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国際人権ひろば No.79(2008年05月発行号)

アジア・太平洋の窓 Part 1

マーシャル諸島の平和と環境を考える~ 開発に翻弄される社会を超えて

間野 千里(まの ちさと) NPO法人 アジアボランティアセンター 
マーシャルプロジェクト・コーディネイター

海岸浸食のすすむマーシャル諸島マジュロ環礁 (2008年3月、筆者撮影)
海岸浸食のすすむマーシャル諸島マジュロ環礁 (2008年3月、筆者撮影)

  マーシャル諸島の人々にとって、海と島はLIFE(暮らし・人生・生命)そのものである。人々は、伝統的なマーシャルカヌーやボートで海に漕ぎ出し、島を巡り、海の幸と島の恵みをいただく暮らしを営んできた。
 グアムとハワイの間の中部太平洋に浮かぶ29の環礁からなるマーシャル諸島を上空から臨むと、コバルトブルーやエメラルドグリーンの輝く海に小さな島々が浮かんでいる。環礁それぞれに数10もの島があり、諸島全域で1,200以上もの島が点在する。すべての島を合わせても181平方キロメートルという限られた陸地の一方、広い海原がどこまでも続いている。この広大な海洋国に現在、約6万人が暮らしている。
島を歩くと、"Yokwe!"(ヤクエ!/マーシャル語で挨拶の言葉)という元気な声とともに、子ども達の笑顔に迎えられる。無邪気に遊ぶ姿は微笑ましいが、島の子ども達を取り巻く環境は厳しい。
 

島に迫る環境危機


 地球環境の危機を感じる現象が、世界各地で顕在化して久しいが、マーシャル諸島では最近、海岸浸食や珊瑚の白化が目に付くようになった。島民は、「珊瑚が(昔のように)輝かなくなった」「ラグーン(礁湖/内海)で魚が獲れなくなった」と異口同音に環境の変化を訴える。また、マーシャル諸島を含むミクロネシア地域の島々で異常気象に起因するといわれる旱魃や水不足、高波被害が頻発している。特にマーシャル諸島は平均海抜2メートルで潮位の変化に弱いという特異性があることに加え、太平洋の外海と環礁内の礁湖(内海)との間の島幅が数百メートルもない箇所もあり、環境のわずかな変化が、生存の危機に直結しかねない。
 1997年12月のCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)に合わせて京都で開かれたNGOの集会で、「21世紀には島の80パーセントが水没する」というマーシャル諸島からの切実なメッセージが私達の交流のきっかけとなった。マーシャル諸島ではヤシやパンの実、パンダナスなど島の恵みと、豊かな海の幸をいただく自給自足的な採集生活が何世代にもわたり営まれ、海と島に寄り添って暮らす知恵は、持続可能な暮らしの調和を保つために機能していた。しかし、COP3から10年以上が経った現在、島の内外から押し寄せる開発の波によって、島の暮らしは益々危機にさらされている。
 島に迫る環境危機だけではなく、大国に翻弄された不幸な歴史を刻んだ島の社会は、海の向こうから押し寄せてくる様々なものに抑圧され苦悩し続けてきた。
 

大国に翻弄される歴史


 太平洋の他の島々も同様だが、マーシャル諸島は特に数奇な歴史をたどってきた。もともとスペインが大航海時代の1528年に「発見」し、1885年にドイツが買収、保護領としてコプラ交易などが行われた。その後、日本が南洋群島の一部とした占領期を経て、太平洋戦争が終わると米国に支配権が移った。旧日本軍の占領下にあった太平洋戦争末期には、いくつもの島で島民が巻き添えになり生命を失った。
 「♪私のラバ(lover)さん 酋長の娘 色は黒いが南洋じゃ美人♪」という歌詞で始まる、太平洋戦争前の日本で流行した当時のマーシャル群島(諸島)を歌った「酋長の娘」という歌がある。マーシャル諸島のジャルート環礁(当時は一般的にヤルートと呼称された)には南洋貿易(NBK)の跡があり、同環礁のイミエジ島には、旧日本軍が遺した100箇所以上もの戦跡が現在もそのまま放置されている。
 そして、マーシャル諸島における最大の環境破壊ともいえる核実験が、1946年から1958年にかけてビキニ環礁とエニウェトク環礁で米国により67回行われた。一連の核実験により大量の放射性降下物が島々に降り注ぎ、深刻な環境汚染をもたらした。特に、1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたブラボー水爆実験は多くのヒバクシャを生み出した。
 それから54年が経った今年(2008年)3月1日、マーシャル諸島で核実験被災者追悼記念式典が開かれ、マーシャル諸島のヒバクシャ連帯グループであるERUB(エラブ/Enewetak,Rongelap,Utrik and Bikini)のメンバーも高齢化がすすむ中、身体の無理をおして参加した。ここ数年、毎年3月1日をERUBの人々と一緒にマーシャル諸島で迎えているが、ヒバクシャが語る「あの3月1日」や、幼少期に被ばくした人々の孫世代の健康をも蝕み続けている核被害の実態に言葉がない。実は、2007年までの数年間、政府主導で開かれる記念式典と、ERUB主導の集会が分裂していた。分裂の大きな原因は、政府主導の式典実行委員会がヒバクシャ自身の証言をプログラムで公式にすることを承認しなかったことだ。
 しかし、今年の3月1日は風向きが変わった。2007年11月に行われた国政選挙でマーシャル諸島では新政権が誕生し、「People First(民衆を初めに)」というスローガンを掲げて始動した。NGOとの連携にも積極的な姿勢が見られ、今回の式典では2人のヒバクシャが証言を行った。しかし、ERUBのメンバーが式典を振り返って指摘していたとおり、政治の潮流に左右されない運動を続けていくことが大切だ。
 ビキニ環礁とエニウェトク環礁での核実験は終わったが、マーシャル諸島のクワジェリン環礁には現在もなお米国のミサイル実験基地があり、実験による化学汚染の実態は島民に明らかにされていない。マーシャル諸島はいまも、米国の軍事開発の最前線に立つ島なのである。
 

断絶された社会をつなぐ試み


 マーシャル諸島はお金(USドル)がなくては生活できない社会になった。USドルを手にした人々は、競って自動車を買い、島の一本道に繰り返される渋滞に毎日辛抱強く耐えている。冷房の効いたスーパーで輸入缶詰と冷凍肉と小麦粉を買い込み、糖尿病を気にしながら炭酸飲料に手を伸ばす。教育や医療、そして職を求めて首都のマジュロ環礁に離島からやってきた人々は、失業率30%の閉塞的な社会で、酒毒に侵され、理由もなく自殺する。故郷の島から遠く離れた若者は、自分のカヌーもヤシの木もなく、風と波と星に導かれて航海する術も知らず、ヤシの木に登ることもない。自然に還らないゴミが海岸沿いの人家の手前まで迫っている。乱暴に削り取られた珊瑚がセメントと混ぜられて、小さな島に不釣合いな立派な建築物に生まれ変わる。観光客が求める「美しい南の島」のイメージに合わせて、島民は画一的な努力を強いられる。レンタルビデオで借りてきたハリウッド映画に逃避する島民の心には欲望と不満が鬱積し、使い古されたドル紙幣が、さながら賭博のかけ金のように島の中をくるくると循環している。開発に翻弄される島の断面を切り取ると、まるで哀しい喜劇のようだ。経済開発そして軍事開発の重圧に耐えるには、マーシャル諸島はあまりにも繊細な自然環境と社会である。
 しかし、私達は、開発によって断ち切られたマーシャル諸島の調和を取り戻す島民自身の努力に希望を見出したい。豊かな故郷の海と島とコミュニティ、語り継がれるべき伝説や歴史体験を見直すために、世界とつながろうとしてきたマーシャル諸島の友人達からこれまで多くのことを教えられてきた。「私がいつかこの世からいなくなっても、子どもや孫につらい思いをさせないために、語り継がねば!」と健康不安を抱えながらも自らを鼓舞し、語り部活動を始めたヒバクシャに対して「あなた達の悲しみを聴くだけでは終わらせません」という約束は、私に大きな宿題として残っている。
 マーシャル諸島の人々にとっての環境や平和は、国際会議で流暢に語られるスローガンでもなければ、人類の課題を映すための「絵になる」光景でもない。断絶の危機にある自らの尊厳とルーツを取り戻す作業であり、「美しい海と島を次世代に引き継ぎたい」と強く願う素朴な気持ちだ。「私たちにとっては、自分の子どもや孫たちの健康被害も心配です。もちろん、マーシャル諸島のすべての島が安全になることが大切だけれど、もっと大切なのは、この世界からすべての兵器がなくなること」と語るマーシャル諸島の人々のメッセージは強い。
 昨今、地球規模の環境問題でマーシャル諸島を含む太平洋の島々が一躍脚光を浴びているが、一過性の流行で終わらないための努力が大切だ。私達は草の根の交流を続けていくことが、マーシャル諸島そして日本で、ひとりひとりが「断絶」を超える努力につながると信じている。開発の負の連鎖に組み込まれない聡明さと誇りを分かち合い、それぞれのルーツを取り戻す作業を海を越えて共有したいと願っている。


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