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国際人権ひろば No.63(2005年09月発行号)

アジア・太平洋の窓 Part2

海外での看護師をめざすフィリピンの「セカンド・コーサー」~送出国の医療事情を考える

藤本 伸樹 (ふじもと のぶき) ヒューライツ大阪研究員

就職希望先は海外


  「皆さんのなかで、卒業後は外国で働きたいと思っている人は手を挙げてください」と私が尋ねると、何と40数名ほどいた学生全員の手が一斉にあがった。
  マニラから北へ約120km。フィリピン有数の米作地帯を誇るヌエバ・エシーハ州にある人口20数万人のカバナトゥアン市にある私立MVガリエゴ大学の看護学部の授業を、2005年7月に見学させてもらったときのことである。「まさか」と思った私は、「フィリピンで看護師として働きたい人はいないのですか」と畳み掛けたのだが、学生たちからは「ノー」と返事が異口同音に返ってきた。
  「海外での高給を求めて、学生たちは外国での看護職をめざしているのです」と教員のリカルド・マナロさんは授業を中断して説明してくれた。マナロさん自身もかつてニューヨークで看護助手をしていたことがあるという。
  MVガリエゴ大学には7学部で900人ほどの学生が在籍しているが、看護学部は470人と突出して学生数が多い。フィリピンの大学生は、他の国と同様に高校を卒業してストレートに、あるいは何らかの事情でほんの数年間の足踏みをして進学することから、10代後半から20代前半の世代が多いのだが、近年、看護学部だけは少し事情が異なってきた。一度、社会に出た人が将来を見据えて看護師をめざし再度入学するケースが増加しているのである。
  とりわけ、この大学にはそうした人たちを対象にした「セカンド・コーサー」(Second Coursers)と呼ばれる、海外での看護職へと転進しようとする社会人クラスが設けられているのである。このクラスには女性が39人、男性が6人で合計45人が在籍しているのだが、そのうち10人弱としばし話をする機会を得た。皆が仕事をもっている。職種は、セラピスト、助産士、獣医などバラエティに富んでいた。全く畑違いの公認会計士を8年間も続けている人もいた。話をした大半は30代前半の女性だったのだが、少し離れて話を聞いている中年男性が2人いた。尋ねてみると、ひとりが歯科医、もうひとりが弁護士であることがわかった。50歳を少し越えたかに見える弁護士の男性は、「地方で刑事事件ばかりを扱っているとわずかな収入しかないので、アメリカで看護師になるために勉強している。あちらで3ヵ月働けばここでの1年分の報酬が得られるからだ」、とクラスメートたちの前とはいえ口重げに語った。
  フィリピンではいま、米国、カナダ、英国、あるいはサウジアラビアなどで働くことを求めて、看護師という職業が大人気の職種になっている。とりわけ、前者の3国で看護師・介護士となれば、永住資格を得たり家族を呼び寄せたりすることのできる可能性が高いだけに、学生たちの人気は高い。

疲弊するフィリピンの医療現場


  全国で看護学部生が増加するなか、経験を積んだ看護師がフィリピンからどんどん去っている。さらに、医師が国を超えて看護師に転職する数が増えている。実際、医学部の人気は低下しており、入学者の定員割れをする大学も出てきている。2004年のフィリピンの医師国家試験に首席で合格したエルマー・ハシントさんという男性が、米国の看護師の資格をとってニューヨークで働きたいと意思表示をしたとき、国内だけでなく日本も含む海外でもニュースで取り上げられた。国内では「頭脳流出」だというマスメディアのバッシングが起きた。しかし、ハシントさんに続けとばかりに、約6,000人もの現役医師が「セカンド・コーサー」として看護学部で再教育を受けている。そうしたなか、海外で働くフィリピン人約800万人のうち、看護師はすでに30万人に達するという推計もある。
  ベテランの医師や看護師が、外国に流出すればするほど、フィリピンの医療現場では医師・看護師不足が加速化している。1996年には公立病院の医師は全国で3,119人、看護師が5,653人であったのに対して、2002年には医師が3,021人、看護師が4,720人へと減少している。一方、総人口は1995年の約6,900万人から2000年の約7,700万人へと急上昇しているのである。さらに、政府による一人当たりの保健予算は減少し続け、病院が廃業に追い込まれたり、病院の人口あたりのベッド数も減少の一途をたどっている
  その結果、残された医療従事者の労働条件が悪化している。そのことが、彼ら・彼女らの外国へのプッシュ要因に拍車をかけている。そうした負の影響を直接被るのは市民であり、とりわけ貧困層なのである。最近までミンダナオ島の山村で医師として10年以上活動に従事し、マニラに事務局を置く「民主主義のための保険連盟」(HEAD)というNGOの事務局長を務めているジーン・ニスペロスさんは、「人々の健康に対する権利が否定されている」と悪化する状況を憂う。

「健康に対する権利」は誰のもの?


  フィリピン政府は長年、失業対策と外貨獲得のために海外移住労働を推進してきた。近年は看護師の送り出しに加えて、高齢化する「先進国」における介護労働者の需要拡大を見据えて、海外でも通じる力量を備えた介護士(ケアギバー)の養成と派遣、そして市場開拓にとりわけ力が注がれるようになった。そうした脈絡のなかに、2004年11月に大筋合意した「日比経済連携協定」(いわゆるFTA)のなかのフィリピン人の看護師・介護福祉士候補者の導入という課題が存在するのである。
  3K労働とも言われる過酷な条件の日本の高齢者介護の現場では労働者が不足していることから、施設や産業界は外国人の導入を望んでいる。一方、労働条件のさらなる悪化を懸念する労働者サイド。そうしたことから、看護・介護分野においてフィリピン人をはじめとする外国人を受け入れる際には、労働や生活条件などの権利保障を前提としなければならない。だが、日本国内だけで問題が自己完結するものではない。日本は優秀な外国人労働者の「ツマミ食い」でこと足りるかもしれない。だが、送出国における「人々の健康に対する権利」の保障の課題が置き去りにされてはならないのである。

この段落の統計数字は、"Philippine Statistical Yearbook" (National Statistical Coordination Board)を参照。

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