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国際人権ひろば No.115(2014年05月発行号)

特集 障害者の権利保障への地方の取組

障害者の権利保障のための地方の取組-京都府条例について

松波 めぐみ(まつなみ めぐみ)
障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会 事務局員

 はじめに

 
 2014年3月11日午後、京都府議会最終日の傍聴席に、障害当事者、支援者ら、条例づくりに関わってきた十数名の姿があった。私もその一人である。「障害のある人もない人も共に安心していきいきと暮らしやすい社会づくり条例」議案は満場一致で可決。私たちはその瞬間を見守り、喜びを分かちあった。
 障害者権利条約を日本社会でどう活用していくのか。それも一般の人、特に障害当事者にとって、条約(および法律や条例)が「現状を変えるために有効なもの」と感じられるようになるためには何が必要なのか? 法律や条例で何が変わるのか? ――こうした関心をもとに、私は京都での条例づくりの運動に2008年末から関わってきた。
 地方条例そのものの意義については他の方が書かれていると思うので、本稿では京都の条例制定プロセスの特徴を中心に述べてみたい。なお、成立した条例(2015年4月施行予定)は京都府のHPで見ることができる。(http://www.pref.kyoto.jp/shogaishien/jyorei.html)
 

 京都の条例づくり運動のプロセス  ~「当事者参加」を中心に~

 
 京都で条例制定の動きが本格化したのは2012年初頭であるが、「いずれ条例をつくりたい」という希望が語られはじめたのは2008年頃だった。条例制定のプロセスは道府県ごとに異なる。以下、京都での大まかな流れを箇条書きする(集会、勉強会、ロビイング、タウンミーティングは省略)。
 運動側の主体である「京都実行委員会」(=20以上の団体のネットワーク組織)に注目してほしい。
 
 2008年春~ 
有志により、障害種別をこえた団体間のネットワークをつくることが模索される。
 2009年1月 
「障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会」を結成。以降、隔月で例会を開催。
2014年1月は44団体が加盟。
 2010年3月
京都実行委員会より、京都府知事に条例をつくる「要望書」を提出。    
 2010~11年 
京都府が「差別事例」の募集をホームページ上などで実施。同時期、京都実行委員会も亀岡など各地でワークショップを開催し事例収集。
 2012年1月 
京都府が「条例検討会議」を設置。委員33人指名(半分は障害者団体等から)。
→京都実行委員会が「知的・精神障害者が入っていない」と抗議。枠を新設。
 2012年3月 
京都府が第一回「検討会議」を開催。(~2013年9月の第13回まで)
→京都実行委員会が「女性の障害当事者がいない」と指摘。「女性障害者」枠を新設。
 2012年8月 
京都府が第二回「検討会議」を開催。それに合わせ、京都実行委員会が「検討部会」(誰でも参加OK)を開催。以降も同様。
 2013年9月 
「検討会議」第13回で終了。(検討部会も第16回まで開かれた)
 2013年10月 
京都府が「骨子案」を発表し、パブリックコメントを募集。→運動側は「パブコメを送ろう」と全国に呼びかける。→最終的に、898通のパブコメが寄せられる。
 2014年3月11日 
府議会本会議で条例採択。
 
 ポイントを二点述べよう。まず条例作りに先立って、障害種別を超えたゆるやかなネットワーク(京都実行委員会)をつくっていたことだ。例会や学習会を通してふだんから相互理解をうながし、連帯感を醸成してきた。条例制定が本格化する前に運動側の主体ができていたことは、京都府と話し合いながら条例を進める上で有効だった。
 次に、実質的な「障害当事者の参加」があった。「われわれ抜きでわれわれのことを何も決めるな!」(Nothing about us, without us!)が障害者権利条約策定時のスローガンだったことは知られている。従来あまりにも障害者の声を「抜き」に、法や障害者施策が決められてきたからだ。しかし「当事者の参加」がアリバイにされたり、声の出しにくい障害者が疎外されることもある。2012年当初の検討会議委員には、「知的障害、精神障害の当事者」が含まれていなかった。京都実行委員会からの抗議でそれぞれの当事者枠が設けられ、さらに女性障害者の枠もできた。各団体代表に女性障害者がいないということは、障害者団体内の女性差別の表れともいえるが、あえて女性障害者枠が設けられたことは、後述するように、大きな成果をうみだした。
 「当事者参加」の質を高め、実効性ある条例を作るために運動側(京都実行委員会)が設けたのが「検討部会」である。「検討会議」は形式的なところがあり、「言いっぱなし」で、詰めた議論はできなかった。それに対して、私たち運動側が設けた「検討部会」には、誰もが参加でき、詰めた議論によって合意形成をはかることができた。検討部会での議論は必ず「検討会議」にフィードバックされた。つまり、形式的な「当事者参加」でなく、より多様な声を反映させた条例にするために知恵を絞り、実行したことが京都の条例づくりの特徴と言えるだろう。
 テーマ別の議論で厳しい現実に直面したり、京都府側の姿勢が不透明で悩んだりする中で、「条例にどうしても盛り込みたいことは何か」「どんなしくみができれば、現実を変えられるのか」を、真剣に話し合うこともあった。そうした中で、当初は難しいと感じられていた障害者権利条約の理念―たとえば「社会的障壁」、インクルージョン、「合理的配慮」、複合差別etc―も、少しずつ咀嚼されていったように思う。プロセス全体を通して、違う障害の人、違う立場の人(企業関係者等)と話し合う機会が多くあった。
 

 「障害のある女性への複合差別」の条文化  ~当事者委員の思いの共有から~

 
 京都府条例で特筆すべきは、全国の条例のなかで唯一、「障害のある女性への複合的な困難」について条文化されたことだ。むろん京都府が自主的に入れたのではない。京都府の検討会議に「女性障害者」枠が設けられたことは先述したが、委員となった村田恵子さん(京都頚椎損傷者連絡会)はこの問題を自らのものとして真摯に受け止め、勉強し、検討会議に意見書を出すなど問題提起を続けた。検討部会でも何度も「女性障害者」問題を話し合い、他の委員、他の女性障害者を含め、まわりの人々を巻き込んでいった。私自身、彼女の真剣さに圧倒され引き込まれた一人である。
 障害のある女性が「障害者であり、女性であること」で複合的な差別・抑圧を受けており、締約国はこの問題に取り組むべき――と障害者権利条約第6条で明記されている。しかし国内の法律では明文化された既定がない。(たとえば2011年の障害者基本法改正では、「性別」への配慮という、きわめて不十分なかたちで言及されたのみ。)それに対して、たとえばDPI女性障害者ネットワークは、熱心に政策提言に取り組むとともに、実態調査報告書も出していた(2012年)。こうした動きにも励まされながら、女性障害者委員になった村田さんは、問題の重要性(一例として、望まない異性介助、性暴力や虐待の被害、女性施策・障害者施策のどちらの窓口でも適切な対応を受けられないこと、育児支援が受けにくいこと)を語り、条文化を求めていった。村田さんの一貫した姿勢は、私を含めた皆に影響を与えた。「女性障害者」問題に関わる学習会やシンポジウムも複数回行われ、地元新聞の取材もよく受けた。こうした努力の結果、2013年10月のパブコメ募集では、「障害女性への複合差別」に関わるものだけでも140通のパブコメが全国各地から寄せられたのである。最終的に京都府が出してきた条例案に「障害のある女性への複合的な困難」(配慮の必要性、相談窓口で扱えること)が明記されたのは、約二年にわたる努力の積み重ねの結果にほかならない。
 

 おわりに

 
 「条例ができたら差別がなくなる」と信じる人は皆無である。だが、足掛け5年の条例づくり運動がいったん区切りを迎えた今、確かに条例は変化をうみだしうると思える。それは、差別にかかわる「ものさし」ができること(=どういう場面で何をしたら不利益取り扱いにあたるのか等)、「相談を問題解決につなげるしくみ」ができること(例:特定相談、調整委員会)はもちろんだが、立場や利害をこえて「話し合う」場をもつこと自体が、人の意識を変えていくことを実感したからだ。
 条例で定められた「しくみ」がどれだけ有効に働くかは未知数だ。たとえば女性障害者が本当に相談しやすい窓口ができるのか。適切な職員研修が行われるのか・・・。だが、条例づくり運動を経験した私たちは、これからも注意深く見守り、意見を述べていくだろう。
 条例づくりの動きこれからも拡がり、障害者の権利の実現が進むことを願っている。