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国際人権ひろば No.82(2008年11月発行号)

特集・移住女性の人権と多文化共生を考えた韓国スタディツアー2008 Part 2

NGO「霊光女性の電話(女性ホットライン)」を訪ねて

武田 里子(たけだ さとこ)
東京外国語大学多言語多文化教育研究センターフェロー

はじめに


 移住女性の人権と多文化共生を考える韓国スタディツアー」(2008年8月19日~24日)は、昨年に続き2度目の参加である。今回は、ソウルを離れて全羅南道の霊光と全羅北道の群山にも足を伸ばした。ソウルを出て高速道路を南に1時間ほど走ると韓国の穀倉地帯に入る。山があり川があり水田が広がる風景に日本の農村地帯を走っているかのような錯覚を覚えた。群山は百済の旧都だが、「太王四神記」でタムドクと王位を争うホゲが祖父の敵討ちと青龍の神器を求めて進軍した地、といった方が分かりやすいかもしれない。
 「韓国女性の電話(女性ホットライン)」は、もともとは韓国人女性の人権擁護団体だが、国際結婚の急増に伴い結婚移民女性の支援に乗り出した。移動中に出会った韓国人は、「単一民族の国だと信じていたら、いつの間にか田舎に外国人が増えていた」と語り、その調査に日本人が来ていることに合点が行かない様子だった。韓国人男性の国際結婚は、1990年の600件から2005年の31,180件へと、15年間に52倍に増えた。80年代半ば以降の日本人男性の国際結婚の増加率が約6倍であることを考えると、韓国の変化がいかに大きいかが実感できる。特に2000年以降の急増が顕著で、その原因として仲介業の自由化問題が指摘されてきた。
 韓国では結婚移民女性の半数は都市に、残り半数が農村に暮らしている。そのため国際結婚は、「家父長制権力構造の温存につながる」との議論もある。しかし日本の経験から言うと、結婚移民女性は言葉や文化を習得するに従い主体的存在に変わり、ある意味で「受け入れ側」の思惑を小気味よく裏切っていく。夫婦や家族という親密圏で生じる相互関係のダイナミズムが、どのように家族文化や地域社会に影響を与えていくのか、この点に私は関心を寄せている。

「霊光女性の電話」支部


 霊光は全羅南道の木浦の北に位置し、9つの面(行政単位の一つで「村」に相当する)と邑(行政単位の一つ)で構成される人口約6万人の郡で、外国人労働者約100人、結婚移民女性約200人が暮らしている。2年前から結婚移民女性の支援を始めた「霊光女性の電話」には、月額5,000~50,000ウォン(約450~4,500円)の会費を払う会員約200名が登録している。活動費は、会費や会員たちによるバザーなどでまかなっている。行政が提供するプロジェクトに申請したり、付属施設の性暴力相談所では、中央政府と地方自治体から人権費と運営費の助成を得ているが、「韓国女性の電話」の活動自体は市民による自主的な活動である。代表のチェ・ポンギョンさんは、専業農家の主婦である。一会員として女性の人権擁護活動に関わる中で代表を務めるようになった。日本語で活動の説明をされたユン・クムヒさんは現在、モンゴルから来たサンズサブさんと一緒に「移住女性支援センター」の設立準備会の責任者を務めている。またユンさんは、ヨンサン大学社会福祉学部教授で日本に留学し、新潟県の福祉専門学校で教鞭を執っていた経歴をもつ。2人の女性から、次のような結婚の経緯や現状を伺った。
 サンズサブさんは、7年前に弟を頼って来韓。ソウルと木浦で働いたあと、3年前に知人の紹介で結婚した。嫁ぎ先は農家で、2人の子どもと夫、姑の5人暮らし。これまでに2回里帰りし、家族も韓国に来ることがあるので子どもは簡単なモンゴル語が分かる。韓国での生活で難しいのは人との付き合い方だという。霊光には居住歴7か月から7年の10人のモンゴル人妻がいる。韓国語ができるサンズサブさんが他のモンゴル人妻と韓国人の夫との話し合いの通訳や相談にのることもあるが、相談された内容にどのように対処したらよいのか、まだ分からないことが多い。将来は外国から嫁いできた女性たちと一緒に結婚移住者の支援活動をしたいという。
 ミディエンさんは3年前に結婚。嫁ぎ先は農家で、まもなく2歳になる子どもと夫、舅との4人暮らし。韓国料理は夫の姉に教わった。たまに作るベトナム料理を夫と子どもは食べるが舅は食べない。ホーチミン市郊外の出身で、5人きょうだいの4番目。家は農家だった。高校を卒業後、縫製工場で働いていたときに業者の紹介で結婚。家族は韓国へ行くことを心配したが、最後はミディエンさんを信じて送り出してくれた。年に1回は里帰りしている。韓国語の上達が早かったミディエンさんは、ベトナム女性の韓国語クラスを担当している。霊光に暮らすベトナム人妻は50人ほど。結婚移民女性にとって大切なことは、韓国語と韓国文化を学ぶことだという。
 2人とも韓国語を流暢に話していたが、「辛かったことは?」との質問に、答えをためらう場面もあり、彼女たち自身がまだ適応過程にあることを窺わせた。双方の信頼関係を築く間もなく行われるインタビューでは、「聞けること」と「話せること」に限りがあるが、彼女たちの語りやまなざしには、「ここで生きる」と腹を括った人のもつ強い意志を感じた。
 研修担当者によれば、結婚移民女性は貧しい国から来たことに引け目を感じる一方で、だから自分たちを助けるのは当然だという自己中心的な考え方に陥る傾向もあるという。そうした女性たちが研修を通じて、自分と家族や地域社会との関係を把握し、自己肯定感を持つようになると、主体的に現状を引き受ける積極性を見せるようになるとのことだ。また、国際結婚の一方の当事者である夫たちの集まりも年1回開いている。最近では、夫たちが独自にそれぞれの悩みを話し合う動きが見られるという。当事者の自立を支援する研修や、結婚移民女性の社会適応の鍵を握る夫への目配りができている点に、専門家が加わっている強みを感じた。

国境を越える市民ネットワーク


 昨年来、私が圧倒されているのは、韓国政府の政策対応のスピードの速さと市民組織のパワーの強さである。2005年に政府による結婚移民女性の全国調査が実施されたかと思うと、2007年には「外国人処遇基本法」が、2008年には「多文化家族支援法」が制定され、問題となっていた結婚仲介業も登録制に変わった。これらは急増する国際結婚に対応したものであるが、同時に出生率の低下(1970年4.5から2005年1.08へ)や未婚率の上昇など急激に進む社会変化に対して、韓国政府が外国籍市民との共生をめざすことを意思表明したものとも受け取れる。韓国における市民組織の存在感は、民主化宣言以降、政治と市民運動の 相互作用が構造的に進められたことが背景にあるようだ。
 日本では外国人統合政策の不在によって生じる「隙間」を、外国人集住地や都市部では市民活動が埋めているが、外国人居住者が少なく分散している農村では支援に必要なノウハウや人材が不足し、十分な対応が取れないところも多い。その農村で、「農村花嫁」の第一世代が20年を経て家庭や地域社会で影響力を発揮し始めている。母国と日本の2つの文化の違いを理解し、外国語である日本語を習得した結婚移民女性たちは、一定の研修を受ける機会があれば、多文化社会に向かう日本社会の貴重な人的資源になるだろう。霊光支部では、専門知識をもった大学教員が支援プログラムの企画運営に携わり、労働部の補助金を活用し、当事者である結婚移民女性たちが韓国人支援者とともに活動していた。国家政策の裏づけが、このように限られた資源を効果的に組み合わせることを可能にしている。日本でも、とりわけ地方では韓国流の国家政策に裏づけられた支援体制づくりが求められているように思う。市民の善意に依存するだけでは「隙間」にこぼれ落ちる人が多くなってしまうからである。
 今回のツアーでは、移住者の人権問題や生活課題の解決に確固とした信念をもって取り組む支援者や、さまざまな課題を抱えながらも韓国社会に生活基盤を築こうとしている結婚移民女性に出会い、そして日本各地で移住女性の人権問題に取り組む素晴らしい方々に出会うことができた。そうした人びとが国境を越えて繋がっていると感じる場面が幾度かあった。私は、第一世代の「農村花嫁」の協力を得ながら新潟県で結婚移民女性の調査を行っているが、国境を越えて同じ課題に向き合う人たちとのネットワークを広げ、差別や偏見の少ないより良い社会の実現に向けて、私なりの役割を果たしていきたいと思う。