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国際人権ひろば No.110(2013年09月発行号)

特集 表現すること

表現するということ

高鶴 礼子(たかつる れいこ)
全日本川柳協会常任幹事、ノエマ・ノエシス主宰

 はじめに

 

 「表現する」ということは、いったいどのようなことなのであろう。たとえば音楽、たとえば絵画、書、映像、文学といった具合に、私たちのまわりには「表現」と呼ばれるものが数多く存在している。それでは、「表現する」ということはそうした形で差し出されたもののみをいうのであろうか。そしてそれは、そうしたことを専門に行っている一握りの特別な人々にのみ許され、託された行為であるのだろうか。

 私は川柳と呼ばれる文芸の片隅にいる者であるが、川柳を書き、川柳を語り、小誌を主宰しといった活動を通して、「表現する」とはなんぞや、ということを突きつけられる瞬間に、これまで幾度となく立ち会わせていただいてきたような気がする。ここではその体験をふまえ、「表現する」ということについて少し考えてみたい。

 

 表現するとは

 

 人が生きるということは、ある日突然、この世の中に放り込まれることである。どこから来てどこへ行くのかすら知らされることなく、私たちの生は、降って湧いたかのごとく、《現われ、在る》ことから始まる。《世界》は、私たちを取り巻く一つの状況であり、それは、私たちがそこに現前するや否や、さまざまな音を匂いを手ざわりを熱を――そうしてその複合体としての他者という存在を――持つものとして現われ始める。樹を見るものが《現われ、在る》ことによって初めて、その樹は、大きさ、太さ、香を持つ「一本の樹」として現前し始めるのである。鳴く蝉しかり。清流に跳ねる鮎しかり。飛び立つ鷲、砕ける波頭、握りしめられる両手といったそれらは、同時に、私たちに対する《世界》からの働きかけであるともいえる。

 こうした働きかけに対して、私たちは無頓着ではいられない。望むと望まないとに関わらず、意識するとしないとに関わらず、私たちの裡(うち)のある部分はその働きかけに反応してしまうのである。これは《世界》と私たちとの間に起こる交歓であるといってもいい。この交歓は私たちが死と呼ばれる状態へと転ずるその瞬間まで続いていく。

 ところで、「表現」という言葉は「表に現わす」と書く。ここからは、内・中・裏に潜み秘められてあるものを外・上・表に出現させる、というイメージが読み取れよう。ある日突然、《世界》の内へと放り込まれた私たち――にんげんのみならず生きとし生けるすべてのものが、《世界》からの働きかけによって、その裡(うち)に兆したもの、蓄積されたもの、あふれそうになりながらあふれさせえないでいたものを、外部へと押し出し、《世界》の内に現前させる――。「表現する」ということは、そうした行為なのではないかと私には思えてならない。

 そうであるとするなら、「表現する」ということは限られた人々にのみ属するものではなく、《世界》の内に《現われ、在る》ものすべてに託されたものであるといえるであろう。「作品」でなければならないということも、もちろん、ない。さまざまな状況が私たちの中に引き起こす衝動に対して反応を返すこと、それが「表現する」ということの本然なのである。それは、また、冒頭に掲げたような、すでに表現芸術と認知されているもののみを指す狭義なものでもない。こんなことは間違っていると感じ行動することも、おいしいパンを焼く人になってみんなを幸せにするんだと生の方向を定めることも、自己実現につながる衝動はすべてここに含まれる。陽だまりの猫の伸びも、原発反対のデモも、私を認めてと縋るまなざしも、みな「表現する」ということの端緒であり、発露なのである。

 

 伝わってナンボ

 

 「表現する」ということは私たちみんなの掌中にあるものだ。しかし、掌中にあるだけでは充分とはいかないところにその難しさがある。「表現する」ということは、平たく言えば、伝わってナンボ、立ち止まってもらえてナンボのものなのである。伝えるために――それが叶わないまでも、少なくとも自分の発したものの前に立ち止まってもらうために、発信者たろうとする者はみな必死で格闘する。受容する側は気まぐれである。虫の居所が悪いと伝わるものも伝わらない。が、そんな時でさえ、一瞬の、おやっ、ほおぉ、ドキッを創り出せないものかと、発信者たちは試行をくり返す。言い訳は無用。言い訳をしたら、そこで負けとなってしまう世界なのである。

 なんと大仰な、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。それでは「表現」は私たちみんなの掌にあるという謂いと矛盾するのではないかと感じられる方もおられるだろう。が、そうではない。甘いという誹りを覚悟で申せば、この場合大切なことは、勝敗ではなく、試みを続けるという点にあるからだ。

 自分の表現手段に何を採るかということを含め、その企図を成就するには、その人の資質以外にもさまざまな要因が伴う。紫式部が、もし、アジア太平洋戦争時代の日本に生まれていたなら、国家総動員の時流に抗うのに必死なあまり、『源氏物語』は生まれえなかったかもしれない。自身の努力では如何ともし難い「時機」ということがその要因に含まれる以上、私たちは、自身の表現行為が成功裡に受容されるか否かということに対して必要以上に囚われるべきではない。私たちが一喜一憂すべきは、伝達を、驚きを、共感を呼びこむために、自分はギリギリまで挑めているかということである。そしてそれこそが、同時に、表現するという行為に成就をもたらす最大にして不可欠の要因となるのである。

 

 不可分なものとして

 

 私のところに集ってくださる方々の属性はそれこそ千差万別である。川柳を書きたいという明確な意思を持って参画される方もあれば、なんとなくという方もいらっしゃる。当然ながら、最初の地点での向き合い方には大きな深浅がある。それが、一年二年と共に過ごしてくださるうちに変化が生じる。それは、その方々と川柳との距離がだんだんと縮まっていくという変化である。徐々に、自身と川柳という表現行為が不可分のものとなっていく――川柳作家になろうとして始めたわけでもないのに、ある日突然、川柳という表現手段が自身にとって欠くべからざるものとなっていることに気づく、というわけである。

 そのようにして表現するということと向き合われるようになった方々には芯のようなものが宿り始める。そしてそれはその方々の状況が何かしらの画期を迎えた時、一気に顕在化する。

 青天の霹靂のようにガンの告知を受けた若い女性が、抗がん剤治療による不調に耐えながら、句を書き、句に縋(すが)り、「それでも見ていてくれる人がいると思うとがんばれます」と綴る言葉の、幼いころ母上を亡くされ、ずっと気丈に生きてこられたご高齢の方が「今日、母のことを川柳に書いて初めて泣きました。泣いていいんだと思いました」と呟く言葉の、そのとてつもない重みを受け取っていただけるだろうか。

 一生をかけて《私》を創っていくのが私たちの生である。きれいごとだけではすんでいかないさまざまな状況の中で、自身と不可分であると言い切れる表現手段を持ちえた人は、誰が何と言おうと、豊かに、強くなれる。それが「表現する」ということの持つ意味であり、意義であり、力なのではないかと私は思う。そしてその力の礎は、常に、私たちに与えられ、拓かれているのである。

 

 

編集注:筆者はヒューライツ大阪の自由権規約に関する句を募集した「五・七・五で詠む自由権規約」の選考委員でもある。