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国際人権ひろば No.49(2003年05月発行号)

特集1・国際的な民主主義と人間の安全保障を考えるPart 2

イラク占領後の世界秩序と人間の安全保障 -グローバルな新しい社会運動に向けて

羽後 静子 (はのち せいこ) ヨーク大学国際安全保障研究センター所員

■ 「恐怖」と「不安」の時代


 わずか、1ヶ月足らずで1つの国家が崩壊し、イラク市民は突然の無秩序状態のなかに放り出され、恐怖に怯えている。ここにきて、アメリカの軍事的経済的もくろみが明らかになってきた。アメリカ政府は軍事攻撃を始めてまもなく、油田の消化活動も道路や水道の復旧事業もすべてアメリカ企業に発注しており、受注企業には数百万ドル、いや数十億ドルが転がり込むであろうとニューズウイークは伝えている。受注企業のなかには、共和党とつながりの深い建設大手のベクテル・ディック、チェニー副大統領がCEO(最高責任者)を務めていた石油開発大手のハリバートンも含まれている。油田消火ビジネスを手がけるブッシュ大統領の出身地であるテキサス州のブーツ&クーツは、すでにイラク南部のルメイラ油田で消火活動にあたっている。(NEWSWEEK 2003.4.16)
 「アメリカ本土防衛」と 「イラクの民主化」という大義のもとで行われた侵略戦争は、グローバル化時代の象徴的出来事でもあり、アメリカ主導のグローバルな新帝国主義による世界秩序ができつつある。そして日本は、「血を流した」同盟軍ではないにしろ、いち早く「米国支持」を打ち出したことで米国からは、英、豪など実際に兵を出した国に準じた扱いを受けているという。(朝日新聞、2003年4月13日)
 グローバリゼーションの正体と限界が露になってきたともいえるかもしれない。「大競争」をルールとするグローバリゼーションは、手段を選ばず、巨大な軍事力をも伴った力によるゲームでしかないということだ。イラク占領後の世界秩序を手に入れようとするアメリカの新保守主義のグループにとって、かけがえのない地球は、単に地球規模の市場にしか映らないのだろう。そしてイラクは、石油市場の要所としてのイラクなのである。アメリカ主導のグローバルな軍事化と新自由主義経済のグローバル化の中で生きている私たちは、「恐怖」と「不安」の時代を生きているのである。このような認識を出発点にすることによって、「人間の安全保障」は、わたしたちにとって身近で切実な問題となってくる。

■ 「国家安全保障」による「人間の安全保障」侵害の逆説


 冷戦後、「人間の安全保障」をめぐる政策論争は、1994年の国連人間開発レポートに登場したことから始まった。
 2001年1月24日、コフィー・アナン国連事務総長と緒方貞子前国連難民高等弁務官は、記者会見をし、人間の安全保障委員会の設立計画を発表した。同委員会の創設は、コフィー・アナン国連事務総長が国連ミレニアム・サミットへの報告で「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」という2つの目標を21世紀の最優先事項とすべきであるとの提案に応えるためであるとした(外務省プレスリリース)。
 国連は、アマルティア・セン、ケンブリッジ大学トリニティカレッジ学長と緒方貞子氏を共同議長とし、議長以外に世界各地から10名のメンバーによって国際委員会を構成、03年5月1日にコフィ・アナン国連事務総長に最終報告書が提出された。
 日本政府は、故小渕政権の時代の98年12月2日、演説「アジアの明日をつくる知的対話」において、「人間の安全保障」という概念を打ち出している。アジアにおける経済危機に対処するために、「人間の安全保障」の観点に立って、社会的弱者に配慮しつつ、この危機に対処し、この地域の長期的発展のために人間の安全保障を重視した経済発展の戦略を考えていく必要があると強調している。そして「人間の安全保障」とは、人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取り組みを強化する考え方と定義している。しかし、批判的見方をすれば、ここでの問題は、(1)「国家安全保障」と「人間の安全保障」がどのような関係にあるのかに全く触れられていない。「人間の安全保障」を日本外交の1つの柱に位置付けながら、ODA政策だけに問題を閉じ込めている。(2)「あらゆる種類の脅威」の中身として、日本政府は、途上国からの「不法移住者」、HIV/エイズ、麻薬、組織犯罪などを想定しており、日本の「外」から来る脅威、恐怖、つまりこのような「外敵」に対する脅威や恐怖は、アジアなど途上国に対する人種主義的差別感に基づいているといえる。
 しかし、現在すでに起きていることは、「国家安全保障」の名のもとに、グローバルな軍事化と警察権力の拡大が進み、それによって人々の安全は、ますます脅かされ、不安になっているという逆説であり、さらに「人間の安全保障」が「国家安全保障」の補完的な役割として、戦争の後始末やODAの大義名分に利用されていることである。このような外交戦略が制度化していくならば、運動の側は、民衆のための「人間の安全保障」を構築していかなければならない。

■ 民衆のための「人間の安全保障」を求めて


 以上のような問題関心をテーマにした国際会議が3月17-18日に東京、国際交流基金国際会議場で開かれた。テーマは「人権と人間の安全保障のためのより良いネットワークの構築」(共同主催-マサチューセッツ工科大学人権・正義プログラム・所長のバラクリシュナン・ラジャゴパル教授と中部大学中部高等学術研究所・所長の武者小路公秀教授)。
 武者小路教授は、「人間の安全保障と人権」-とりわけ経済的、社会的および文化的権利-の持続的な保護のために、は草の根の社会運動とNGOとが、ともにその共通の目的のために協働することが不可欠であることを強調した。
 会議では、フィリピン、インド、マレーシア、スリランカなどアジア各国からのパネリストによって人権ならびに人間の安全保障についての取り組みにおいて、NGOと社会運動がより効果的に結びつき、問題解決のためのネットワークを形成していくことの重要性が強調された。
 また国連の役割についても、国家間外交が行き詰まっている現在、NGOの役割がますます重要であることが話し合われた。安全保障理事会を無視することは、短期的には国連を弱めることになる。つまり国際連盟と同じ運命を辿ることになる。国連を忘れてデモだけに参加するのではなく、国連もNGOの力で強化していかなければならない。
 最後に世界社会フォーラム、ならびにアジア社会フォーラムを含む、最近のグローバルな社会運動を例にとり、アジアとアメリカ、日本の研究者、NGOや新しい社会運動体が意見交換をして、今後の対話を促進するために世界社会フォーラムやアジア社会フォーラムのフォローアップが各国で必要であることが強調された。
 世界社会フォーラムは、以下に述べるように、市民社会の周辺部あるいは外部に位置付けられる社会運動、例えば地域農民運動などが中心になって組織しているグローバルな連帯行動のフォーラムで、そのダイナミックな運動形態が注目されている。

■ グローバルな社会運動の時代へ- 「もうひとつの世界は可能だ」


 世界社会フォーラムは、01年1月25日-30日、ブラジル・ポルトアレグレで開かれ、「もうひとつの世界は可能だ」を共通戦略として世界各地から16,000人にのぼる参加者が結集して、グローバル経済や、軍事化などについて毎日大会議や分科会が開かれた。世界社会フォーラムは、同じ時に地球の反対側にあるスイス・ダボスで開かれていた世界経済フォーラムに対抗する会議であった。第二回の世界社会フォーラムでは、131各国から6万人が参加、参加団体は、5,000を超えている。参加者の大部分は、農民運動、労組、女性、青年、住民組織など社会運動の担い手であった。
 また、今年1月2日から7日にかけては、インドのハイデラバードでアジア社会フォーラムが開催された。01年からブラジルのポルトアレグレで開催されてきた世界社会フォーラムと連動する最初のアジア地域フォーラムであり、1年にも満たない準備期間のなかで、100あまりのインド国内の運動体が中心となって主催され6万人が参加した。このように、グローバリゼーションやグローバルな軍事化に抵抗し、そうではない、民衆による民衆のための世界を模索しようとする運動は、年々大規模になっている。民衆のための「人間の安全保障」もこのような市民社会を取り巻く運動や現実を踏まえたところから、構築されていくべきであろう。

参考文献:
ピープルズプラン研究所発行『ピープルズ プラン21』2003年冬。
北沢洋子著『利潤か人間か』2003年、コモンズ。
拙稿「人間の安全保障とジェンダー、批判的政治経済学の視座から」『平和研究』2003年、早稲田大学出版部。