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シネマと人権3:寡婦となれば「人生終わりです」でいいのか~インド映画「あなたの名前を呼べたなら」評

 インドの大都市、ムンバイの豪華高層マンションで暮らす男とその家政婦の物語である。
男は建設会社の御曹司、女は高原の村から都会に出稼ぎに出てきて、メイドとして御曹司に仕える立場である。映画は里帰りをしていた家政婦が急遽、ムンバイに呼び戻され、荷造りをするところから始まる。実家からムンバイに出るには、まず知り合いのバイクに乗せてもらって、乗合タクシーに乗り換え、さらに長距離バスに乗り、電車を乗り継いで勤め先のマンションにたどり着く。
主人公の家政婦は結婚4ヵ月で夫が病死し、19歳で寡婦となった。インドでは、妻は永遠に夫を想い、「貞節」と「純潔」を守ることが至高とされる。彼女の村では、夫が死ぬと妻は一生、夫の菩提を弔い続けねばならない。派手な衣装は着られず、アクセサリーをつけることも、化粧も許されない。甘いお菓子も食べてはいけないというのだから、欲望の禁止である。ましてや恋をするなど考えられない。彼女の言葉では「人生終わりです」なのである。妙な噂がたてば、義弟が髪をつかんで村へ連れ戻すという。そういえば彼女は、故郷に帰るときはアクセサリーをはずし、都会に出てくるときは腕輪をはめる。

都会で稼いで故郷に送金
彼女が都会に出て来られたのは、口減らしのためだという。家政婦として働き、月給のかなりの部分になると思われる4,000ルピー(約6,000円)を婚家に送金している。さらに、実の妹には自分のような人生を歩ませたくないとして学資を送り続けている。彼女はまた衣装デザイナーになる夢を持ち、家政婦の空いた時間を使って裁縫やデザインの勉強を続けているのだが、ふらっと入った高級ブティックで、女主人は彼女の服装を見て、すぐ警備員を呼ぶ。
一方、男の方はハイソサイティの生まれで、アメリカでライターをしていた経歴がある。今は父の会社で働き、料理を作る家政婦と運転手付きの高層マンションで暮らしている。
同じマンションに暮らす男と家政婦の女は互いに惹かれていくが、階級差別や性差別、職業差別などが立ちはだかる。
ある女性客は、ドレスに飲み物がかかったとして、家政婦に弁償を要求し、「バカメイド」と口にする。男の友人は家政婦との交際をやめるように忠告する。「メイドだぞ」、「一生、メイド上がりだといわれて苦しむ」、「ナイフやフォークの使い方も知らない」と。確かに彼女の食事はいつも手づかみである。

歴然とした階級差別
パーティーで階級の差が歴然となるシーンがある。会場で飲み物を持って回る家政婦に誰も目を合わさない。黙って飲み物をもらうか、知らん顔をするか、人間としての扱いではない。
原題は敬称の「サー」。彼女は彼を「サー」(字幕では「旦那さま」)としか呼ばない。「サー」をやめ、名前で呼び合うことで二人の関係が変わる。独立した人格を持つ男と女になるときだ。
監督のロヘナ・ゲラは、住み込みの家政婦のいる家庭で育ったムンバイ生まれの女性で、「インドの階級問題を、恋愛問題を通して探求できないか」と考えていたという。
男は結局、再びアメリカに行くことになる。インドの伝統社会の束縛から逃れるには、国外に出るしかないのが現実のようだ。
ひるがえって日本はどうか。寡婦の再婚禁止といった風習はないが、女は男に従属すべきだという空気は根強く残っている。世界経済フォーラムによる2018年の日本のジェンダーギャップ指数は、インドより下位の世界110位なのである。
                    小山帥人(ジャーナリスト)

ムンバイのマンションのテラスで、友と語る主人公の家政婦(左).jpeg

ムンバイのマンションのテラスで、友と語る主人公の家政婦(左) ©Inkpot Films

『あなたの名前を呼べたなら』
2018年インド・フランス合作/監督:ロヘナ・ゲラ/1時間39分/配給:アルバトロス・フィルム
公開: 8月9日(金)~テアトル梅田
8月17日(土)~京都シネマ
8月23日(金)~シネ・リーブル神戸

(2019年07月03日 掲載)