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国際人権ひろば No.39(2001年09月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

カンボジアで出会った「2001年ボランティア国際年」

藤本伸樹
ヒューライツ大阪

アンコール・ワットの町で

 すさまじい勢いの雨が地表を打ち始めた。路面がみるみる一面の池に変わっていく。八月上旬、灼熱の大阪を抜け出して、スコールが見舞う雨期のカンボジアにやってきた。

 まだ見ぬカンボジアを歩きたいという好奇心と、日本からNGO活動のためにやってきた人たちを訪ねてみたいという興味に押されての旅であった。

 首都プノンペンから北西へ二五〇・。世界遺産として知られるアンコール・ワットをはじめ数々の遺跡が存在するシェムリアップの町。安宿から高級ホテルまでたくさんの宿泊施設が建ち並び、外国人旅行者の姿が目立つ。なかでも日本語がそこらじゅうで飛び交っている。今後も増え続ける観光客を見越して、町のあちこちでホテルの建設工事が行われていた。

 この町にある「クメール伝統織物研究所」でボランティアをする高口しのぶさんを訪ねた。この研究所は、京友禅の染め織りのベテラン職人である森本喜久男さんが、カンボジアの伝統的な織物である「クメールがすり」の復興と活性化をめざして設立した非営利団体である。一九七〇年代以降の内戦などが原因で、クメールがすりの作り手も需要もほとんど消滅しかかっているなかでの試みだという。

 民家を改造して事務所と作業場を構える研究所では、カンボジアの生糸を使って、果物やココナツの皮などが持つ自然の色で染めて、手作業で複雑な絵柄を織り上げている。

 高口さんは、大学卒業時の二〇〇〇年春に出かけた旅で、知人の紹介をつてにこの研究所に立ち寄ってみた。そこで、森本さんから手伝いを頼まれたのである。もともと、東南アジアでの生活に興味があったうえ、織物の魅力にひかれたため、飛び込んでみることにしたという。

 その年の七月から住み込んで、丸一年がすぎた。彼女は、ここで一口でいえば作業に携わる五〇人ほどの女性たちのコーディネーターの役割を担っている。より優れた作品づくりのためにアドバイスを行ったり、事務所内に資金確保のために出している店にやってくる日本や欧米からの観光客の応対に努めている。

 「私が心がけているのは、昔から受け継がれきた技術を少しでも女性たちから引き出すような環境作りをすることなのです」。そう言いながら、高口さんは、実践で身につけたクメール語で機を織る女性に声をかけている。この研究所は営利を目的としていないだけに、利益があがるわけではない。従って、彼女はつつましく生活できるだけの手当を受け取っているだけなのである。それでも、人々とのふれあいの中で伝統技術を応用した新たな作品を共同で企画していくことの喜びは大きい。しかし、解決の難しい課題もある。

 「伝統織物の活性化という目標を掲げながら、素敵な織物をめざそうとすればするほどコストもかかり、この国の庶民にとって手の届かない高嶺の花になってしまっているのです」。

 このまま活動を続けていきたい気持ちの傍らで、自分の将来を考えたとき、迷いもいっしょについてくる。自分を探すこのアジアの旅の行き着く先はどこなのか、彼女にはまだその結論は見出せないという。

プノンペンで

 プノンペンの住宅街に「シャンティ国際ボランティア会」(SVA)の事務所がある。SVAは、タイに逃れたカンボジア難民の救援を目的に、曹洞宗によって結成された組織を前身とし一九八〇年以来活動を続けるNGOだ。東京事務所に加え、タイ、ラオス、カンボジアに事務所を置き、教育・文化支援に取り組んでいる。

 内藤広亮さんは、この八月からカンボジア事務所長に就いている。内藤さんがはじめてここにやってきたのは九六年のこと。会社を六〇歳で定年退職し、住職になろうと出家して一年ほど修業を積んだあと、ボランティアとしてやってきた。外資系商社で財務関係の仕事をしていた経歴から、英文会計の指導を任されたという。

 一年間滞在した後、日本に帰国して二年間は修業に戻った。九九年初頭に打診を受け、再びカンボジアにやってきたのである。

 SVAカンボジア事務所では、印刷、縫製、電子などの分野における職業訓練や図書館事業、学校建設、児童館などの活動を各地域で進めている。

 曹洞宗の住職になるつもりだった内藤さんは、気がついたら四〇名近いカンボジア人と六名の日本人スタッフを抱える大所帯のNGO事務所の統率役となっていたのである。

 「若いスタッフたちが、いろんな工夫を試みながら伸びていく姿を見るのがとても楽しいです。カンボジア人スタッフの中には、タイの難民キャンプで育ち、いまこの事務所で活躍している青年もいるんですよ」。内藤さんはいきいきと語った。

国境を越えた草の根の連携

 私は、短期間で観光とNGO訪問という欲張った今回の旅の終わりに、プノンペンの街をスコールの間隙をぬって駆け足でめぐった。七〇年代後半のポルポト政権時代に「反革命分子」だとみなされて老若男女二万人以上が収容され拷問・殺害された建物に、独房や犠牲者の写真、頭蓋骨がそのまま保存されているトゥール・スレン博物館や市場、寺院などを訪ねた。人が集まるところどこでも、地雷で足を飛ばした人たちが物乞いをしていた。

 この国の人々が政治・経済・社会的に内戦の傷を癒すにはまだ長いプロセスが必要ではないか、というのが率直な印象だ。しかし、逆境の克服をめざすチャレンジも息づいていることを知った。

 いまカンボジアでは、教育や開発など様々な分野で草の根活動の連携が進み、徐々にその輪が広がっているようだ。今回出会った人々以外にも、国境を越えた多くのボランティアが奮闘しているだろうし、これからも無数の高口さんや、森本さん、内藤さんが現れるに違いない。

 私が垣間見た「二〇〇一年ボランティア国際年」の夏であった。