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国際人権ひろば No.103(2012年05月発行号)

人権さまざま

人の価値と命の尊さを金額で示すことができるか?

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

 

世界人権宣言

第1条
すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。
第7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
 
 2007年12月、重度の知的障害をもつ少年が福祉施設で事故死した。2012年3月に報じられたニュースでは、遺族が求めた損害賠償をめぐって、裁判所で「逸失利益」を賠償金に含める和解が成立したという。
 
 当初、施設側と損害保険会社は、賠償金の算定について、慰謝料や葬儀費用などを提示したものの、死亡した少年が、将来働く可能性はないとして、逸失利益をゼロにしたという。遺族は、障害者でも健常者でも命(いのち)の価値は平等であり、逸失利益は健常者と同基準で算定されるべきだと訴え、裁判所は、少年が将来、仕事に就けた可能性を認めて、逸失利益を障害年金の受給額を基準に算定し、和解にこぎつけたそうである。
 
 過去には、重度障害者の死亡事故をめぐる損害賠償に関して、「働くことが難しかった」として逸失利益はゼロとされることが多かったという。上述のニュースになった和解事例以前には、同じような重度の障害をもつ未成年者の事故で逸失利益が認定された裁判例が2件知られている。いずれも事故が起こった地域の最低賃金を逸失利益の算定の際に考慮したとされた。
 
 辞書によれば、逸失利益とは「債務不履行、不法行為がなければ得られたはずの利益」とある。本来得られるべきにもかかわらず、失われた利益ということで「得(う)べかりし利益」ともいわれる。ここでは、本人以外に責任があるとする死亡や傷害に起因する損害賠償に含まれる、死亡や働けなくなったことなどで失われた収入であろう。
 
 この重度障害者の事故死では、遺族は、本人が働くことが出来なかった、あるいはその可能性がなかったと言われ、逸失利益をゼロとされるのを拒否したことは明らかである。 障害者は生きる価値がないと判断されているように感じたのか。 障害者が社会ではこれほど差別されているのかという思いもあったのであろう。和解が成立した後、母親は「息子は『全く働けない』と断言されてきましたが、きょうの和解で将来働ける可能性が認められ、満足しています」と述べ、遺族側代理人の弁護士は「不十分ながら障害者差別の是正を図ることができた。大きな意義がある」と語ったと報道された。
 
 逸失利益の算定額は膨大なものになることもある。「将来が嘱望されていた優秀な若者」や「社会で華々しい活躍をして高収入があった人」が絡む場合である。反対に、「長期間失業していた者」や「パート非正規雇用者」の逸失利益の算定額は少ない。この差は格差なのか、あるいは差別なのか。逸失利益の意味からすれば、これまでこのような金額差があるのが当然と考えられてきた。差別ではないと。
 
 はじめに述べた事例では、このような社会の約束事はおかしい、「これは差別であり、命の価値の平等に反する」という主張が注目をあび、遂には裁判所を動かしたのか。重度障害者の事故死をきっかけに、命の価値と逸失利益との関わりという問いを社会に投げかけることになったが、ことは障害者だけの問題ではない。
 
 本来、逸失利益があろうがなかろうが、人の命の価値に差がある訳ではない。 障害の有る無しにかかわらず、収入の多寡にかかわらず、等しく大切な命である。逸失利益がゼロと算定されたとしても、人の価値が無でないことは、いうまでもない。逸失利益と人の命の価値は、本来、繋がっても、結びついてもいない。別々に考えるべきものではないか。
 
 最近 「普通に生きる」という映画を見た。重い障害をもつ子といっしょに「普通に生きる」ために親たちが通所施設を立ち上げる取り組みをし、親子が自立にむけて歩み始める姿を追ったドキュメンタリーである。人の命の尊さは、「働くことが出来る」とか「 社会的地位」によって測られるものではない、人としてそこに生きていることだけによるものであることを、障害をもつ子と親たちの日々の生活を通して、感動的に証(あか)していた。その取り組みの中心となった親の一人、小沢英子さんは自らのウェブサイトで言う。「重度の障害児を授かった時点で、私は大きく変わりました。私の娘が私を強く、そしてやさしく育ててくれたのです。」
 
 国連で採択され、2008年に発効した「障害者権利条約」は、実は、障害者が社会で「普通に生きる」ことを可能とするための人権を定めているのである。
 
 人の命はこの世でただ一つのかけがえのないものである。人の命とそこから輝き出る「生きるよろこび」は無条件に尊い。その価値を金額で表すことはできない。逸失利益というのは金額を問題にする世界のことである。惑(まど)わされないようにしよう。