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国際人権ひろば No.56(2004年07月発行号)

人権の潮流

アイヌ民族はいま-文化振興法から7年経って

田中 洋一 (たなか よういち) 新聞記者

取り戻して伝える母語


 北海道千歳市の中本ムツ子さんは76歳。アイヌ民族の伝統文化を積極的に受け継ぎ、伝える長老格だ。昨年が生誕100年だった故知里幸恵の「アイヌ神謡集」の音声化をはじめとする業績に2004年度の吉川英治文化賞が贈られた。
 アイヌ文化を担おうと志したのは50歳になってから。アイヌの家に生まれたが、両親も祖母もアイヌ語を子供たちの前で聞かせようとはしなかった。「アイヌは劣った存在だから和人に差別されても仕方ない」。中本さんは自らの文化を蔑み育った。
 札幌から故郷に戻ったのは、結婚して5年目に夫を交通事故で亡くしたからだ。一人娘と、急死した妹の娘も引き取って育てる決意をし、ドライブインを開店する。
 翌1979年2月、近くのアイヌ同胞に集まってもらった。老若男女が店中に30人も集まり、日本語とアイヌ語が飛び交った。昼食をはさみ日は暮れた。最後はテーブルを外に出し、全員が踊りの渦に巻き込まれた。「みんなうれしかったんだ。私もアイヌのことを学びたい、覚えたいと痛切に思った」
 今は千歳アイヌ文化伝承保存会の会長で、千歳と苫小牧のアイヌ語教室と口承文芸教室の講師を務め、小中学校や博物館、様々な集会で全国を歩く。今や晴れ着となった民族衣装をまとい、アイヌとしての体験や文化を語り、神謡集の謡いを取り混ぜる。
 アイヌ文化振興法が97年に制定・施行され、出かける度合いは増えた。旅費と宿泊費が助成されるからだ。吉川英治文化賞を受賞したCD「『アイヌ神謡集』をうたう」と、もとになる著作「『アイヌ神謡集』を読みとく」も同様に出版助成を受けた。

文化は5本柱のひとつ


 80年代に入り、アイヌ民族最大組織の北海道ウタリ協会(会員約4700人)を中心に差別撤廃や生業の安定、教育格差の改善への声が高まる。協会が84年に定めた「アイヌ新法」案は、独自の文化を持つ民族集団に同化政策を強いてきた歴史と責任を政府に認めさせ、その補償として先住権を主張する。具体的には (1)基本的人権 (2)民族議席 (3)教育・文化振興 (4)産業経済の安定 (5)民族自立化基金 (6)民族政策の審議機関--が柱だ。道知事・道議会・ウタリ協会が「アイヌ新法」制定を政府に要望したのが88年。民族議席以外の5本柱はそのまま残した。
 法制定の機運は、アイヌ語伝承や民具保存に尽力してきた萱野茂さんが社会党(当時)から参議院議員に繰り上げ当選し、村山連立政権が発足した94年に盛り上がる。国連が93年を国際先住民年と定めたことも後押しした。コロンブスのアメリカ到達で中南米の先住民族が一方的に支配に組み込まれてから500年間の苦難の歴史を背景に、世界の先住民族は復権を強めた。アイヌ民族もその一員として、民族の要求を打ち出すようになった。国連はさらに本2004年までを「世界の先住民の国際10年」と定め、「先住民族の権利宣言」の起草作業を進めるが、自決権や土地権といった権利に米豪など政府が反発している。
 追い風を受け、文化振興法は成立する。「奇跡に奇跡を重ねた」と北海道大学の常本照樹教授(憲法)が語るように、少数者が法律を通すのは難しい。第1条で「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与する」と目的を掲げ、国と自治体に文化振興施策の推進を課している。基本計画を立てる自治体を北海道と定め、業務を進める財団を設立した。中本さんたちへの助成はこの財団から。事業費は毎年6億円前後だ。
 しかし文化振興法にはアイヌ新法案の5本柱のうち文化振興以外は盛り込まれていない。誇りの尊重がなぜ必要か、文化を振興しなければならない状態になぜ陥ったのか。根拠や背景は読み取れず、先住権もない。さらに、アイヌ問題はこれで一件落着という風潮を社会に産み出したことは否めない。

司法は先住民族と認定


 97年には、重要な別の出来事が起きた。北海道日高地方を流れる沙流川中流の平取町二風谷に国が建設した二風谷ダムの土地収用裁決の取り消しを求めて二人のアイヌ地権者が訴えていた行政訴訟の判決を札幌地裁が言い渡したことだ。判決はアイヌ民族を国連が定義づけた先住民族に該当すると判断し、ダム建設で破壊された文化遺跡への配慮を国が怠り、土地収用は違法と認定した。ただしダム本体は完成していたので収用裁決は取り消さず、形の上で原告の敗訴とした。判決はそのまま確定した。
 政府は国際人権規約(自由権規約)に基づく91年の報告でアイヌを少数民族と認めた。だが先住民族とは認めていない。司法が先んじて先住民族と認定した意義は大きい。
 原告のうち篤農家の貝澤正さんは亡くなり、長男の貝澤耕一さんが訴訟を引き継いだ。貝澤さんは2005年度まで3年間、沙流川の二風谷ダムの上流に国が計画している平取ダム建設に絡むアイヌ文化環境保全対策調査に携わっている。二風谷ダム建設で文化遺跡の事前調査を国が怠り、判決で指弾された失態を踏まえての事業といえる。
 58歳の貝澤さんは、青年時代からアイヌの文化や復権運動に携わってきた。アイヌ民族への社会の目が今より厳しかった時代だ。「当時はアイヌの集会に顔を出しても、おれより若い者はほとんど見かけなかった。今は文化活動に携わればおカネが出るし、アイヌだと言える人が明らかに増えている」と、文化振興法の功績を認める。
 その一方で「アイヌの人たちは概して貧しい。農家や自営業者は生活の保障がなければ文化振興もおぼつかない」と指摘する。文化振興法に基づく助成に、生活を支える側面はないからだ。さらに、「アイヌを先住民族と明記し、他の少数民族も対象とする民族法に改定しなければいけない」と目標を掲げる。
 日本はアイヌモシリ(北海道)や千島、サハリンの領土化をロシアと競い、植民地経営を進めた。その様を「アイヌモシリを日本国に売った覚えも貸した覚えもない」と表現した萱野さんは78歳だ。

尾を引く共有財産問題


 文化振興法の施行と同時に、北海道旧土人保護法が廃止された。1899年に公布された旧土人法には、アイヌ民族の共有財産を北海道庁長官(知事)が当事者に代わって指定・管理するとの一項がある。共有財産は田畑や海産物干し場といった不動産・現金・公債証書類だ。その返還に際して、半世紀以上眠っていた問題が噴出した。
 申請のうち道庁が適格性を認めたのは26件、総額約150万円に過ぎない。これに対してアイヌ民族24人が返還処分の無効確認を求めて行政訴訟を起こした。「共有財産の管理は不明朗で、アイヌ民族が調査に加わり、公正な処理を考えるべきだ」と主張してきた。戦前の財産を額面通りの額で算定したことも怒りを増した。
 2002年3月の札幌地裁判決でアイヌ原告は敗訴した。常本教授は判決はやむを得ないとしながらも、「法体系が元々異なる集団の利害を調整する場合、少数者にできるだけ有利な解釈をするのが多数者の義務」とみる。札幌高裁は04年5月の控訴審判決で原告敗訴を言い渡したものの、北海道庁の公告以外にも共有財産の存在を暗に認め、道庁による管理や点検のずさんさを指摘した。原告は最高裁に上告した。
 アイヌ同胞は北海道庁の1999年の調査で道内に約2万4000人と算定された。一方、東京都内だけで約2700人が暮らす(関東ウタリ会の1989年調査・推定)。民族の定義は主観的側面が強く、社会状況が改善されれば、それぞれ数倍に膨らむとも言われる。
 首都圏の別のアイヌ民族団体「レラの会」会長の長谷川修さんは東京都中野区のアイヌ料理店レラ・チセ(風の家)の店長も務める。56歳の長谷川さんは「先住民族の権利は土地権から主張するのが正当だ。文化振興法は土地権にも先住民族にも触れていない。『民族としての誇り』をいかに強調しても、植民地支配の責任を政府がはっきり認めないと、民族政策は生まれない」と指摘する。
 レラ・チセは2004年5月に10周年を迎えた。長谷川さんは「アイヌが普通に生きられる社会になれば、レラ・チセは必要ない」と挨拶した。アイヌがアイヌだと打ち明けて生きるには肩肘を張らなければならない現実がまだまだある。