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国際人権ひろば No.76(2007年11月発行号)

人権さまざま

身に覚えのない過ち

白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪所長

すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
(世界人権宣言 第2条1項)

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
(日本国憲法第14条1項)

 私がまだ学生であったときのことである。私は、ある団体の人権活動に関わっていた。その団体には、いろいろな人がいた。学生、会社員、教師、研究者、外国にルーツを持つ人とさまざまであった。国内の社会問題や人権問題ばかりでなくアジア地域の問題にもかなり積極的に取り組んでいた。あるとき、その団体の会合で、アジアのどこかでの会議に代表を送るかどうかが話し合われた。人を送ろう、でも誰を代表として送るかということになって、はたと困った。まとまった休みがとれる人、英語で話ができる人、など難しい条件がついたのである。この窮状を救おうと、一人が申し出た。「私が行ってもいいですよ。」その人は、大学の研究所に勤めており、1週間くらいなら仕事を休めた。英語もできた。もともとヨーロッパのある国の出身で、日本に帰化した人であった。そういう事情を知らない人は、その人を元の名で呼ぶことがあったが、その人は「私の名前は・・・です。」と日本名にこだわった。長年日本に住み、日本の社会、習慣、考え方、感じ方なども、大変よく理解し、また日本の友人、知人との交わりも深かった。
 この人が、団体の代表として行ってもよいと申し出たとき、私は、つい、「この方には、これまでたびたびこのような会議に行っていただいているので、今回は日本人にお願いしてはどうでしょう」と言ってしまった。深く考えての発言ではなかった。途端に、いつもは温厚なこの人の顔色が変わった。怒りを抑えて、きっぱりといったことば。「私は、日本人ですよ。あなたの今言ったことは、差別です。」その後の私は、動転して何を言ったか覚えていない。みんなの前であやまったが、その人は容易に許してくれなかった。

 眠れない夜を過ごし、翌朝、その人の研究室を訪ねた。ことばを尽くして前日の非をわびた。その人が言った。「差別は人の心の奥に潜んでいるのです。自分でも気付かないほど深く潜んでいる。あなたが何気なく言ったことの中にそれが出てきたのです。あなたのことばは正直でした。人権のために活動していると信じ込んでいるあなたが、実は自分が差別をしていることに気付いていなかった。これを忘れないでください。」その人は、最後まで、「許す」とは言ってくれなかった。 

 それから数年後、私は国際連合で働くことになった。時々職場でアフリカ出身の職員が同僚や上司に差別されたと訴えるのを目にした。訴えられるのは、ヨーロッパやアメリカの白人。この人たちは、「人種差別主義者」(racist)と見られることに特に神経質になる。「私は絶対に差別をしない。差別主義者ではない。差別されている人たちのために尽力してきた」と弁明する姿をみて、かつて自分が気付かされた心に潜む差別を思い出していた。

 時がたった。今度は私が、「人種差別主義者」と責められることになった。あるとき会議の担当責任者になり、会議運営にあたった。一緒に働くことになったアフリカ出身の同僚が仕事中にしばしば持ち場を離れ、長時間行方知れず。頼んだ仕事も片付かない。再三注意しても変わらない。私は業を煮やして、とうとう堪忍袋の緒が切れた。「この仕事がいやなら、元のところに戻っていい。他の人を送ってもらうから。」彼は、私を見据えて、「これは人種差別だ。」とはき捨てるようにいう。私が理解できないというと、「アフリカから来た私に日本人のように働けというのは、差別以外の何ものでもない。私はアフリカにいる家族を養っている。私が仕事を失うようなことになれば、家族は生きていけない。あんたの責任だよ。」仕事をサボることと人種差別との関係がよく理解できないままに、別のアフリカ出身の同僚にこの話をしたら、「あれは、『人種差別』を使って国連で生き延びているやつだよ。でも、アフリカ人ならだれでも、ヨーロッパにいるときは『人種差別』を忘れられないんだ。だからオレは、あいつを批判できない。」この同僚の話をききながら、私は、自分の心の中に差別が潜んでいないかと自問した。いまでも、「私は絶対に差別をしない」と公言する自信はない。

 差別は、人の尊厳に対する攻撃であり、人権侵害である。差別された人の悔しさ、辛さ、怒りは、差別を経験したことのない人には容易に計り知れない。差別は、差別する人の心の問題であると同時に、社会の問題でもある。社会的、経済的そして文化的要因に加えて政治と歴史が絡んで問題の解決は容易ではない。ただ、はっきり言えるのは、差別を容認する社会に人権の実現はないということである。人権は、「だれにでも」、「どこでも」、「いつでも」、「おなじように」保障されるはずだからである。

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