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国際人権ひろば No.67(2006年05月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

韓国への修学旅行~ふだん着での国際(黒彩=こくさい=)交流のすすめ

桝谷 佳彦 (ますたに よしひこ)
茨木東高等学校教員(元大阪府立しま島かみ上高校教員)

■ 近くて遠い国


  当時、韓国は日本にとって、まだまだ「近くて遠い国」だった。「日韓共催サッカーワールドカップ」を3年後に控えてはいたが、巷には、逆にそれを(日韓共催となったことを)不満に思う空気さえ流れていた。BoAもユンソナもまだ日本のテレビには登場していなかったし、その後「韓流ブーム」が起こり、「チャングムの誓い」をはじめとする韓国ドラマの数々が毎日どこかのチャンネルで放送され、ついにはパチンコ台「冬のソナタ」が登場しようとは、誰も想像だにしていなかった。
  そんな1999年の春、島上(しまかみ)高校49期生担任団は、「韓国への修学旅行」という大胆な決定をおこなった。この年から府立高校の海外修学旅行が解禁されたため、先駆的にそれに取り組もうという積極的な考えから(また、海外旅行にいけるという多少の下心も手伝って)、さらに、その年の新入生(49期生)をまだよく見ていなかったことが幸いして、その決定はなされた。もちろん私もこの決定に大賛成であった。残念ながら、日本の生徒の多くは、その親や祖父母の世代から「韓国・朝鮮人に対する偏見や差別的な意識」を引き継いでしまっている。実際に韓国に行き、韓国の人々と出会うことが、この日本の生徒たちの意識に劇的な変化を与えるかもしれない、と私は常々思っていたからだ。

■ 自由奔放な49期生


  島上高校の校風は、一部の中学から「すべての指導を放棄した高校」と揶揄されるほど自由なものであった。服装も頭髪も本人の自由が許される。そして、今までになく自由奔放で"やんちゃな生徒"が、49期生には多く含まれていた。同じように韓国修学旅行を計画していた他校では、1年の時から、「『韓国と日本の過去』についての事前学習」や「生徒自身による『修学旅行ニュース』の発行」や「学年全体による『日本的な出し物』の練習」等に取り組んでいた。
  しかし、同校では1年当初から、その"やんちゃな生徒"が毎日のように様々な出来事を引き起こしてくれたので、とても他校のように修学旅行に向けての様々な取り組みを、じっくりとおこなえる状況はなかった。2年になって、生徒は少し落ち着いてくれたものの、やはり「時間を厳守させる」「むこうに行ってトラブルになるようなことをさせない」といった生活指導上の課題に向けた取り組みにウエイトが置かれた。
  このため「韓国は儒教と礼節の国だから、親や目上の人の前では煙草も吸えないし酒も飲めない。高校生が街中(まちなか)で煙草を吸うなどもってのほか! 唾を吐いただけでもすぐに警察に捕まって、日本には帰してもらえなくなる」などと、半分事実・半分デマの内容で生徒を脅すような指導もした(これではかえって偏見を振りまいているようなものであった)。 
  そのため、韓国に着いてからは、「先生! 今あの人唾吐いてたでぇ。何で捕まれへんの?」と、唾を吐いている人を見つけるたびに生徒に聞かれるはめになった。

■ 国際交流はふだん着で


  2000年11月9日、修学旅行2日目。いよいよ学校交流の日である。この朝、一部の生徒は、ホテルの本部となった一室に集められていた。ここまでは、多くの懸念に反して、生徒たちは非常によくやってくれていた。交流する相手校からの強い要望でおこなった「髪を黒く直しておいてほしい」という指導にも、ほとんどの生徒が従ってくれていた。しかし、まだ直していない生徒の髪の毛を一時的に黒くするため、仕方なしに「黒彩」というスプレーの髪染めを頭に振りかけていたのである。
  昼食後、交流班の生徒150余名を乗せた5台のバスは「大田(テジョン)外國語高等學校」(以下、大田外高)に向かって走っていた。「あちらでございます」とガイドさんが指さす方向を見ると、新しく近代的な校舎が目に飛び込んできた。その瞬間、バスの中では、「先生もう帰ろう」「ことばも話されへんのにどうやって交流するん?」という声が、あちこちからわき上がってきた。学校では大きな顔をしているくせに、案外根性がない。駐車したバスから降りてもなお「いややぁ~、もう帰りたい」と「往生際」が悪かった。
  大田外高の生徒は、すでにグランドに整列して島上の生徒を待ってくれていた。中のひとりが、「いらっしゃいませ~」と大きな声を出して手を振ってくれている。みんな、にこにこしている。私たちに対する好意と好奇心が、距離を隔てて伝わってくる。
  こうなったら行くしかない。おそるおそる近づいて行くと、大田外高の生徒は、島上生の名前を漢字で書いた名札を、それぞれの胸につけてくれていた。交流相手とのペアリングのために我々が頼んでおいたのだ。その名札を頼りに島上生は自分の相手を探し当て、その横に並んだ。驚いたことに、その瞬間からもう交流は始まっていた。島上生には事前に、500円程度のものをプレゼントとして持ってくるように言ってあった。が、まだ何の指示もしていないのに、勝手にそのプレゼントを交換し合っている。日本から持ってきたCDを、漫画本を、そして、何も持ってこなかったため直接500円玉を、言葉の通じないはずの相手に手渡して、楽しそうに語り合って(?)いる。
  グランドに張り出したステージ状の場所で、正式な交流会が始まった。両校校長の挨拶。生徒代表の挨拶。慣れない韓国語を使った日本側の挨拶に、「ワァー」という歓声が上がる。次の「出し物」の交換では、韓国側からは合唱があり、日本側からは有志6人によるストリートダンスが披露された。このダンスにも予想以上に歓声と拍手が巻き起こった。
  ペアリングされた相手に自由に校舎内を案内してもらう個人交流の時間に入ると、島上の生徒たちは、もう誰ひとりひるんではいなかった。自分たちを正直にさらけ出し、精一杯大田外高の生徒たちと交流していた。「先生、ハングルで『こんにちは』と書いたのに通じへんねん。なんでぇ~?」って、そりゃ日本語を発音通りにハングルに書き換えても通じる訳がない。でもそれでいいのである。
  大田外高の生徒に英語で「あなたは何年生ですか?」と尋ねられて、「ツゥ、ツゥ」と答えている。「『セカンド』と言えんか?!」と思うが、それもいいのである。日本では、「なんで修学旅行は韓国なん? アメリカがいいわ」とふてくされていた生徒も、「むこうの女の人はみんな目つり上がってんねんやろ」と偏見をあらわにしていた子も、今は満面に笑みを浮かべながら韓国の子と交流している。
  このあと、交流会の最後を締めくくって、両校の代表によるサッカーの試合がおこなわれた。グランドにあるスタンド状の段差に陣取って、互いに肩を組みながら応援をする両校の生徒たちをビデオカメラで追っていた私の目には、なぜか涙があふれていた。

■ 学校交流するから意味がある


  この間、海外修学旅行に取り組む府立高校の数は飛躍的に伸びている。しかし、その一方で、「事前の取り組みがたいへん」だからと、観光に重点をおき、現地の学校との交流を避ける高校が増えてきていると聞く。これがほんとうなら、とても残念なことだ。修学旅行という機会をのぞいては、日本の高校生が海外の学校に入り、そこの生徒たちと交流することなど、ほとんど不可能である。カッコをつけようとするから「事前の取り組みがたいへん」なのである。まずは「ふだん着」で海外の学校の門を叩くことをおすすめする。「先生が公費で海外旅行を楽しんでいる!」と非難されないためにも。