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国際人権ひろば No.88(2009年11月発行号)

特集:「移住」の視点からみる韓国・済州島スタディツアー Part5

移動と穴

号外版:「済州島スタディツアー2009」(8月25日~8月28日)の感想文

嘉本伊都子
京都女子大学教員

 三姓穴のアニメーションはなかなか、面白かった。「高、梁(→良)、夫」という姓をもった韓国らしいイケメンが飛び出してきた穴が3つある。東の海から、ちょいと適齢期をすぎた女性3人が「移動」してくる。神話の昔から、女性は外から移動してきたのだろうか。2008年のスタディ・ツアーで韓国人男性と結婚したベトナム人女性が、ベトナムでは25歳を過ぎて未婚であると爆弾扱いをされるという話を聞いたのを思い出した。スタディ・ツアー韓国シリーズ3回全制覇組の中では及川さんの次に若手!?ではあるが、40過ぎておひとりさまの私は爆弾以上の存在なのだ。海を越える衝動を抑えがたい時期は今も昔も変わらないのかもしれない。東の海(韓国語で日本海は東海)にあった国は日本だ!と日本人なら誰でもそう勘ぐりたくなるが、諸説あるらしい。
 ヤマトタケルノミコトは、八股の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、土着の女性を娶る。この神話のふるさと出身の私は、想像をたくましくしてしまう。宍道湖も一望できる高台にある出身高校は、八重垣神社の近くにある。「八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を」。古事記にでてくる最初の歌。外からきた男が正当性をもつ古代の出雲の神話。
 アイルランドとギリシャの血をひくラフカディオ・ハーンが娶ったのも松江の小泉節であった。正確にいうと小泉家に婿養子ならぬ、「入夫」として入ったので小泉八雲となったのであるが(婿養子縁組の場合、養親がいる。養親が死去している場合は夫として入るのでニュウフという)。「外来種」の男たちに娶られた女はいいのかもしれない。余った女は、どこにいく?海を越えて、済州島にいったに違いない(妄想ですから、個人的な)。

三姓穴
三姓穴


 帰国後、すっかり済州島の魅力にとりつかれた私は、小田実氏の『オモニ太平記』(講談社文芸文庫)を読んだ。小田氏の「人生の同行者」は在日コリアンの方で、義父母は済州島出身。オモニは、済州島で海女をしていたが、クンデワン(君が代丸)で来航し、日本の海にも潜ってきた。小田氏が家族旅行にと義父母も連れ立って旅の行き先として選んだ場所が、なんと私が幼少時代を過ごした皆生(かいけ)温泉だった。米子はアボジ(義父)がアメを売りに出かけたとき、警察署で殴られ、蹴られ、罵倒されたところだという。米子生まれとして、悲しくなった。
 小田氏はおそらく美保関の灯台を彼らにみせたかったのであろう。タクシーを借り切って弓ヶ浜半島を北上し、鳥取県と島根県にかかる境港大橋を渡った。タクシー運転手が「ここから島根県」と何気なくいった。そのとたん、「オダさん、ここ、ほんとうにシマネケンか」「そうか、これがシマネケンか」「オダさん、シマネケンに連れてきてもろうて、ほんとうにありがと、ありがと。」とオモニとアボジによるシマネケンの大合唱になった。小田氏は、ハングルも日本語も学習する機会を奪われた世代である義父母たちの使う日本語はカタカナ表記が一番しっくりくるとしている。字が読めないのに、どうやって米子まで行商ができたのだろう?現代人の言語コミュニケーション能力は、むしろ退化しているに違いない。「なんでシマネケンがそないにいいねん」という小田氏の素朴な疑問に「そら、そやで、宝島やないか」。済州島には、なんとシマネケンを宝島だと思っている人もいたらしいのである。
 生まれは米子だが、本籍がシマネケンの松江にある私にとって、韓国で出身地を聞かれるのが一番つらい。なんせ、日本では日本海の竹島は島根県が領有していることになっているからだ。現代の韓国人にとって、シマネケンは宝島どころか、全く別の響きをもっている。

 済州島は、沖縄に似ているところもあるが、隠岐の島にも似ているなと思った。西帰浦市にある城邑民俗村を案内して下さった許成子さんによる女寅さんのような口上に、つい、乗せられて大枚はたいて購入した漢方「馬の骨」。モンゴル支配にあったときからの伝統で、馬は済州島から朝鮮の王朝へ献上されたほどだという。そういえば、隠岐の島も野生の馬が有名だ。断崖絶壁、青い海、緑の広大とはいえない土地を馬が遊走する隠岐の島。隠岐の島の人はおおらかだ。江戸時代に作成された宗門帳の歴史人口学的研究では、海を生業にしている地域は、伝統的に女が強い。離婚率も高い。海女の文化が、限られた地域にしか存在しないことにも驚いたが、そのたくましさと流動性の高さにも驚いた。
 流動性といえば、隠岐の島は流刑の島でもあって、後醍醐天皇が流された。それゆえ本土とは違う雅な文化も残る。ガイドの趙栄林さんは、政治犯としてソウルから流刑にあった趙一族の末裔だそうだが、素晴らしいガイドさんだった。
 飛行場跡、特攻用のモーターボートの格納庫としてつくられたであろう穴、飛行機を格納するための穴、韓国のテレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のロケ地にもなった風光明媚な済州島に、永遠に刻まれるであろう日本軍の痕跡。穴にいろいろと考えさせられっぱなしであった。ときどき、日本という穴から這い出して外の空気をすうことのなんと新鮮なことか。
  「チェジュ島に連れてきてもろうて、ほんとうに、ありがと!だんだん!(最後だけ松江弁)」

城邑民俗村の許成子さん
城邑民俗村の許成子さん