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国際人権ひろば No.58(2004年11月発行号)

国際化と人権

ODA(政府開発援助)50年:平和的生存権を実現するODAに

越田 清和(こしだ きよかず) アジア太平洋資料センター理事

『自助努力』のODA


  2004年10月9日、東京で行われた国際シンポジウム「アジアの人びとと語る日本のODA50年」に出席した外務省の和田充広さん(経済協力局国別開発第一課課長)は、「日本の戦後復興には、世界銀行からの融資が役に立った。世界銀行から借りたお金で東海道新幹線や東名高速道路が完成した。そして日本は、借りたお金を全て返済した」と話した。フィリピンやインドなど日本から融資(円借款と言う)を受けている国からの参加者を意識して、借りたお金を返す努力をすれば日本のような「経済発展」をしますよ、と言いたかったのだろう。これは何も外務省の人間だけに限った言い方ではない。世界銀行東京事務所が出しているパンフレットには、新幹線の写真と一緒に「世界銀行の成功例は、日本です」というキャッチコピーが大きく書かれている。
  ODAを専門とする学者も、日本のODAの核の一つは、ODA受け取り国が借りたお金(円借款)を返すために努力する「自助努力」だと強調する。
  「自助努力の概念には、第二次世界大戦後の経済発展に対する日本の自負が込められている。日本は1952年8月、世界銀行に加盟し戦後の復興のための資金を同銀行から借り入れた。50年代の借入は鉄鋼、自動車、産業、造船、ダム建設などに、60年代に入ると道路・輸送部門が主な対象となり、名神高速道路や東海道新幹線などの建設のために借入がなされた」と述べ、こうした経験から日本のODAは「自助努力」を理念に掲げているのだ、と説明する。(注1)

開発援助のもたらしたもの


  たしかに、日本社会に生きる私たちは新幹線や高速道路を利用し、その恩恵を受けている。高速でまっしぐらに目的地に向かうので、短い時間で遠くまで行けるようになった。経済効率から考えると、便利になったことは否定できない。だが、社会を考える時のもう一つの重要な視点である民主主義から見たとき、外務省などが誇る新幹線や高速道路の建設は、はたして今の日本社会に民主的な政治や公正な繁栄、社会的平等をもたらしたと言えるだろうか。
  世界銀行への借金は返済したかもしれないが、新幹線や高速道路など公共事業費は増え続け、国債や借入金による国の債務残高は700兆円を超え、すでに返済不可能な事態になっていることは多くの人が知っている。ODA受け取り国には「自助努力」を求めるが、肝心の国内ではとっくに、そんな努力など放棄している。借金を重ねて無駄な高速道路を造り続けてきた日本道路公団にはとくに厳しい批判の声があがったが、高速道路建設に歯止めはかからなかった。公共事業による政・財・官の利権構造ができあがっているからだ。世界銀行だけを責める訳にはいかないが、巨額の資金を借りて行う戦後の公共事業の土台を作ったのは世界銀行の融資である。この融資は、一方では私たちの暮らしに「スピード」や「便利さ」をもたらしたが、同時に不透明なカネの流れや官僚への権限集中、密室での決定などの非民主的な制度をつくる原因になった。そのことにもっと注目した方がいいのではないか。

日本のODAの特殊性


  外務省などが強調する「自助努力」とは、アジアなどの国にカネを貸して「公共事業」をしてもらうが、そのカネを絶対に返してもらいたい、という理念である。日本では公共事業が破綻したことが誰の目にも明らかになっているのに、外務省が未だに「自助努力」の理念を重視するのは、日本のODAの特殊性と深く結びついている。
  日本のODAの特殊性は、ODAに占める無償援助(贈与)の割合がきわめて低いこと、逆に言うと返済を義務付けた利子つきの融資の割合が高いことである。日本以外の援助国のほとんどでは無償援助の割合が90%を超えているにもかかわらず、日本だけは55.3%である。日本の次に無償の割合の低いスペインでさえ78.1%だから、異常な低さと言えるだろう。
  日本のODAの財源が、一般会計からの歳入と財政投融資などからの借入金の二本立て(ほぼ半々)になっていることが、贈与比率が低い原因だ。郵便貯金や年金基金を財源とする財政投融資からの借入金を使って「援助」するのだから、受け取り国から利子付きで返済してもらわなければ、今度は日本政府(具体的には実施機関である国際協力銀行)は郵便貯金などに返済できなくなる。だから、「自助努力」ということばを使って、受け取り国に返済を求めるのである。
  これは、日本のODA50年の歴史が作り出してきた構造なのである。日本のODAは、1954年に、アジア諸国などの経済開発を目的とした国際機関「コロンボ・プラン」に加入し、技術協力を行ったところから始まった。同じ年に、フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアへの賠償が始まった。賠償を請求しなかったラオスやカンボジアなどには準賠償として無償援助が行われた。この賠償は現金による賠償ではなく、生産物(日本製品)や開発プロジェクトの実施などだった。つまり、日本製品の輸出や海外での経済インフラ整備プロジェクトの受注など、その後の日本企業の「進出」の足場をつくったものだと言えよう。実質的には、この賠償が日本のODAの出発点である。また、今もダム建設や道路整備などの経済インフラ整備に支出されるODAが多いことも、日本のODAの特殊性なのである。

50年を機にODAの変革を


  冒頭に紹介した国際シンポジウムで、インドネシアとフィリピンからの参加者は、日本のODA(とくに円借款)によるダム建設プロジェクトが住民の強制移住や環境破壊、生活破壊をもたらしていることを指摘した。バングラディシュでも、巨大な橋の建設によって同様の問題を引き起こしている。20年近く前から指摘されている問題が、いまだに多くの国で繰り返されているのだ。ODAがほんとうに人びとの必要性と緊急性に応じて出されているのか、この点についての根本的な見直しが世界中から求められている。
  私は、贈与比率が低いこと、経済インフラへの援助が中心であることを、日本の「特殊性」だと批判的に考えている。「日本のODAの理念」だなどと強弁すべきものではなく、改善すべきものだと考えている。それは、援助は世界の不平等をなくすこと、もっと具体的に言えば貧困をなくし、平和をつくりだすために使われるべきものだと考えているからである。そのためには、日本のODAは貧困根絶のための直接的なサービスへの無償援助をもっと増やしていく必要がある。これは何も特別な考えではない。
  2000年9月の国連ミレニアム総会で世界全体が合意したことなのである。日本を含む世界各国は「国連ミレニアム宣言」を採択し、貧困を根絶し、人間の尊厳と平等を促進し、平和と民主主義、持続可能な環境を達成するために努力することを公約した。この宣言から生まれたミレニアム開発目標は、2015年までに極度の貧困と飢餓を半減させるなどの具体的目標を提示し、世界各国の貧困を根絶するために、これまで以上に取り組むことを求めている。日本のODAも、この世界の動きに合流し「援助は貧困根絶を目標とする」ことを明確にしてほしい。ODA50周年は、その絶好の機会だ。
  冒頭の国際シンポジウムの直前に行われていた「援助の現実ネットワークアジア太平洋会議」(注2)は、3日間の議論の後で「人びとの信頼と支持を得るODAを目指して」という声明を出した。声明は日本国憲法の前文と第九条にふれ、「平和および調和の実現、全ての人びとを対象にした繁栄の実現、公正で民主的な社会の実現」を日本のODAの基本理念とすること、その具体的な原則として「民衆中心の原則、最貧層最優先の原則、人間に関わる地球規模の問題解決原則、不公正を防ぐ原則、貧困層のエンタイトルメント(権原:正当な権利)としての援助原則」を提案した。
  この声明の背景には、アジアの人びとが日本のODAにもつ厳しい目がある。それは、日本のODAに「我が国の安全と繁栄の確保に資すること」を目的とする国益論の影響が強くなっていること、米国が進める「テロとの戦い」に協力するためにイラクの復興支援に最重点をおくような「援助の軍事化」が進んでいることへの強い懸念である。
  声明が原則としてあげた「貧困層のエンタイトルメント」という考え方は、日本国憲法前文が掲げる平和的生存権に通じるものだ。ODA50年をきっかけに、ODAが平和的生存権を実現するものになっていくように、私たちからの働きかけを強めていきたい。

(注1) 渡辺利夫・三浦有史『ODA(政府開発援助):日本に何ができるか』46ページ(中公新書、2003年)
(注2) 『The Reality of Aid:援助の現実』という報告書を2年に1回出しているネットワーク。