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国際人権ひろば No.102(2012年03月発行号)

特集 人間らしい仕事 ― ディーセント・ワークを考える

ディーセント・ワークとその戦略的目標

林 雅彦(はやし まさひこ)
国際労働機関(ILO)駐日事務所次長

 

ディーセント・ワークとは

 ディーセント・ワーク(Decent Work)とは、国際労働機関(ILO)により1999年に打ち出された21世紀におけるILOの最重要目標を最も短く表現したものである。通常は、「ディーセント・ワークをすべての人に(Decent Work for All)」という表現がとられ、それを「ディーセント・ワーク課題(Decent Work Agenda)」と称している
 この「ディーセント(decent)」という語は、日本語に訳すのに難しさがあり、強いて近い語を挙げれば、「適切な」「適当な」「そこそこの」という語となろう。「エクセレント(excellent)」とか「グッド(good)」などという言葉ではなく、「ディーセント」という語が用いられたところに、ILOのもつ現実的な姿勢を見ていただきたい。具体的には、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な身分、ジェンダー平等が確保されていない、などの「不適切(indecent)」な要素が全て取り除かれた雇用を「ディーセント・ワーク」として捉えるという考え方が理解への近道となろう。また、このような雇用の「質の面」への要請に加え、“for all”という部分には完全雇用を目指すという「量的な」要請も含まれていることに留意が必要である。
 「ディーセント・ワーク」の訳語については、日本の政労使三者の間の協議により、その内容をよりわかりやすく具体的に表す訳語を用いるという考え方がとられ、「人間らしい働きがいのある仕事」と訳されることとなった。
 このディーセント・ワーク課題は、日本での労働・社会保障の目指す方向の一つの指針となることは間違いなく、ILOのみならず政府、労働側、使用者側も共にこの課題の実現に向け、具体的な検討とその取組みを行っている
 

ディーセント・ワークの4つの戦略目標

 ディーセント・ワーク課題は、労働・社会保障の分野の中の労働者に関わるあらゆる内容を包含し、ILOをはじめ加盟国政労使、関係者が目指す究極の目標を設定したものであり、それに向けてILOの加盟国政労使と共に不断の努力を続けることを改めて宣言したものといえる。しかし、標語として掲げるだけでは、実際には多くの意味を持たない。そこで、この課題を達成するために、ILOは4つの戦略目標を掲げ、同時にそれらを貫く横断的目標として、各戦略目標においてジェンダー平等が主流化されることも同時に求めている。これにより、ILOの持つ資源をこの課題の達成に集中させ、具体的な4つの戦略目標プラス1つの横断的目標に即した活動を進めるということを明確にしたといえる。以下で、この4つの戦略目標等の概略を述べる。
 
(1)仕事における権利の保障
 働く人々の権利を認め、尊重する。すべての労働者、とりわけ不利な立場に置かれた労働者、貧しい労働者には、代表制と参加、そして、自分たちの利益のために施行され、機能する適切な法制度が必要であるとする。国際的な労働基準の遵守を通じて労働者の人権をはじめとする基本的な権利を守ることは、歴史的にみてILOの最も中心的な活動であり、労働という「内政分野」を所掌する国際機関であるILOの創立理由もここにあった。現在も、この分野では、国際労働基準の策定、未批准条約の批准促進、既批准条約の適用に関する監視、最も根幹をなす結社の自由の確保などが中心的活動となっている。また、中核的労働基準と言われている、最も人権に深く関係する4分野(結社の自由、職場における権利の保障、児童労働撤廃、職場における差別の禁止)の基本的条約である8条約については、加盟国は批准の有無にかかわらずそれを遵守する道義的責任を負っており、それらの一刻も早い批准が求められている。
 
(2)仕事の創出
 投資、起業、仕事の創出と持続可能な生計の機会を生み出す経済の構築は、労働者の生活を成り立たしめるための最も基本的な条件であり、それに向けた様々な取り組みが必要とされる。ILOは継続的に、雇用創出を景気回復努力の中心に据えることを訴えてきている。また、その前提として良質な雇用を提供できるだけの持続可能な企業づくりも重要な課題となる。
 近年、特に国際金融経済危機による雇用危機以降、この戦略目標の重要性が一層高まっている。企業に対しても、持続可能性確保のため、サプライチェーン全体を含めたコンプライアンスの確保はもとより、企業の自発性に基づく社会的責任(CSR)への取り組みなども含め多面的な取り組みが求められる。
 
(3)社会的保護の拡充
 安全な職場環境、適切な自由時間と休息、家族や社会的な価値観への配慮、所得の喪失又は低下に対する適切な補償、医療へのアクセス、などの労働条件を確保することにより、社会的な統合と生産性を促進する。社会的保護を確保し、拡充していくことは、従業員の家族を含めた生活の安定、将来に対する不安を小さくすることなどにつながり、それにより従業員のモラール・忠誠心の向上が見込め、2番目の戦略目標で強調した持続可能な企業づくりにも資するものである。
 社会保障制度がある程度確立している日本のような先進国においては、従業員に対する社会保障適用の確保はもとより、家族生活と勤労生活の両立確保のためのワーク・ライフ・バランスへの配慮も重要な課題となる。
 なお、ILOは、このほかにも職場におけるHIV/AIDS問題及び移民労働者の保護に関する問題も社会的保護の一部として扱っている。
 
(4)社会対話の促進と紛争解決
 この戦略目標の中心は、労使間のコミュニケーションの確保である。独立した労使団体が行う真摯な社会対話は、生産性の向上、仕事における紛争の回避、一体性のある社会の構築に中心的な役割を果たす。政府も、円滑な社会対話の実施のための環境整備に尽力することが求められ、また、必要に応じて政労使三者の対話が促進されるべきとしている。
 日本においては、全国レベルでは、労使又は政労使対話にかかるいくつかのトップレベルによる制度的枠組みもあり、また重要な政策及び労働関連法制は公労使三者構成の審議会にて議論されるという制度的担保もなされている。
 したがって、課題は、個々の企業における労使間のコミュニケーションの確立である。労使間紛争は、企業にとっても最もコストの高くなるものであり、それを未然に防ぐためにも重要な戦略目標といえる。
 
(5)横断的戦略目標としてのジェンダー平等
 ジェンダー平等は、ディーセント・ワークに就く男女の機会を促進するというILOの主要な要素であるとされ、上記4つの戦略目標のいずれにおいてもこのジェンダー平等が確保されなければならず、ジェンダー平等は4つの戦略目標を貫く横断的目標と位置づけられている。
 
 ILOは、ディーセント・ワーク課題及びその戦略的目標を明記し、その実現への寄与が加盟国政労使の義務であるとし、ILOがその取り組みを実効的に支援することを確認した「公正なグローバル化のための社会正義宣言」を2008年に採択した。現在では、ILOのみならず、国連グループ全体で取り組むべき目標と位置づけられている
 「働くこと」は我々にとって不可欠かつ基本的な営みであり、それに直接にかかわるディーセント・ワーク課題は、最も重要な目標である。その理解の浸透と共に、課題の達成に少しでも近づいていくべくILOとしても更なる努力を重ねていきたいと思う。
 
 
 
 
 
1 英語ではDecent Work とDecent Work Agenda を使い分けるが、日本においては、単に「ディーセント・ワーク」という語で「ディーセント・ワーク課題」を指すことが多い。
2 その結果として、最近では、「新成長戦略」(2010年6月)や改訂版「ワーク・ライフ・バランス憲章」(2010年6月)など政府の重要文書にもこの語が用いられるようになっている。
3 ILOにて「国際労働基準(international labour standard)」という語を用いる場合には、一般に狭義の国際労働基準を指すことが多く、具体的には条約と勧告を指す。なお、広義の国際労働基準には、その他に、決議(resolution)、ガイドライン、行動規範(code of practice)、枠組み(framework)といった多種の文書も含まれることとなる。
4 結社の自由、団結権の保障は、最も基本的かつ不可欠な権利として、関係条約(第87号、第98号条約)の批准の有無にかかわらず、その侵害とみなされる個別案件について審査を行うことができる結社の自由委員会が設けられており、既批准条約の適用について行われる監視機構とは別個の監視機構としてみなし、扱うのが適当と考えられている。
5 第87号(結社の自由及び団結権保護)、第98号(団結権及び団体交渉権)、第29号(強制労働)、第105号(強制労働廃止)、第138号(最低年齢)、第182号(最悪の形態の児童労働)、第100号(同一報酬)、第111号(差別待遇(雇用及び職業))の各条約をいう。
6 ILOの用語においては、「社会的保護(social protection)」は、社会保障(social security)と労働保護(labour protection)からなり、労働保護は、主に労働条件(labour condition、具体的には賃金、労働時間、休日などが含まれる)と労働安全衛生(occupational safety and health)からなると体系づけられている。
7 HIV/AIDS問題への最も重要な対応は、あらゆる人々に対する正確な情報の付与と予防教育の実施であるが、それらは、職場を通じて行うことが、コミュニティを通じて行うより効率的かつ効果的であるとされている。また、HIVキャリアへの偏見・差別の撤廃も職場における重要な課題である。日本では、ILOや他国にさきがけて、1995年2月20日に「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」が労働省(当時)より出されている。
8 産業労働懇話会、政労会見などがある。
9 例えば、2005年9月の国連世界サミット声明、2007年7月国連経済社会理事会ハイレベル会合での閣僚宣言など。