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国際人権ひろば No.60(2005年03月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

未知の国・ミャンマーでのインターンシップ体験

橋本 綾 (はしもと あや) 国士舘大学21世紀アジア学部在籍

未知の国ミャンマーへ


  ミャンマーと言われて何を想像するであろうか。ビルマの竪琴、アウンサンスーチー氏、軍事政権...。私はミャンマーがどこにあるのかさえ知らなかった、このインターンシップと出会うまでは。
  ある日、大学の掲示板でミャンマーでの海外インターンシップを見つけた。ミャンマーのホテルで半年間研修をするというものであった。以前から観光業に興味を持っていた私は、両親に相談することなく即面接の申し込みをした。後から怒られたのは言うまでもないが、この機会を逃したら、絶対に後悔すると思った。今しかできないことを見逃すわけにはいかなかったのだ。
  しかし、面接の結果は不合格。当時1年生だった私は海外への研修はまだ早いと言われた。2,3年生を優先にしたと言われてとても悔しかった。学年はどうしようも出来ないからだ。1年生だから行けないなら、2年生になったら再度申し込もうと決めた。そして、2回目の面接でやっと合格し、いよいよミャンマー行きが現実のものへとなった。

ミャンマーでの生活


  2004年10月、いよいよミャンマーに到着した。研修先のホテルは首都ヤンゴンと、世界三大仏教遺跡の1つでパゴダと呼ばれる仏教遺跡群の広がるバガンにありそれぞれのホテルで3ヶ月ずつ研修する。私の研修はバガンのホテルから始まった。
  研修初日、早くもピンチに襲われた。スタッフとの会話は英語を使うと日本では言われていたが、英語を話せるスタッフはごく少数で、殆んど英語が通じないのだ。私はミャンマー語の「こんにちは」すら知らない。こんな状態で一体どのように研修するというのか。しかし、不思議なことに笑顔とジェスチャーでなんとかなってしまうし、ミャンマー語の本を片手になんとか会話が成立してしまうのだ。初日にしてコミュニケーションの大切さを実感した。スタッフは珍しい日本人に興味津々でなにかと声をかけてくる。みんな優しく何か困っているとすぐに助けてくれる。この調子なら半年間うまくやっていけると確信した。
  ミャンマーでの生活は驚きと発見の毎日だ。しかもヤンゴンとバガンは同じ国であるのかと思うほど全く違う。
  ミャンマーの1番の魅力は治安の良さである。殺人や強盗事件などが少ないといわれている。大声を上げて喧嘩しているのも1度しか見たことがない程だ。
  食事は毎日カレー。私の食事はスタッフキャンティーンでとる。味は日本人には合うし、それほど辛くもない。しかし相当油っぽい。油がカレーの上に層になって浮いている。つまり、ミャンマーのカレーはカレーと油の2層構造になっているのだ。現地の人々はこの油をご飯に混ぜて具をおかずとして食べる。基本的には手で。しかし最近はスプーンとフォークを大概の人が使っている。ミャンマー料理を食べ初めた当初は、油っこい食生活にお腹をこわしたこともあったり、あまり食べられなかったりした。しかし今はとてもおいしく感じてしまう。慣れというのは恐ろしいものだ。
  生活水は井戸水か川の近くに住んでいる人は川の水を利用する。その水は日本人が飲んだらお腹をこわしてしまうような水だ。体ももちろん水で洗う。ホットシャワーの概念があるのはホテルのみだ。よってみんな日の出ているうちに体を洗う。免疫力が違うのであろうか。よく風邪を引かないものだと関心する。そしてトカゲが異常にたくさんいる。部屋に入ってくることは日常茶飯事だ。これらはヤンゴンもバガンも同じである。では何が違うのであろうか。

首都ヤンゴンとバガンの違い


  私が違うと感じたのは、大きく分けて2つある。まずは町並みだ。ヤンゴンには首都というだけあり、高層ビルや高級ホテル、ショッピングセンターが建ち並んでいる。道路も片道3車線もある大きな道がたくさんあり、車やバスであふれかえっている。3車線もあるのにウインカーも出さずに車線変更を自由にするところはミャンマーのアバウトさであろう。ミャンマーのバスは明らかに定員オーバーであろうというくらい人がたくさん乗っている。みな小さなバスの後ろにしがみ付いて乗っているのだ。それを見て風を切って気持ちよさそうだと思い、私はバガンで挑戦しようとした。しかし、ホテルのスタッフに真剣な顔で死ぬからやめろと言われた。話を聞くと、バスが急停車して振り落とされて他の車に轢かれることがよくあるらしい。バスに乗るのも命がけなわけだ。
  バガンでは舗装された道は町と町を結ぶ道のみで、パゴダまでの道など他の道は砂の道である。高い建物、もちろんショッピングセンターもないので、マーケットで日用品を揃える。
  もう1つは人だ。ヤンゴンでは人は人、自分は自分でまるで東京人のようである。しかし、バガンの人はみな人懐っこくスタッフは毎日夕飯へ私を招待するほどであった。休みの日も一緒にどこかへ行こうと誘ってくる。みなとても純粋だが、悪く言えばお節介。ここはこちらからうまく距離をとらなければならないところだ。
  個人的な意見では、私は田舎のバガンの方が好きだ。何もないバガンで3ヶ月間生活してヤンゴンに来たときは、あまりの都会さに目を疑った。しかし、冷静になって考えればヤンゴンは日本と似ている。別に驚く必要はないはずだ。なのに、ショッピングセンターで何でも手に入ること、車がたくさん走っていることがとても新鮮に見えた。
  バガンでの何もない生活では、豊かさは物やお金では測れないということを実感した。みなバガンの人々は貧しいが笑顔が絶えず、毎日楽しそうだ。何でも手に入る日本では、一体何をもって豊かか否かを決めるのであろうか。お金を持っていれば豊かなのであろうか。これは一生日本で暮らしていたら気づかなかったかもしれない。自分のなかでの当たり前、常識が変化した。

インターンシップを通して


  インターンシップは語学留学とは違い、その国の人々と共に働くことで本当にお互いを理解しあうことができる。語学も学びながら、働くことの意味、自分の将来の方向性を真剣に考える良い機会となるのである。
  ミャンマーに来て約5ヶ月。ここへ来て何が変わったのかと聞かれて今すぐには明確に答えられない。しかし、私の中で確実に変化が生じている。今後の私を大きく変えるであろう何かが。その答えがわかるのはいつになるか分からないが、帰国するまでには1つ答えを出したい。この5ヶ月間、楽しいことばかりではなく価値観の全く違う人々と仕事をする難しさなど苦労したこともあった。本当にこれまで色々なことがあったが、私はミャンマーに来たことを後悔していない。自分の選んだ道は正しかったと断言できる。
  現在の日本にはミャンマーに関する情報が少なすぎる。私はもっと多くの人にミャンマーの良さを知ってもらいたい。そしてもっと多くの人にミャンマーを訪れてもらいたい。これは今回原稿を書かせていただいた理由の1つである。これを機会にミャンマーについて少しでも関心をもってくれる人が出てきてくれればと願う。ミャンマーにいられるのも残り約2ヶ月弱。しっかりミャンマー人に染まって帰りたい。そしてもっと多くのことを学び人間として成長できればよいと思う。運命的な出会いを果たしたミャンマーは、一生忘れることのできない国となった。