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国際人権ひろば No.35(2001年01月発行号)

特集 人種主義・人種差別とは何か Part.1

人種主義と世界経済

ロドルフォ・スターベンハーゲン(Rodolfo Stavenhagen)
反差別国際運動 [IMADR] 理事、メキシコ大学教授

 反人種主義・差別撤廃世界会議の準備として出された国連文書(A/CONF.189/PC.1/10、2000年3月8日)によれば、「人種主義」、「人種差別」の形態、種類、定義は一つではないとしている。いつも目に見えるとは限らず、存在が否定されることもあるとも述べている。つまり定義は簡単ではないということだろう。
 ヒト・ゲノム(人間の全遺伝情報)の研究はすでに人種的な優劣の迷信を科学的に否定したものの、政治的、経済的、文化的な背景によって人種主義・人種差別は様々に浸透している。そのため、それは現在様々なテーマと問題をもって取り上げられている。

人種差別と国際的移住

 今日では、人種主義(racism)の概念とそのもつ意味は、過去何十年そうであったような植民地主義やアパルトヘイトと直接結びついたものではもはやない。むしろ、今日の世界経済の変化、主として第三世界から富める国への貧しい人々の大量の移住と結びついたものとなっている。国際的な移住には複数の原因があり、今、現象面ではグローバル化した経済のメカニズムと密接につながっているものの、同時に多様な経済的、法的、政治的条件の下で起こっている。多くの側面がある中でも人種主義や人種差別についての懸念に照らして特に注視すべきものは、移住者とその受け入れ国の人々が異なる国籍だけでなく、しばしば、異なる人種的背景、文化的伝統、宗教的信条、民族的(ethnical)アイデンティティーをもっているということだ。これらが、民族的な変化や区別のプロセス(過程)を際だたせ、ひいては、競争、拒絶、敵意、分離主義、排除、隔離といった個人や集団の態度につながる可能性をもつ。頻繁にこれらのプロセスは民族的に共生できないという考え方を強めてしまい、(特に若者の間では)ある種の集団形成に伴っての集団的な敵意、そしてある時にはあからさまな暴力の表現に至る可能性がある。

 この文脈で特に懸念されるのは、すべての類の社会問題や社会の病癖の原因について、移住者や外国人もしくは人種的、民族的マイノリティが非難の対象となる傾向である。もちろんマイノリティを犠牲にすることは新しい現象ではない。しかし、それが経済的な不況もしくは危機の時代に起こる際には、規制的な移民政策や社会政策に至りやすくなり、移民受け入れ国の人々の間で拒絶主義者の考えや差別的態度が表われ、強化されるのである。さらに、そのような環境の中では大衆の意見や司法までもがいくつかの民族的、人種的マイノリティを「有罪」としやすくする。

 移住の結果として、多くの受け入れ国の人種的、民族的構成は急速に変化している。これらの社会変化は明らかにより大きな文化的多様性を生み出すものの、移住者がいつもその国の人々の共感をもって受け入れられるとは限らない。実際、受け入れ国の一部の人々は、見た目も振る舞いも異なり、理解できない言葉を話し、異なる神を崇拝し、存在感を増している外国人に脅威を感じるだろう。

民族的集団の「人種化」

 今日の外国人排斥の特に重要な特徴は、それが一般的に信憑性のない疑似科学的な理論や人間の生物学的なランク付け、民族集団の特徴づけ(例えば知能)、人種的純粋性、「国民」たりうる根本要素などについての特定の人種的、民族的イデオロギーに多くの場合支えられているという事実である。また、それらのイデオロギーがしばしばマスメディアによって普及宣伝され、しばしば構造的、組織的に説明づけされる。文化的、民族的な違いはそれ自体が拒絶的な態度やイデオロギーの主たる原因ではない。より重要な要素は多くの移住者が貧しいということ、貧しい国から来ているということである。例えば、移住者は生産性が低く、低賃金の仕事に就き、経済的な隙間に入り込んだり、経済のインフォーマルセクターにいたりしている。民族的な結びつきが理由ではなくほとんどは住む場所が限られるために都市のスラム街に集まって住んでいる。民族的、人種的に異なり区別できる都市の居住プロジェクトの様子、掘っ建て小屋や劣悪な都市内部の近隣地域、失業率が高く将来への望みは薄いこのような環境はよく知られている。そして人生の他の選択肢がないばかりに当然、ドラッグや暴力が拡散する。

 「人種」という考えが一般的に目に見える遺伝的で身体的な特徴と関連する一方、「民族的集団」の概念は主として住民の中での(言語や宗教をふくむ)文化的な違いに関わる。それは人種とは対照的に、ある状況(時に同化、文化変容として知られるプロセス)のもとで選択次第で変化する。多くの移住者が人種的な基準によって受け入れ国の人々と区別が可能である一方で、移住者によっては文化的あるいは民族的な基準によって認識される。

 もし人種主義の考えと行動の組み合わせによって、現実や意識の上で、ある民族的集団が人種的かつ(あるいは)民族的特徴を理由にその社会で差別されると理解されるならば、20世紀の終わりの人種主義はもはや植民地主義やアパルトヘイト、ナチズムというよりむしろ、外国人排斥と社会的排除であると新たに認識すべきだろう。それは、国際的な移住や新たな種類の民族的、人種的マイノリティの登場、そしてグローバル化する経済の中でますます広がる「持つ者」と「持たざる者」の間の持続的な不平等と関連している。

 「人種」が社会的な構成物であり「人種化」が社会的、政治的プロセスである場合には、グローバル化した社会の中で、多数を占める集団や大衆の意見によっていくつかの民族的集団が「人種化」される。実際または想像上の(作られた)生物学的かつ(あるいは)文化的特徴に基づいた違い、不調和、敵意、排除、差別、共同性の拒否を表わすために、一般的に「人種」の概念が拡大して使われる。つまり、人種主義は「人種的」な集団だけではなく、「民族的」な集団にも向けられる可能性がある。

重みを背負った「人種」の概念

 人種が人種主義を生むのではなく、むしろ人種主義が「人種」を生む。これは単なる言葉の言い換えに思えるかもしれないが、現実的で政治的な意味を含んでいる。その昔、「人種」は何か本質的で不変のもの、人間をお互いにいつまでも区別する特徴として考えられていた。今日ではそれはむしろ社会的に作られた違いを指し、その中身は状況の変化によって変化するものである。「人種」という言葉は単に記述的な語から変化し、社会的不平等の視点、人間の進化の理論、そして政治的行動の展開を含む非常に重みを背負った概念へと変化している。したがって、経済的、政治的な不安によって駆り立てられる「人種」についてのイデオロギーは、しばしば内集団としての本質的な「我々」の要件を満たしていない「他者」である特定集団へと向けられる「人種主義」の日常的な行動となる。脅かされたアイデンティティが経済的な競争と相まって、もしくは伝統的な民族的テリトリー(近隣やコミュニティ)が結合力を失い断片化した時、人種主義的イデオロギーは都合のいいスケープゴートを簡単に見つける。そして問題を抱えた社会的関係が「人種的関係」となって人種主義が確固たる社会的な力をもつこととなる。

 人種主義はかつては主に偏見やステレオタイプ(定型化した考え方)に根ざし、ある個人が「人種的に」異なる他の人や集団に関して抱いているひとつの考えとして理解されていた。それはかつては根絶すべきある種個人的な障害もしくはせいぜい集団的な病弊と見なされていた。しかし今日、世界経済の変化によってさらに広がっている現象は「制度化、構造化した」人種主義であり、上記に概説したような移住者、もしくは世界の様々な地域の国民国家の中で生きる先住民族、また、古い国家で長く確立されてきた民族的マイノリティの置かれている状況の中に私たちはそれを見るのである。

* この文章は、「人種主義と人権についての会議」(1999年、12月スイス・ベルソー)で発表された筆者による文章(Structural Racism and Trends in the Global Economy)の抜粋であり、また、反差別国際運動(IMADR)の英文機関誌Connect, summer 2000, volume 4にも掲載された記事です。筆者およびIMADRのご好意によりヒューライツ大阪で翻訳し掲載させていただきました。