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国際人権ひろば No.58(2004年11月発行号)

特集:紛争と人権 Part2

フィリピン南部-ゆらぐイスラム教徒の人権

石井 正子(いしい まさこ) 国立民族学博物館・地域研究企画交流センター助手

■ 知人の逮捕


  2002年4月24日、私の知人2名を含む3名のイスラム教徒が突然逮捕された。4月21日、ミンダナオ島南部ジェネラルサントス市のショッピングモールが爆破され、70余名が死傷。3名が事件に関与したという。もちろん彼らは一貫して事件への関与を否定。結局、3名と爆破事件との関連を示す有力な目撃証言、物証はえられず、当局は爆破容疑での送検を断念した。代わりに3名は、銃器等不法所持で拘禁された。度重なる裁判の遅延により判決は下されず、それから1年以上、彼らは食事や衛生状態が悪い拘置所に身柄を拘束された。体力と気力の衰えを心配した家族が、近所の人びとの協力をえて数名分の土地を抵当に入れ、保釈金を集めた。2004年10月現在、彼らは保釈されているが、無罪判決はいまだ下されていない。

■ でたらめな物証と誤った報道



  爆破事件と3名の逮捕は、全国ネットのテレビチャンネルを通じたニュースとなり、また主要紙にも取りあげられた。驚いたのは、その報道内容であった。テレビニュースでは、電気の引込み線やワイヤーが爆発物を製造する材料であるとされ、ありもしなかった短銃が「みつかった」として映し出された。また、新聞記事においては、どう取り違えられたのか、亡くなった人が証言している、というありさまであった。

■ フィリピン南部の紛争


  爆破事件にからむイスラム教徒の不当逮捕、悪条件の拘置所、裁判の遅延、誤った報道、これらは現在のフィリピン南部でみられる人権侵害の氷山の一角に過ぎない。フィリピン南部には、全人口の約7%をしめる少数派のイスラム教徒が生活している。マルコス政権下の1970~80年代、イスラム教徒中心のモロ民族解放戦線(MNLF)が南部の分離独立(のちに自治権)を求め、政府軍との間で武力紛争を展開したことは、よく知られている。1996年9月、MNLFと政府がようやく和平に合意し、約四半世紀の内戦に終止符が打たれたかと思われた。しかし、MNLFの議長ヌル・ミスワリが知事に就任した(1996~2001年)ムスリム・ミンダナオ自治区では、一般住民の生活改善の兆しはみられず、人びとの期待は不安と不満に変わっていった。また、和平に反対するMNLFの分派モロ・イスラム解放戦線(MILF)や身代金目的の誘拐事件を頻発するアブ・サヤフが活動を活発化させた。エストラダ、アロヨ両政権は、こうした動きに対して攻勢をつよめ、一般住民、とりわけイスラム教徒の人権をゆるがしている。

■ 和平合意後の武力衝突


  例えば、和平合意後におきた主な武力衝突だけでも次の通りである。1997年7月北コタバト州でMILFと国軍が衝突し、150人が死亡、6万5千人が避難した。1999年1月、国軍がマギンダナオ州のMILFの基地を攻撃し、11万人が避難民となった。2000年3月、エストラダ大統領は「全面戦争」を宣言し、国軍にMILFの司令部がおかれていたマギンダナオ州アブバカル基地を占拠させた。結果、40万人(90万人という説もあり)が住み慣れた土地を逃れた。
  一方アブ・サヤフは、2000年3月にマレーシア・シパダン島から外国人観光客ら21人を誘拐、また2001年5月にはパラワン島からアメリカ人を含む20人を誘拐した。その4ヵ月後には9.11事件がおき、アロヨ政権は対テロ戦争の名目でアメリカの後ろ盾をえることになった。10月には米軍顧問団26人が来比し、国軍兵士に対アブ・サヤフの訓練をおこなった。2002年1~7月までバシラン島で米比軍事合同演習が実施された。同演習では、演習だけではなく、法律で禁止されている戦闘行為がおこなわれたのではないかと論議を呼んだ。2003年2月には、国軍は再び北コタバト州のMILFの拠点を攻撃し、40万人が避難民となった。

■ ゆらぐイスラム教徒の人権


  過去5年間に、フィリピン南部で40万人が避難する武力衝突が2回もおこっていることは、日本ではあまり知られていない。避難民になるだけではなく、多くの一般住民が銃撃、放火、不当逮捕、拘禁、拷問の対象となっている。とりわけ9.11事件以降は、イスラム教徒に対する差別・偏見がつよめられている。イスラム教徒というだけで、分離運動派側に色分けされ、「テロリスト」と結びつけられる。この空気には、1970~80年代に漂っていたものと同じ不穏な気配が感じられる。当時、多くの一般イスラム教徒は「政府に反対するもの=レベルデ」とみなされ、不当な扱いをうけた。現在、イスラム教徒は「テロリスト」と結びつけられ、就職口を探すのにも苦労している。こうした状況のなか、私の知人は不当にも逮捕されたのであった。

■ 新たな動き


  一方、1970~80年代とは異なる新たな動きもみられる。それは、マルコス独裁政権に抵抗する活動を基盤に育ちはじめた市民団体が、暴力と人権侵害の実態を克明に記録しだしたことである。
  例えば、1974年に設立されたNGO「政治的被拘禁者のためのタスク・フォース(TFDP)」は、人権侵害をリアルタイムでモニタリングし、発信している。
  NGO「カリナウ・ミンダナオ」(2000年設立)は、「中央・西ミンダナオ真実究明および救援・医療ミッション」を組織し、エストラダ政権の「全面戦争」政策を検証した。その報告書は、無差別な銃撃、虐殺、放火、不当逮捕の実態を犠牲者の実名とともに詳細に記している。「カリナウ・ミンダナオ」は、国会議員、宗教指導者、学者、学校関係者など幅広い関係者によって構成され、政府の人権委員会からも注目されている。その人権委員会の前身は、マルコス時代の人権侵害に関する事実を調査するために1987年に設置された大統領人権委員会であった。
  同じくNGO「カラパタン」「スルー市民の会」「モロ・クリスチャン民衆連盟」は、スルー州で「真相究明および医療ミッション」を組織し、宗教関係者、弁護士、政党関係者に対して報告会をおこなった。「カラパタン」は同様のミッションをバシラン島に送り、対アブ・サヤフ戦闘に巻き込まれた一般の人びとの証言を集めている。
  現在、マルコス政権下における人権侵害の追跡調査が、人権委員会等を中心につづけられている。その最大の問題が当時の状況を記した記録が少ないことであるという。人権侵害の状況に関する克明な記録は無い場合が多く、存在したとしても客観的な状況記述ではない。
  これに対し、先述の「カリナウ・ミンダナオ」は、証言の記録者に、事前にマニラなどでパラ・リーガルのトレーニングを受ける機会を設けている。パラ・リーガルとは、弁護士の資格を有するわけではないが、人権に関する基本的知識をもち、支援する具体的方法を身につけた人材のことをいう。このような市民団体の活動により、人権侵害の実態の記録は確実に刻まれている。それらの記録に光が当てられ、被害者の救済に結びつけられることを願う。

<参考文献>
Kalinaw Mindanao (2000), Report on the National Fact Finding, Relief and Medical Mission in Central and Western Mindanao, Kalinaw Mindanao.
Karapatan(2001), Report on the Fact-Finding on Human Rights Violations, Relief and Medical Mission, Quezon City: Karapatan.(2002), Report on the Sulu Fact-Finding and Medical Mission,Quezon City: Karapatan National Office.
Samydorai.S(2003), 9/11 Anti-Terrorist Measures and Their Impact on Human Rights in Asia. In Johannen, U., A. Smith, and J.Gomez, eds. September 11 & Political Freedom: Asian Perspectives, 216-240. Singapore: Select Publishing.
川島緑(2003)「南部フィリピン紛争と市民社会の平和運動:2000年の民間人虐殺事件をめぐって」武内進一編『国家・暴力・政治:アジア・アフリカの紛争をめぐって』アジア経済研究所, 409-449.

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