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国際人権ひろば No.114(2014年03月発行号)

特集 貧困の様相

母子家庭の貧困とベーシックインカム

中野 冬美(なかの ふゆみ)
「女性のための街かど相談室 ここ・からサロン」共同代表

 日本の母子家庭の貧困は、世界の先進国の中でも群を抜いていることはすでに議論を待たない。しかし、その対策は、就労支援にしても子育て支援にしても、社会体制の不備をそのままに、母子家庭当事者の自己責任、自助努力を要求するものでしかない。そうではなく、母子家庭の貧困を生み出す根本原因に迫る対策こそが、求められるべきではないだろうか。その一つとしてベーシックインカムがある。日本の社会保障は、原則として世帯単位で、受けるにはさまざまな条件が課せられている。しかしベーシックインカムは、すべての個人に、無条件に、生活に必要な所得を保障する制度で、基本所得保障とも訳されるものである。ここでは、ベーシックインカムの問題点や実現可能性については言及せず、主として母子家庭にとっての意味を考えてみたい。
 
 

 母子家庭の貧困の陰に女性の貧困がある

 
 日本の母子家庭は約123万世帯、そのうち8割強が離婚母子家庭で、離婚の大きな原因はDVである。そのためもあって、養育費の受け取りは2割弱にとどまっている。しかしなんと言っても問題は母子家庭の収入の圧倒的な低さである。8割以上が働き、中には複数の仕事を掛け持ちしている人もいるのに、総収入は一般の子どものいる世帯の3分の1程度しかなく、就労収入は150万円前後にすぎない。母子家庭の就労収入が低いのは母子家庭のせいではない。女性は一旦就職しても、結婚や出産を機に仕事を辞めざるを得なくなるのである。その根底にあるのが性別役割分業だ。家事育児と仕事が両立できる職場環境、家庭環境がなく、また女性が働き続けるより家庭に入る方が世帯としてはお得という三号被保険者等の制度が女性を退職に追い込む。おまけに、それでも働き続けようと思えるほどのやりがいも得られないのだからなおさらである。だから、いざ母子家庭になったときは無職から出発することになり、年齢や子連れであること、長いブランクなどがネックになり、パートやアルバイトなどの低賃金の非正規労働にしか就けないのである。それが母子家庭の低収入の原因なのだ。そもそも女性が多くを占めるパートなどの非正規労働の賃金がこれほど低いのは、男性の労働に対しては妻子を養うための付加的賃金があるのに、女性の労働は家計補助にすぎないとして低く抑えられているためである。
 要するに、母子家庭が貧困なのは女性が貧困だからである。しかし、親の家にいるときは父親の賃金の陰に隠れ、結婚すると夫の賃金の陰に隠れて女性の貧困は見えない。母子家庭になってはじめて、女性の貧困はあらわになるのである。世帯単位の賃金体制、社会保障体制のしわよせが母子家庭の貧困を形作っているのだ。
 
 

 母子家庭へのきびしいまなざしの背景

 

 こういった状況の母子家庭にとって、唯一の命綱は児童扶養手当である。しかし、受給するためには、覚悟しなければならないことがある。社会的に認められた「正しい」母子家庭であることを証明しつづけなければならないのだ。「正しい」母子家庭の母は、子どものためだけに髪振り乱して必死で働き、そして男の姿は影さえあってはならない。少しでもそこから外れると(外れているように見えただけでも)、痛くもない腹を探られ、母子家庭にあるまじきことと倫理的に裁かれ、挙句の果ては、手当を支給しないかのような言葉を投げられる場合さえある。そういう対応を可能にするのが、母子家庭に対する社会の厳しいまなざしである。所得税を払いたくても払えるだけの賃金が得られないのに「母子家庭は税金も払わないで手当をもらっていてずるい」「母子家庭のくせにうちなんかよりよっぽど贅沢している」といった声が毎日のようにネット上を駈けめぐっている。そういったバッシングは放置され、それどころか、過去には、母子家庭は怠けているという発言をしてバッシングを後押しした大臣までいるのだ。支配層は、下には下がある、自分より惨めなものがいると思わせることで、不平不満を変革への力に向かせないようにしている。だからこそ、母子家庭は惨めでかわいそうでなければならないのだ。にもかかわらず、なんということか、母子家庭「だけ」に給付される手当てがあることへの不満が、特に貧困層を母子家庭へのバッシングに走らせるのである。
 母子家庭は手当がないと生きていけないが、安心して受給するためにはかわいそうな母子家庭という「条件」をクリアしなければならないのだ。
 
 

 母子家庭差別の構造

 

 日本の母子家庭には、死別と離婚と非婚という三つの階層がある。死別は、かわいそうだと同情され(とはいえ同情されるのもパワーダウンすることである)、離婚は女のわがままだと言われ、非婚となればふしだらの烙印を押される。制度上にも差別もある。死別母子家庭が対象の遺族年金は、原則、離婚や非婚母子家庭への児童扶養手当全額支給のほぼ倍額である。所得税の寡婦控除は、死別の場合は所得制限内であれば終生適用さ れ、離婚の場合は、扶養親族があるか生計を一にする子(総所得38万 円以下で他の人の控除対象配偶者や扶養親族になっていない人)がいる 場合のみ適用となり、多くの場合子どもが独立し扶養親族がいなくなる と適用外となる。非婚の場合は最初から適用外である。父親がいないのが母子家庭なのに、母が、いないはずの父とどのような関係だったかによって、母子家庭は分断され、差別されるのだ。死別は女のせいではないからかわいそう、離婚は女がせっかくの男を振り捨てたからわがまま、非婚は、女が男なしで生きていこうとしたからふしだらなのである。つまり同じ母子家庭でも、女が選択したかどうかで差別するのである。
 日本の税制も、社会保障制度も、労働現場も、女が一人で生きていくことを想定していない。未だに、夫がいて外で働き、妻が家で家事労働をするという性別役割分業に基づいた家族を標準としているのである。これが高度経済成長期に企業と国家によって作られた制度であることは周知の事実であるのに、あたかも、人類の普遍の営み、あるべき家族像であるかのように信じられている。そういった家族像を維持するために家族単位の制度は残され、そこからはみ出した母子家庭は差別され、母子家庭の中でも女が選択したかどうかで差別されるのである。
 
 

 母子家庭にとってベーシックインカムの持つ意味

 
 母子家庭の困窮は、あるべき家庭像からはみだした見せしめである。それを補うための給付にも、あるべき母子家庭像に従えという条件が付けられている。あるべき家族像もあるべき母子家庭像も、性別役割分業(ジェンダー不平等)を源としている。そんな中で、個人単位で無条件の、つまり性別役割分業(ジェンダー不平等)に基づかない所得保障としてのベーシックインカムは、一筋の希望ではある。女が、暴力を振るわれても父親や夫から離れられないのは経済力がないからだ。ベーシックインカムがあると、別れるチャンスが広がるだろう。もちろんベーシックインカムで何もかもが解決するとは思わない。それでも、今までのような、差別と引き替えに生きさせられているような息苦しさからは逃れられるかもしれない。しかし、そのベーシックインカムで、一人あたり何万円だからシングルだと苦しいが、家族4人だと何万円、だから今までよりお得というような議論をされると首を傾げたくなる。個人単位ではないのか?やっぱり家族なのか?そんな議論でいいのか?
 母子家庭はベーシックインカムを求めているのではない。母子家庭の母と子が、元気で生きていける社会を求めているのだ。それは個としての女や子が一人でも生きていける社会である。なぜそれが実現されないのか。家族とは何か。なぜ家事労働がただ働きで、それに近い介護や保育の仕事が低賃金で、「女の仕事」なのか。性別役割分業が私たちの考え方、感じ方にどう影響しているのか。ジェンダー不平等を解消するには、どういった仕組みが必要なのか。そんな議論ができる機会として、ベーシックインカムの登場を期待するのである。

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