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国際人権ひろば No.57(2004年09月発行号)

特集2 インド・スタディツアー Part1

エンパワメントを得たのは誰だったのか - インド・スタディツアー報告 -

真嶋 潤子 (まじま じゅんこ) 大阪外国語大学日本語講座助教授

■ はじめに


  伝統的民族衣装をほとんど捨て去り、「西洋化」して国民総ジーンズ化した日本から見ると、サリーかパンジャビ・ドレスの女性しか見られないインドは、不思議で魅力ある国である。裸足で歩く人も多いIT先進国というのも社会の複雑さを示唆している。
  ここでは今回のツアーのうちデリーで訪問した「女性保護連盟」(Nari Raksha Samiti)とアーメダバードの「都市計画パートナーシップ」(Urban Planning Partnership)での見聞を中心に報告する。

■ 女性保護連盟の見学


  この団体は貧しく社会的弱者である人々の中でも、とりわけ弱い立場にいる女性を支援する非営利組織である。その1951年の設立には、ネルー大統領の妻ラメシュワリさんや後に大統領となるインディラ・ガンディーさんも関わり、しっかりした組織としてその活動は国内外に認知されているようだ。
  女性保護連盟の活動は多岐に渡っているが、今回説明を受けたり見学する機会を得たのは、1)持参金問題(持参金が少ないと言って婚家から虐待を受ける女性が後を絶たない)の相談と女性保護、2)人身売買の防止への取り組み、3)「赤線地帯」での「移動薬局」の支援、4)女性への無料のパソコン教室と裁縫教室の運営、5)低所得層女性の医療相談施設、6)学校に行けない子どもたちへの教室などである。インド社会で貧困線以下の生活をしている女性たちの問題は、実に多岐に渡る。以下に特に印象的だった所を報告する。
  まず、G・Bロードと呼ばれるいわゆる「赤線地帯」の「移動薬局」を訪問し、次に警察官の護衛を手配してもらって「売春宿」の見学をしたことである。「赤線」の意味さえ知らなかったこちらのツアー参加者の女子学生にとって、幼くしてどこかから売られて来た女の子が、狭く、暗く、不衛生な環境で、1回50インドルピー(125円相当)からという報酬で売春をさせられているという現場は、ショック以外の何物でもなかったはずだ。
  その建物の中で「見た」(言葉も通じないし、「会った」とは言いにくい)女性たちは、いずれも背が低くて細い。警官に怒鳴られてドアを開けて案内してくれた一番気丈な女性は、「経営者が入院中でいないので、何も話せない」ときつい表情でにらむ。我々が通された3階のタイルばりの床に衣類をこすって洗濯していた女性は、目を合わせてくれない。そのそばにいた子どもは少しおびえている。蠅が飛んでいる。居心地の悪さを感じた。
  「移動薬局」の車で週2回その地域に来るというドクターは、「どんな薬が一番よく出ますか」の問いに「風邪薬や頭痛薬」と答えてくれた。どうしてなのかはわからない。しかし、彼もこの「赤線地帯」で働く女性を支援するひとりであることは事実である。
  女性保護連盟の事務局に戻った我々は、その2階で授業料無料の裁縫教室とパソコン教室を見せてもらった。「外国からお客様が来るからちゃんとしていなさい」と言われたのだろうなと思わせる整列とお行儀のよさ。若い女性ばかりである。数台あったパソコンはWindows 98 を使っているのか、その画面を画用紙に描いたものが黒板に貼ってあった。裁縫教室のほうは、全員がミシンを床に置いて、使い方を習っているようだった。
  組織のリーダーは、「売春婦であれ誰であれ、素性を明かさずに上の教室で学ぶことができる。私ですら、学んでいる人の素性は知らないのだ」と、プライバシーの保護に配慮をしていることに自信ありげだ。このNGOを運営するリーダーたちは「中流階級の上」と自称する、生活に余裕のある女性たちである。彼女たちの活動は全てボランティアでやっているが、運営資金はデリー市からの援助と個人的寄附に頼っているらしい。
  私たちの女性保護連盟での最後は、ショッキングな持参金虐待の被害女性2人との対面であった。ひとりは、子どもが2人ある非識字の女性で、夫は失業しており持参金が少なかったと虐待される。もうひとりは、教育を受けたという若い女性で、店を経営しているという夫の暴力のせいで足をけがしており、痛々しく脚をひきずって入って来た。我々のいる部屋中を悲痛な感情が支配した。結婚の2日目から、「持参金が少ない」「バイクはどうした!」と、夫から暴力を受け続けている。そして今は夫の両親共に、彼女を追い出そうとしている。でも彼女は夫と別れたくないという。
  インドの社会で持参金問題が悲痛なのは、女性が離婚できない、または離婚したがらないからである。離婚した女性、夫に先立たれた女性は、身寄りのない女として、実家の両親(のいる共同体)も受け入れを拒否し、行くところがないという。
  この他に女性保護連盟が取り組んでいるネパールなどからの人身売買については、それを防止すべくインド政府と関係国との交渉が始まろうとする段階だという。まだ、道のりは遠いと言わざるをえない。
  女性保護連盟では、女性が手に職をつければ、そして経済的に自立できれば生きていくことができるからという主旨で、教室を運営しているという。我々が出会った女性たちは、様々な問題を抱え逆境にありながらも必死で生きている様子が印象に残った。

■ 都市計画パートナーシップ(UPP)


  デリー市から飛行機で1時間程度の西南に、グジャラート州アーメダバードという織物業で昔から栄えた街がある。そこの都市計画パートナーシップのオフィスでパソコン、ハイテクを駆使した都市計画、特にスラムの改善計画の概要に関するプレゼンテーションを見せてもらった。人工衛星を使った正確な地図と、それに重ね合わせた数々の地図や図表。熱心に説明をしてくれて「社会のためになる仕事ができて満足だ」「この仕事は一生続けたい」と言い切る聡明そうなリーダー格の女性が印象的だった。ちなみにこの都市計画パートナーシップで働くスタッフたちは皆大卒であるという。
  その後、車で案内された現場は、上下水道とも完備し、「スラム」のイメージとは異なった整備された地区だった。「雨が降っているので今日は学校が休み」だというので、地区の子どもたちがわいわいとみんなで出迎えてくれた。地区の長老らしい男性や若い男女のスタッフが、集会所で地区の物事の決め方や地区の特徴について説明をしてくれた。
  ここでも、途中でマサラチャイ(スパイス・ティー)が振る舞われた。熱いうちに遠慮なくいただく。雨降りにもかかわらず、建物の中は、乾燥していて清潔にされているようだ。路地も家の周りも、手が入れられていて、無駄なものはなくすっきりしている。しかし、幸い雨降りだったからトタン屋根にもかかわらず、暑さを感じなかったのだろう。

■ インドで会った人々とエンパワメントということ


  限られた時間ながらも、今回出会った多くの人たちから私が受けた共通点は「誇り高い人々」だということである。富める者も貧しい者も、みんなが頭を上げて、こちらの目を見てはっきりものを言っている。私には、彼女等から私たち外国人に対して、「あなたの国ではどうですか?」という質問が一度も出なかったのが不思議だったのだが、これも各自が誇りを持って自分の人生を精一杯生きている証だろうか?
  豊かな国だと言われる日本の我々が、自分たちの生活や社会に自信が持てず、むしろこのツアーでは貧しい国だと言われているインドの人たちから、たくさんの元気をもらったように思う。私の向けるカメラに喜んで、素朴で素直な反応を示してくれたスラムの老若男女の人たち、もう会うこともないかもしれないけれど、一期一会を感じた旅だった。
  この度、縁あってこのインド・スタディツアーに参加して、以前から気になりながら機会のなかったインドの大地を踏み現地の人々に出会うことができた。現地事情に詳しいスタッフと通訳の皆さんのお蔭で大過なく過ごせたので、好き嫌いのわかれるインド評だが、私は「好き/魅力を感じる」方に仲間入りできた。お世話になった日本とインドの方、一人一人に感謝している。