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国際人権ひろば No.106(2012年11月発行号)

特集 韓国スタディツアー 地域に学ぶエンパワメントと参加・木浦&ソウルへの旅

木浦の女性たちのエネルギーを感じてー

みたに じゅんこ
民間DV相談機関運営委員

 

 2012年8月29日~9月1日に、ヒューライツ大阪は、(財)大阪府男女共同参画推進財団との共催で、韓国の西南部の木浦(モッポ)とソウルを訪ねるスタディツアーの企画をした。2011年度8月に続き、2度目の共催事業での韓国ツアーであった。ソウルから木浦までの400キロ余りのバス移動は長距離移動であったが、日本の女性団体が滅多にこないという地域での交流会は、日韓双方にとって貴重な時間となったはずだ。木浦2泊、ソウル2泊の行程で日本から参加した21名の大半は、ジェンダー平等をめざす活動や研究を日本で積み重ねてきた人たちである。その中から3人にツアーの主なプログラムについて感想を交えての報告をお願いした。(日程全体のプログラムはp9を参照)   (編集部)

 
 ツアーの事前学習会から「木浦への旅」は始まった。立命館大学言語教育センター嘱託講師の梁京姫(ヤン・キョンヒ)さんが熱く語る、その故郷「木浦」。民主化運動の聖地である光州に近く、金大中・元大統領の出身地。「木浦共生園」、「木浦の涙」(歌謡曲)、食の宝庫など、ツアーが待ち遠しかった。
 木浦は、宿泊した「全南(チョンナム)女性プラザ」や、全羅南道庁(※「道」は広域自治体の単位)に続くニュータウンと、海側の旧市街の二つの顔を持っている。
 

  「木浦女性連帯」との交流―「木浦女性の電話」事務所で

 
 「木浦女性の電話」の事務所は3階建ての建物の2階にある。スローな生活という意識からエアコンなしの窓を開け放した部屋で、車座になって3時間の交流。床に座るって、他者との距離が物理的にも心理的にもぐっと近くなると実感した。きっと韓国の女性たちはこんな風に何時間も議論をつみ重ねて運動をつくってきたのでは、と勝手に想像した。部屋の一方の壁には大きな女神が描かれ、「女神はー禁じることを破る、楽しく遊ぶ、わがままに生きる、正義に生きる・・・」など10のメッセージが書かれている。私が気に入ったメッセージは「わがままに生きる」。もう一方の壁にもたんぽぽとメッセージの絵。ビジュアルのメッセージ力の高さを感じる。
 梁京姫さんと林貞和(イム・ジョンファ)さん(大阪府立大学大学院生)の通訳で活動報告がされた。まず「木浦女性連帯」と、その構成メンバーの「木浦女性の電話」、「木浦YWCA」、「全羅南道女性障がい者連帯」、「アイコープ木浦生協」、「木浦環境団体連合」などの活動。続いて日本からは、DV被害者支援活動、東日本大震災における女性の悩み・暴力相談、「NPO法人しんぐるまざーず・ふぉーらむ・関西」からの報告。
 その中で特に私の印象に残ったことを次に紹介する。
 
★木浦女性連帯
 「女性連帯」は、2004年に女性に対する暴力をなくそうと活動を開始、議会モニタリングを行った。その後、「ミス全南コンテスト」反対運動や、街に出て市民とおしゃべりする場をつくる「ゴザ・キャンペ―ン」を行い、2009年には女性リーダー育成のための政治塾から女性議員を誕生させている。その時々に具体的で多様なキャンペーンを展開してきた。今年は、わいせつチラシを街で拾い集めて展示し、署名活動も行って、市長から対策が必要という回答を引き出している。「女性連帯」が原則として決めていることは、「お互いの違いを認める/情報の共有/皆が主体で同等な関係の連帯/会議で合意したことは進行する/自分たちが求めることをできるだけ楽しみながらやる/すべての成果は皆の活動の結果/持続性の志向/ともに成長する」。目指しているのは「抽象的なスローガンより、目に見える小さな変化」そして、今、「共に夢見て共に歩んできた9年」を新たな活動家にどう継承していくかに悩んでいるという。
 
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「木浦女性連帯との交流会」
 
★「木浦女性の電話」(会長 チェ・ユラン)
 「女性の電話」は、全国で25か所の支部があり、木浦は25番目に活動を開始したが、今は電話相談は行っていない。「女性の電話」には国から予算がつくが、それをもらうと活動を堕落させるという理由でそれを拒むという決断をし、会費やリサイクル品、物品販売などにより独自予算で活動を行っている。チェ・ユランさんは、「木浦に合った教育キャンペーン(=啓発)に力を入れている。地域の女性たちと頻繁に会って、女性が抱えている問題について、みんなの問題として捉え、一緒に解決を目指している」という。このような「木浦の電話」のあり方が、今は他の地域にも波及している、とソウルからかけつけてくれた朴仁恵(パク・イネ)さん(仁川女性ホットライン理事)が教えてくれた。
 韓国では全土で電話相談が政府の財政支援により行われていることをうらやましいと思っていたのだが、独自予算の活動を選択した「木浦」のあり方をじっくり考えてみたい。また、「女性団体との連帯を大事にしてきた。女性として幸福になる権利がある。全国の同じ活動をしている女性たちと悩みを克服しながら活動を行っていく」と語っていた。
 交流後、街頭で「女性への暴力反対」キャンペーンが予定されており、楽しみにしていたのだが、台風後の悪天候のため中止となった。キャンペーン参加のために、ツアー参加者はパープルカラー(女性への暴力防止イメージカラー)の服を着ていて、それぞれのファッションは目を楽しませてくれた。
 
★視覚障がいのある女性市議会議員
 ソ・ミファさんは、人の顔の輪郭がぼんやり見える程度の視覚障がいを持つ木浦市議会議員。忙しい合間を縫って、昼食時と木浦YWCAでの夕食時(別の女性議員も)に来て話をしてくれた。現在、木浦市議会は22名中女性議員は4名。ソ・ミファさんは、障がいある女性の自助グループを作ったり、障がいのある女性のための性暴力相談所を全羅南道で初めて開設。その後、悩みを聞くだけでは解決方法がない、と2010年に議員に。障がいのある女性議員の存在に驚いたが、彼女の所属組織である「全羅南道女性障がい者連帯」は「障がい当事者が代表になること、事務局、サポーターの半数以上は当事者」としていることにも敬意を表する。
 

  朗読と踊り、歌、ゲームで交流を深める 木浦YWCAでの懇親&夕食会

 
 詩の朗読や、踊り、歌、ゲームでのひと時を過ごした。韓日それぞれから詩の朗読―日本からは茨木のり子の「女の子のマーチ」。続いてマンマミーヤを一緒に踊り、ツアー参加者で「木浦の涙」を歌う。その後、チョン先生(女性人材育成の講師)のリードでゲーム。からだを動かしたり、笑ったり・・・であっという間に時間が過ぎた。その後、みなさんが用意してくださった料理をいただきながら、懇談の時間をもった。
 おなかも、たくさんの活動を聞いて頭の中も一杯という一日が終わった。
 

観る

 
梁京姫さんのガイドによる旧市街ツアー
●「木浦共生園」韓国の戦争孤児を育てた田内千鶴子の生涯、「共生園」の事業について、ソン・エラさん(田内の長女の娘)からお話を聞いた。今は2歳から大学生まで70名の園児が暮らしており、これまでに3千人近い子どもたちが巣立っている。現在は3つの社会福祉事業として発展し、さらに、在日コリアンと日本人高齢者が共に暮らす「故郷の家」が大阪、神戸、京都で開設されている。
●「李勳東庭園」は韓国ドラマのロケ地としてもよく使われる日本庭園。「儒達山(ユダルサン)彫刻公園」では、木浦の港を背景に記念撮影。抜けるような青空と開放的な景色が印象に残っている。
●「木浦近代歴史館」―元東洋拓殖株式会社木浦支店だった所。一階は木浦の1920年代と現在の写真の対比展示。二階は「日帝の侵略史」展示。中でも、「抗日救国運動とその受難」、日本軍「慰安婦」に関する写真など、日本軍の残忍な行為を写し取った記録は、今も鮮明に記憶に残り、厳しく問いかけてくる。
 
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「木浦共生園の庭で記念撮影」
 

 食べる 木浦の食は最高!

 
●全南女性プラザの朝食―ニッキ入りの伝統茶は懐かしいやさしい味だった。
●伝統的な「麦飯定食」 テーブルいっぱに並べられる料理―ゆで豚、キムチ、ナムル・・・。「これもおいしいよ!」の声に、次々と口に運ぶ。「○○ジュセヨ」と言えばおかわりができるのもうれしい。
●木浦の郷土料理「カルチチム」―太刀魚(カルチ)と大根をニンニク、トウガラシ入りで煮(チム)
たもの。小さなカニもおいしい。
 
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「太刀魚(カルチ)の煮もの定食に舌鼓」