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国際人権ひろば No.81(2008年09月発行号)

特集・世界人権宣言60周年によせて Part 1

世界人権宣言60周年の意義- 憲法学の立場から

渋谷 秀樹(しぶたに ひでき) 
立教大学大学院法務研究科委員長・教授、(財)アジア・太平洋人権情報センター評議員

人権の性質


 人権の性質として、第1に固有性、つまり人権は人間が人間であることに基づいて当然に備わっているべきこと、第2に普遍性、つまり人権は人間であればあまねく同様にそなわっているべきこと、第3に永久不可侵性、つまり人権はその人が生きている限り、そして人類が存続する限りあるべきものであって統治権力(立法権・行政権・司法権)さらには主権者たる国民の多数意思(憲法改正権)によっても侵害されてはならないこと、が一般的に説かれている。もっとも、このような性質をもつ人権は、客観的に、あるいは当然に存在しているものでは決してなく、人間には人権が備わっているべきである、という経験と歴史に基づいて形成された思想によって確立したものである。日本国憲法97条も、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」とし、これを確認している。
 歴史をさかのぼると、人権の概念は、まず西ヨーロッパの人権先進諸国において、統治権力は濫用されないよう分離・分担されなければならないとする権力分立原理と、国家の統治目標は、個々人に人間にふさわしい生き方を権利として保障することにあるとする基本的人権尊重原理から構成される近代立憲主義が発祥し進展した国々で普及・確立し、憲法の中に明文化されていった。そして、近代化をめざす世界各国にも、憲法制定を機に、国内法としての人権規定がその内容・性質についてはバリエーションを生みながら普及していくことになる。大日本帝国憲法にも不十分ながら人権規定が置かれた。そして、日本国憲法13条前段は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」とし、上記統治目標を確認している。  もっとも、この段階では、人権の整備・普及は国内問題であり、政府間の法的関係を取り決める国際法たる条約とは無縁の存在であった。


国際政治と人権


 ところが、第2次世界大戦の前後から、国際政治の上でも、人権保障が重要な関心事項となる。1941年、フランクリン・D・ローズベルトが唱えた、国際秩序の基本原則としての、言論の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由からなる「4つの自由」の主張がよく知られている。これは、日本国憲法前文にある「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とする規定に強い影響力をもったと考えられている。
 本来すべての人間に対して普遍的に保障されるべきと考えられる人権が、各国それぞれの国内事情から必ずしも十分保障されてはいないこと、そしてそれが国際紛争や内戦・内乱の原因となり、またそれを阻止できなかった原因となったことが国際的に自覚・認識されるようになり、人権を国際法的に保障するための国際法、つまり国際人権法の明文化とそれを担保するための国際組織の整備がすすめられることになる。

世界人権宣言の意義


 人類史上初の人権一般の国際化として重要なものが、1948年、国際連合第3回総会で採択された「世界人権宣言」である。国際連合憲章1条3項は人権の尊重を国際連合の目標の1つとして掲げ、同2条は各国政府にそれに沿った行動を義務付けたが、世界人権宣言は、国際連合憲章にある人権の内容をさらに具体化し定式化したのである。その内容は、個人の古典的な自由と平等のほか、経済的・社会的・文化的権利を規定したところに特色がある。ただし、条約として作られなかったため、法的拘束力はもたなかった点に限界があった。
 この限界を克服するため、世界人権宣言で条文化された人権規定の内容をより詳細化し、各国政府が負うべき義務を明確にする条約として制定されたのが、1966年に国際連合第21回総会で採択された「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(国際人権A規約または社会権規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国際人権B規約または自由権規約)であり、その後、個別の領域に関して、いくつかの人権条約が締結されている。ジェノサイド条約(1948年採択)、難民条約(1951年採択)、人種差別撤廃条約(1965年採択)、女子差別撤廃条約(1979年採択)、拷問等禁止条約(1984年採択)、子どもの権利条約(1989年採択)などがその例である(以上の名称はいずれも通称である)。
 このように「人権の国際化」には目覚しいものがあるが、これらの条約の原点となったのが、本年60周年を迎えた「世界人権宣言」であることに間違いはない。
 それでは世界人権宣言は、思想として考案され各国憲法の中に確立をみた人権の性質とどのような関係にあるか。それは、世界人権宣言の前文の冒頭を見れば明らかである。つまり、そこには「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎にある」と記されている。
 ここにある「固有の」とは、第1の性質たる固有性を意味し、「すべての構成員の......平等で」とは第2の性質たる普遍性を意味し、「譲ることのできない」とは第3の性質たる不可侵性を意味しているのである。さらに、そのような人権を承認することこそが、世界平和の基礎になるという、国際政治の認識をも、ここに明らかにしている。

世界と日本の現状


 以上のような国際人権思想の着実な蓄積があったと見えるのであるが、世界の現状はどうか。1989年のベルリンの壁崩壊が象徴するように、東西冷戦は終結をみた。ところが、世界に戦火が絶えることはない。この原稿執筆と時機を同じくして行われている北京オリンピックは平和の祭典であるはずなのに、その最中にロシア・グルジア間の戦火が報道された。また独裁者や軍事政権の下に、言論の自由はいうにおよばず、生命の危険にさらされ、「恐怖からの自由」さえ保障されない人々のいかに多いことか。人権先進国といわれる国も、政治的思惑によるのか、経済的利権が絡むのか、人権という正義を高く掲げた外交を展開する国はほとんどみられないのが現状といってよい。
 翻って、日本の現状はどうか。確かに日本では世界人権宣言よりも2年余り先立って公布され、昨年60周年を迎えた平和憲法によって、日本に住む人々が戦争や政治によって生命の危険にさらされることはほぼなくなった。しかし、経済活動の自由、あるいは経営者の自由の側面のみを重視した悪しき自由主義を標榜する政治がここ10年余り跳梁跋扈し、働いても生活保護水準の収入すら得られない、ワーキング・プアーと呼ばれる層が造り出されていった。日本では、自由と、車の両輪の関係にある平等の理念をないがしろにする政治が行われているのである。
 数年前、ある自治体の「子どもの権利条例」の立案過程に参加したことがある。家庭、地域社会、教育の場などにおいて虐げられている子どもを救済する必要性は社会の共通認識となっている。国際条約として子どもの権利条約があるが、日本の国会は子どもの権利を一般的に保障する法律を制定する動きをまったくみせない。そのような状況下で、自治体関係者と一般市民が長い時間と大きな労力を費やし、多くの関係者の聴き取りをしたのち、その声をほとんどそのまま条文に起こして、この条例は起草された。
 このような条例は、党派の利害・思惑を超えた区議会全会一致で可決され成立するものであると予想されるであろう。ところが、まったく信じられない反対の声が上がったのである。「子ども」という概念はあいまいで条例にはふさわしくない、「子ども」にはそもそも権利などない、さらには権利や人権など必要ないなどと、人権の国際化を論じる以前の、まるで封建時代のような社会観・人間観・教育観が、地方議会の内外で展開されたのである。幸いこの条例は制定されたが、なお根強い抵抗にあってその実質的な施行は足踏み状態のままである。
 現在の日本政治における人権理念の衰退、いや正確には日本の政治家のこころざしの衰退を感じずにはおられない。日本国憲法12条前段は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とするが、これは、このような状況をすでに予見していたかのごとくである。世界人権宣言60周年をここに謳う意義は、人権の理念がいまだに浸透していない政治が、いまなお世界と日本に厳然とある状況下、人権の固有性・普遍性・永久不可侵性を再確認し、まずもって時代遅れの政治家の蒙を啓き、またそのような政治家を選出する無知な有権者を目覚めさせるためにこそ、あるのかもしれない。