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国際人権ひろば No.51(2003年09月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

川イルカが招くバングラデシュ

平本 実 (ひらもと みのる) 元日本キリスト教海外医療協力会ダッカ事務所代表

またあの国に


 2000年の1月から3年間、バングラデシュの首都ダッカに拠点をおいて住んだ。社団法人日本キリスト教海外医療協力会(通称JOCS)というNGOの現地事務所で働くためである。JOCSはアジア・アフリカの途上国へ医療従事者を派遣し、現地の保健・医療の向上に寄与するべく協力活動を行う団体。私自身は医療専門職ではなく、与えられた仕事は首都ダッカに駐在し、バングラデシュの地方で展開されている活動と日本との連絡・調整業務であった。
 今回の滞在の前、1994年にバングラデシュを一度訪問したことがあった。いわゆるスタディーツアーでの短期滞在だったのだが、このとき旅程の最後になんと交通事故に遭ってしまった。けがをして駆け込んだ村の診療所は、まさに野戦病院のようであった。飛び込んできた外国人の我々に対して医師は真摯な態度で接してくれたものの、院内は治療機材もほとんどなく不衛生そのもの。傷口の消毒もほどほど、痛み止めの注射は感染症を恐れて断り、逃げるように帰国した。傷はしばらくして消えたものの、もう二度とこの国には来ないであろうと内心思った。そんなところで3年も暮らすことになった。

大都市ダッカ


 「いやぁなんといっても世界一だから!」と友人は笑いながら話した。2000年、WHOは首都ダッカがメキシコ・シティー、カトマンズを抜いて世界一の大気汚染都市だと発表したからだ。この年の暮れ、私は30代後半になって初めて気管支喘息になってしまった。大気汚染が引き金になったことは明らかである。こういう世界一は勘弁して欲しいと思った。
 しかし、首都の都市化はそれほどまでにすごいスピードで進んでいる。94年当時、ダッカはリキシャ(三輪自転車)が行き交うのどかな街のたたずまいを残していた。その時はまばらにしか見られなかった自動車であるが、いまやバス、トラック、タクシー、乗用車が街中にあふれ各所で交通渋滞を引き起こしている。農村部からの人口流入は続き、住む人はいまや700万とも800万とも言われる。数年後には1千万人に届くと予想する人もいる。自動車以外にも、以前は手に入らなかった外国からの食料品、電化製品もたくさん売られるようになった。買い物にも値段交渉が必要な市場しかなかったのが、値札を付けて売るデパートやスーパーマーケットもでき、各国料理を楽しめるレストランも日増しに増えている。携帯電話で話をしながら街を歩く人も目に付く。
 変化といえば医療面でも同じ。CTスキャンやMRIを完備した民間病院もできた。そこで働く医師の中には欧米など海外で学位を取得してきた者もいる。ただし、医療保険制度などはないこの国のこと、そのようなサービスを受けられるのは高額の医療費を負担できる一部の富裕層に限られる。
 片や農村の状況はといえば、変化はあるもののそのスピードはとても遅い。30%弱といわれるこの国の電化率。電気の大半は都市部に供給される。医療も、公立郡病院の中には簡単な外科手術もままならないところもあるそうだ。冒頭に書いた診療所のようなところもまだまだある。故に医師も多くは地方で勤務医をすることを好まない。
 バングラデシュの一人当たりGNPは約300ドル。最貧国のひとつに数えられている。ただしその貧しさは、国全体が貧しく疲弊した状況から、国の中で貧しい人々や地域、富んだ人たちとの格差が広がる形に変わりつつある。お金さえ出せば先進国と同じような生活もできる。しかしそうでない人は相変わらずの生活が続く。格差を広げながら進む発展、これがグローバリゼーションなのかと考えさせられた。

国際母語デー


 この国の人たちが世界に誇るもののひとつにベンガル語がある。国名のバングラデシュとは、ベンガル語を話す人々が住む地=ベンガルの国を意味する。1971年の独立時、国家建設の軸となったのがベンガル語である。それまでは東パキスタンであったバングラデシュに、西パキスタンの公用語であるウルドゥ語が強要された。それにあらがい、自らの母語・ベンガル語を守ろうと立ち上がった学生たち4人が凶弾に倒れたのは1952年の2月21日。このできごとをきっかけとして独立運動の気運が高まっていく。ダッカ大学の構内にはこの殉死学生を追悼するモニュメントが建てられていて、毎年2月21日には大統領、首相をはじめ国民が総出で詣でる。この月には各所でブック・フェアも開催され、ベンガル語で出版ができることを祝う。国民の識字率はまだ50%前後といわれるが、言葉や文字に対する人々の誇りは高い。世界で唯一、言葉のために戦った国、と自らの国を評する人もいた。
 2000年にはユネスコが提唱してこの日が「国際母語デー(International Mother Language Day)」に定められた。世界の人々それぞれの母語が尊重されるようにというのがこの日を記念する趣旨である。ある日、村でこの国際母語デーについて話題にしていると、青年の一人が嬉しそうに言った。「これからはベンガル語が世界共通語になるんだって!」...これには苦笑してしまった。

自分の子だってこの手で!


 「わたしゃこの手でこれまで100人以上は取り上げてきたんだよ。私自身の子だって自分で取り上げたんだからね!」と威勢良く話す村の女性。TBA(Traditional Birth Attendant=伝統的出産介助者)の集会での一場面である。その言葉はあながち嘘とも思えないほど、その人はたくましく見えた。
 JOCSはかつてバングラデシュの南部、ボリシャル県の村で活動する小さなNGOに日本から保健師を派遣していた。現在、その団体が行う保健教育・結核対策事業に資金と技術協力を行っている。その活動のひとつにTBAの研修がある。TBAとは専門的な資格を持たないが、家族や友人から出産介助の方法を学んでお産に立ち会ういわゆる産婆さんである。バングラデシュでは9割近い人が病院でなく自宅で家族やTBAの手を借りてお産をする。乳児死亡率、妊産婦死亡率が依然高い数字を示すこの国で、このTBAが適切な知識、技術を身につけることが安全な出産を推進するために大きな役割を果たす。このようなTBAや地域で活動する保健ボランティアの大半は女性である。彼女たちの力強さには、高額な医療費が支払えなくても、高度な医療器具がなくても、健康な暮らしは自らの手で作り出していこうという気概が感じられる。
 伝統的にこの国では女性は家の外に出ないことをよしとし、社会との接点が制限されてきた。しかしNGOなどの働きかけにより、その様相は着実に変わってきている。グラミン銀行で知られるマイクロクレジット(小規模融資)の利用者は貧しい村の女性たち。彼女たちが現金を手にして起業をしていく過程で、その社会的地位も徐々に向上してきている。慢性的に高い失業率の中、時には妻が一家の家計を背負っている例も見られる。元気な女性、この国が誇りにしていってよいもののひとつになる日はそう遠くないかもしれない。

川イルカ


 バングラデシュの国土を横断するように流れる大河ガンジス(バングラデシュではポッダ川と呼ぶ)。2001年に亡くなった元ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリソンの遺灰はこの川に流されたということである。30余年前、この国は独立戦争を戦い、その結果、大量の難民と飢餓に苦しむ人々が発生した。彼は、その窮状を救おうと呼びかけ米国でチャリティ・コンサートを行った。これは、いわゆるアーティストによる救援チャリティ・イベントの先駆けとして知られている。彼の死はバングラデシュでも大きく報じられた。
 その大河を泳ぐ川イルカ。たまにしか見られないが、それを見た人はまたこの国に戻ってくる、という言い伝えがあるそうだ。実は私は何度も目にしてしまった。さぁ、次はいつまた訪れることになるであろう。

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