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国際人権ひろば No.77(2008年01月発行号)

特集・46年目の軍政-ミャンマー(ビルマ)の今を考える Part3

ミャンマー僧侶デモの経済的背景

工藤 年博 (くどう としひろ) アジア経済研究所 地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ長

 ミャンマーでは8月のガソリン・ディーゼルなどの燃料価格の大幅値上げをきっかけとして市民のデモが発生、9月に入ると僧侶を中心とする10万人規模の反政府運動へと発展した。しかし、9月26日からミャンマー軍政は武力弾圧に乗り出し、わずか3日でデモを解散、事態の沈静化に成功した。軍政の暴挙に対し、国際社会からはごうごうたる非難が湧き起こり、国連のガンバリ事務総長特別顧問が軍政とアウンサンスーチー率いる民主化勢力との仲介にあたっているが、現在(12月末)のところ具体的な成果は出ていない。
 本稿では、今回の反政府デモ発生の背景を、経済的要因を中心に検討してみたい。それは、今回の反政府デモの背景には民主化や人権問題もあるものの、最大の要因は国民の経済的困窮・生活水準の悪化にあったと筆者が考えているためである。

燃料価格の値上げ


 それでは、まず、今回の反政府デモのきっかけを作ったとされる、燃料価格の値上げのインパクトについて見てみよう。8月15日、政府は燃料の公定価格を、ガソリン(1ガロン=約4.5リットル当たり)1500チャットから2700チャットへ、ディーゼル1500チャットから3000チャットへ、圧縮天然ガス(1リットル当たり)10チャットから50チャットへと値上げした。この値上げによりバスの値段が2倍に跳ね上がるなど、国民生活は圧迫され、堪忍袋の緒が切れた市民はデモを開始した。これが一般に理解されているストーリーである。
 ここで考えてみなければならないのは、「政府が燃料価格を値上げした」という部分である。日本でも同様にガソリンや灯油の価格が上がっているが、それは政府が上げているのではなくて、民間企業が輸入原油の価格や市況をみながら、自社の判断で価格を決めた結果として、そうなっているのである。それに大災害でもない限り、価格がある日突然2倍、5倍と跳ね上がるということは、通常の市場経済では考えられない。もちろん、ミャンマーも88年以降市場経済へと移行していると、政府は宣言している。では、なぜミャンマーでは政府が燃料価格を何倍にも値上げすることができるのだろうか。
 ことのからくりは、次のとおりである。ミャンマーではガソリンやディーゼルは原則として国が輸入を独占しており、これを割当制度で消費者に販売している。例えば、ヤンゴンでは乗用車の保有者は1台につき1日にガソリンあるいはディーゼル2ガロンを、国営ガソリン・スタンドで「公定」価格で買うことができる。今回、値上がったのはここでの販売価格である。しかし、実際にディーゼル・ガソリンの大量の割当をもらっているのは、車の保有者だけではなく、国軍(連隊など)、国営工場、高級官僚など権力に近い組織・人々であった。これらの組織・人々は割当量のうち使い切らない余剰を並行市場へと売却し、公定価格と市場価格との差額を儲けていた。今回の値上げ前から、並行市場ではガソリンは3800チャット、ディーゼルは4300チャットと、値上げ後の公定価格を上回る水準で推移していたのである。すなわち、安い公定価格による燃料割当は、割当をもつ組織・人々への実質的な補助金となっていた。逆に言えば、こうした特権を持たない多くの市民は、すでに市場価格に調整された、値上げ後の公定価格よりもさらに高い燃料を利用していたことになるのである。
 実は、ミャンマー政府は2005年10月にガソリン・ディーゼルの公定価格を、8倍から9倍に値上げしていた。2006年4月には公務員給与を6倍から12.5倍に引き上げ、同年5月には電気料金もおよそ10倍に値上げしていた。ミャンマー政府は何年も公共料金や公務員給与を据え置くが、この間に通貨チャットが下落するから実質的には料金は下がっていく。それをどこかの時点で一気に解消しようとするから、いきおい何倍あるいは十倍もの値上げとなってしまうのである。
 以上から、今回の燃料価格の値上げが、過去の事例に比べて特段に国民生活や経済に大きなインパクトを与えたとは思われないのである。但し、燃料価格値上げが「きっかけ」を与えたことは間違いない。いつものことながら、値上げに関する事前の予告は全くなく、消費者はガソリン・スタンドに給油に行って初めて値上げを知るという、政府の傲慢で市民を無視した値上げの仕方が、国民の間にマグマのように溜まっていた軍政に対する不満に火を付けたのである。

食料価格の高騰


 それでは、国民が本当に不満をもち、彼らの生活を脅かしていたものとはなにか。それは食料価格-とくにコメと食用油-の高騰であったと思われる。
 2001年の中央統計局の調査によれば、ミャンマーでは食料支出が家計消費支出に占める割合(エンゲル係数)は7割を超えている。エンゲル係数は所得の上昇とともに低下することが知られており(エンゲルの法則)、この数字はミャンマー世帯の貧しさを端的に示している。
 同調査によれば、全国平均の1人当たり1ヵ月の消費支出は、当時の市場為替レート換算で約10ドルに過ぎない。世界銀行など国際援助機関は、貧困ラインとして1日1ドル(すなわち1ヵ月30ドル)の消費支出を設定することが多い。ミャンマーのそれは全国の平均が貧困ラインの3分の1という、驚くべく低い水準であった。そして、このような低い水準でも生活が維持できたのは、支出の大部分を占める食料価格が安かったからである。食料の中でも、とくにコメと食用油は重要な品目である。ここで注意すべきは、この2つの食料への支出割合は、低所得(消費)階層ほど高いという点である。例えば、同じ調査によれば、農村部の最下層(5分位階層別の最下層20%)の消費支出の約4分の1はコメに、約1割は食用油に支出されていた。以上の議論から容易に想像できるのは、食料価格-とくにコメと食用油-の高騰は、国民生活を直撃するということである。
 そして、実際に食料価格は2006年央以降大幅に上昇していた(図)。これこそが今回の反政府デモのもっとも重要な経済的要因である。消費者物価は2006年前半に対前年同月比10%台の水準から、同年後半には20%台に、2007年に入ってからは30%から40%の水準となっていた。中でも、コメと食用油の高騰は激しかった。2006年前半に20%台~30%程度で推移していたコメ価格は、年後半には40%台を記録するようになった。2007年2月に47%という異常な高騰を記録したのち、鎮静化には向かっていたが、それでも7月時点で20%程度の上昇を示していた。食用油については、2007年に入ると急上昇を始め、4月には対前年同月比60%を超えるまでに高騰した。以上から、2006年後半から強まった物価上昇圧力は、今回のデモ発生の直前まで継続していたものと考えられる。そして、コメと食用油という基礎食料の価格高騰は、この2品目に対する支出割合の高い低所得層あるいは貧困層を直撃していたものと思われる。
 実は、今回のデモに先立つ2007年2月22日、ヤンゴンではすでに一度デモが発生していた。「ミャンマー開発委員会」を名乗る20数名が、物価の安定、教育費の値下げ、社会保障の改善などのプラカードを掲げながら市内を行進したのである。この時は当局の取締を受けデモは拡大しなかったが、こうしたデモはミャンマーでは異例の出来事であった。この時点ですでに、今回の物価高騰は「いつもの庶民の嘆き」という水準を超えていた。低所得層を中心に国民は、我慢の限界に近づいていたのである。

食料価格


失政がもたらす経済苦境


 もちろん、筆者はこれほど大規模な反政府デモの原因が、全てコメと食用油の高騰にあると言っているのではない。デモ拡大の背景には20年に及ぶ軍政統治の間に鬱積された国民の、正統性を欠く不当な権力への怒り、人権侵害や自由の欠如への怒り、目に見える経済格差拡大への怒り、そして父母以上に尊敬される僧侶に対する暴力への怒りなど、様々な憤りが複雑に入り交じって存在していたであろうことは間違いない。
 しかし、それでもやはり人々は日常を生きているのであり、そこで真っ先に感じる不満や生活への脅威はコメや食用油といったもっとも基礎的な食料の価格の高騰であったとしても不思議はないだろう。今回の物価上昇の要因は解明されていないが、その根底に軍政のまずい経済運営や汚職などの不正行為があったことは間違いない。詳しく述べる紙幅はないが、かつては世界最大のコメ輸出国であったミャンマーで、米価高騰を背景とする反政府デモが起きること自体が、軍政の経済失政を物語るものと言わざるを得ない。
 今回の大規模デモを受けて軍政は何を学ぶのだろうか。現在のところ、民主化へ向けた顕著な動きはなく、軍政が政治改革の必要性に関して教訓を得た様子はない。しかし、せめて国民生活に直結する経済運営に関してだけは、正しい教訓を得てほしいと願うのは、筆者だけではないだろう。

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