に関して知識を研ぎすまし、そうした問題解決をめざした直接そして継続した行動の可能性を提供するとともに、国際協力の感覚を促進すること」。
  この文脈の意味することは、人権教育は単に学問的な訓練に留まらず、地域における問題解決の一助となるための役割を学生に促しているということである。
  私はまた、大学の役員や教員に対して、大学において人権を教えることを方針化しているフィリピン政府の教育政策に関しても言及したのである。
  そこで、私は大学の異なった科目や専攻分野において人権を教えるために可能な方法を提示した。たとえば、どのように人権が歴史、経済、ビジネス、科学・技術、社会学、人類学、文学などの科目で教えられているかについてである。
  例をあげると、19世紀末のフィリピンの民族的英雄と言われる人物によって書かれた古い文書のいくつかに、世界人権宣言の条文にあたる内容があることなどだ。なかには、1990年代に議論された発展の権利に関連する文書も存在している。

  科学と技術に関して、私は次のような質問を投げかけた。
(1) 低価格で品質のよい住居建設を通じて、どのように居住問題が解決するのだろうか。
(2) どうすれば障害者に配慮した公共施設を建てることができるのだろうか。
(3) どうすれば栄養がありかつ高価ではない食品が生産でき、貧困層をはじめとする大衆の手に届くようにすることができるのだろうか。
(4) どうすれば情報技術やインターネットが農民や漁民、先住民族などのニーズに応えることができるのだろうか。

  私は、人権を擁護し、こうした質問に応えるような法律がフィリピンに存在していると述べた(たとえば、1992年の「都市開発および住居に関する法律」についてである)。
  また、大学生の技術面の知識を都市貧困層のための住宅建設に活用できるよう仲介するNGOも存在していると語った。その例として、学者やNGO職員のガイドのもとで学生たちに都市の住居問題にふれさせるための「青年専門家プログラム」と呼ばれる事業を運営する「居住権のためのアジア連合」(ACHR)があげられる。
  私は、そうした地域に根ざした活動を通して人権のスキルを構築することは人権教育の主要な要素であることを伝えようとしたのである。
  それから、人権を支援するという大学の環境が必要であることを述べた。その姿勢は、セクシュアル・ハラスメントやアカデミック・ハラスメントなどの問題に対する規則や政策の策定や、問題を浮かび上がらせたりするプロセス、また学問の自由のための政策となりうるのである。
  リセオ・デ・カガヤン大学のフォーラムにおいて、私は大学卒業後の進路について述べた。1970年代、大学卒業生に対して普通の就職をするにせよ、NGOで働きはじめるにせよ、人権問題に関係したような仕事に携わるよう進路アドバイスが行われていた例を紹介したのだ。このことは、人権に関する知識やスキルはどんなタイプの仕事をしようが活用することができるということを意味しているのである。

■参加者の反応


  このような私の意見に対して昨今地元のマスメディアでしきりに取り上げられている超法規的処刑や「2007年人間の安全保障法」(反テロ法)などの人権問題について質問を受けた。また、人権教育実践の成功事例やフィリピン政府の人権教育プログラム、人権と並行して責任も議論する必要があるのではないか、といった質問があった。

■フォーラムを通して考えたこと


  今回のフォーラムは、学生や大学教員に対して、人権について考えるとともに、大学のカリキュラムにおいて異なった科目に人権教育を取り入れることについて考える機会を提供できたようだ。
  フォーラムを企画した4大学が、これまで以上にさまざまな科目で人権を教えることを私は期待している。大学の通常の科目、とりわけ自然科学系の科目で人権を教えるよりも、「人権」という科目を設けて教えるほうが容易である、と私は思う。しかし、大学カリキュラムの異なった科目において人権を関連付けていくための研究をする必要性を感じている。大学教員は、自らの人権教育活動をより推進するために、異なった科目で人権を教えるためのアイデアの実現を図っていくべきである。

※訳注:左派政党や農民、労働組合の活動家や宗教者たちが国軍関係者とみられる者に殺害されるという事件が近年頻繁に起きている。参照:波多江秀枝「深刻化するフィリピンにおける『政治的殺害』」、本誌No.71(07年1月号)
(訳:藤本伸樹・ヒューライツ大阪)