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国際人権ひろば No.77(2008年01月発行号)

『裁判官・検察官・弁護士のための国連人権マニュアル -司法運営における人権-』を読む12

国際人権基準の国内的実施と「国際人権マニュアル」活用セミナーに参加して

菅原 絵美 (すがわら えみ)大阪大学大学院国際公共政策研究科

 2007年10月25日、大阪弁護士会館で行われたIBA(国際法曹協会)と大阪弁護士会共催の「国際人権基準の国内的実施と『国際人権マニュアル』活用セミナー」に参加した。これは、国連人権高等弁務官事務所がIBAの協力のもと作成した「裁判官・検察官・弁護士のための国際人権マニュアル」をどう活用するかについて考えるため、日本弁護士連合会(日弁連)などがマニュアル作成に尽力したIBAの専門家、Phillip Tahmindjis氏およびSheila Murphy氏の2名を招き、日本における国際人権基準の国内実施を実際的に担っている実務家を対象に行われたものである。同様のセミナーが22日に東京でも開催された。英語で作成され当該マニュアルは、現在、スペイン語、ロシア語などに翻訳され、2006年3月日本語版がアジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)によって発刊されている。当日、会場には、13,000ページにもなるマニュアルを抱えた多くの弁護士が参加していた。

 Phillip Tahmindjis氏は、国際人権基準を民事事件、特に差別事件にどのように活用できるかについて講演された。日本は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)や市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)をはじめとする多数の人権条約の締約国であり、そのことは弁護士が利用できる人権基準の多様さを意味している。

 その一方、国際人権基準を実際に裁判で援用するにはいくつかの問題がある。例えば、日本政府が条約に付した留保である。子どもの権利条約の第37条(c)項の第2文は「自由を奪われたすべての児童は、成人とは分離されないことがその最善の利益であると認められない限り成人とは分離される」と規定している。しかし、日本では国内法上、退去強制の際、原則として20歳未満の者と20歳以上の者とを分離することとされているため、当該規定に拘束されない権利を留保している。また、個人通報が利用できない日本ではより一層国内での国際人権基準の適用が重要になってくるのだが、そこでは、条約上の文言の不明確さが問題となってしまう。

 このような状況のなかで、国内法上、どのように国際人権基準を適用するのかが課題となる。問題は何か、どんな分野の差別か、差別は直接的か間接的か、損害は何か、損害と差別との間に因果関係はあるのか、そして、人権基準を直接援用することができるのかといった点の分析が必要となってくる。さらに、直接適用を少数の事件でしか認めていない日本の裁判状況のなかで問題となるのが、直接適用できない場合にどのように国際人権基準を使うのか、すなわち、国際人権基準の間接適用の問題である。間接適用には、国内法上の規定のあいまいさや差異を問題にできる、法律や憲法上明示されていない権利を導きだすことが可能となる、CSR(企業の社会的責任)として、労働者が使用者に対し、普遍的な国際人権基準を遵守する合理的な期待を主張することが可能となる、などの意義がある。
 結論として言えるのは、国際人権基準は弁護士に新たな手段を与えるものであるということである。CSRの高まりを受け、企業に対し人権を尊重するよう合理的期待を持てるようになった今、国際人権基準の企業への適用の可能性が出てきた。さらに、被害者が受けた処遇は正しい(right)か、公正(fair)か、正当(just)か、という正義を問う姿勢が重要なのである。

 Sheila Murphy氏は、日本の刑事手続上の問題点、および人権を実現する上での弁護士の役割について講演された。我々は地球というひとつの村の住民であり、実際にインターネットなどを介して日本の状況を世界中の人々が見守っている。だからこそ、2007年8月23日の三人の死刑囚に対する告知なしの執行に、この地球村は驚愕したのである。日弁連は、市民に対して法がいかに正確で信頼できるものであるかを示すこと、すなわち録音または録画により取り調べの様子を記録する権利を提案し、閉ざされた刑事訴追システムに、透明性をもたらすことができる。公正な裁判および適正な手続は、被告人のみならず、被害者と一般の市民にとっても重要なものなのである。

 日本国憲法は第34条で抑留および拘禁を制約し、第38条では、自白強要の禁止と自白の証拠能力の限界を規定する。しかしながら、自由権規約委員会が1998年日本に対して示した最終所見では、保釈の無さ、弁護士へのアクセスの不十分さ、自白の強要、証拠の不開示、起訴前勾留としての「代用監獄」制度の使用など、公正及び適正手続の違反を具体的に示した。最も深刻な問題といえるのは、23日間の起訴前勾留である。この制度は無罪の者を有罪とし、そのことで有罪の者を自由にしてしまう危険がある。また、弁護士がその複写を持ち帰ることができないなど、裁判での書面へのアクセスに制限が設けられていることも問題である。裁判所は、被告人の自白を拷問により強要されない権利を尊重すべきであり、審議はメディアを含め公に開かれたものであるべきである。その際、メディアには、被告人に対する不公平な報道を回避するため、裁判の複写書類および要旨にアクセスできるようにすべきである。さらに、日本の99%の有罪率は、裁判官の独立に対して疑問を生じさせる。これは、裁判官が検事に向きながら裁判を進める傾向があるのではないかという疑いである。裁判官は自身の独立のためにも、弁護士の方を向くことが必要である。

 では、事態を向上させるためにはどうしたらよいのだろうか。日本国憲法の前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とあり、これは日弁連だけで達成できることではい。裁判官、検事、弁護士が協力し、我々の地球村に正義を構築する必要がある。

 講演のあとには、質疑の時間が設けられた。フロアからの社会権規約上の権利を裁判で援用することについてアドバイスを求める発言には、社会権の持つ漸進的義務という性質は、個人に権利がないことを意味するのではなく、国家が社会権を合理的に保障できる能力を示すことができれば権利として訴えることが可能であり、日本政府の当該能力を証明することが必要であると述べた。また、規約上の義務と国家の立法裁量の関係に関する質問には、例えば、表現の自由に名誉毀損といった民事・刑事上の制約が備わっているように、権利には一定の条件がついて認められるものがあり、一般認識とのバランスを考えながら対応する必要があると回答した。

 IBAの二人の弁護士による講演は、国際人権基準の国内裁判での適用における技術的な示唆のみならず、日本を含む地球というコミュニティにおける普遍的な人権の支持者としての弁護士の役割にまで及ぶ熱心なものであり、これらを受けての質疑・議論においても自然と熱意が感じられた。「国際人権マニュアル」の普及とともに、弁護士のみならず、裁判官、検事、そして市民ひとりひとりに、人権のアドボカシーとしての意識が広がっていくことを願っている。