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国際人権ひろば No.160(2021年11月発行号)

特集:多様性(ダイバーシティ)が実現する社会とは

色覚多様性-少数色覚の理解とその広がりのために

尾家 宏昭(おいえ ひろあき)
しきかく学習カラーメイト代表

色覚多様性の誤解

 現在の医学用語「色覚異常」やかつての医学用語「色盲」を、多くの人は「劣った色覚」「色の見分けができない状態」と解釈する。私はそれを説明するとき「少数色覚(者)」と称している。「特定の色の見分けは難しい反面、多くの人が見落とすものを発見できる色覚(の人)」とも言えるからだ。


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 21世紀になり色覚の研究は大きく進み、ヒトの色覚は多様性の一つだと明らかになり、ヒト以外の生き物の色覚も明らかになってきた。中南米に住む新世界ザルにも色覚多様性がある。東京大学の河村正二教授らは調査で、少数色覚のサルが果実採食などで不都合がないことを確認した。それどころか食料とするカモフラージュした昆虫や小動物を鋭く発見していた。しかも暗くなるとその力はさらに増すことも明らかになった。
 気候の変動からやがて樹上から地上に降りるヒトの祖先は、果実採食からコミュニケーションを用い協力して狩りをするようになる。現在、男性の5~8%、女性の0.3%前後とされる少数色覚者は、狙った獲物や自分たちを狙う猛獣などを鋭く発見できるなど特別な発見能力を備えた重要な存在で、遺伝により一定数存在するよう保たれてきたとも考えられる。


学校での検査と教育内容

 その後文明の発達により、人間は自分で色を作り出し、区分して名前をつけたり、情報伝達の手段の一つに色を使うようになった。すると、多くの人が容易に見分けられる色区分が苦手な人がいることに気づいた。鉄道信号に赤と緑を採用した19世紀末頃から、「信号の色を判別できず危険だ」と問題視され「色盲検査」が始まった。このころ色盲とは「鉄道業務から除外すべき色覚を有する人」を意味し、厳密に検出し、鉄道や船舶関係者から排除されるようになる。
 明治の初め、日本は鉄道とともに色盲検査も同時に輸入し、西洋に倣って検査を始めた。この時代、富国強兵のスローガンや優生思想の台頭により人々は序列化され、ハンセン病者などさまざま排除される人々が生み出されていったが、それまで気づかれなかった少数色覚者も「劣った色覚の人」というレッテルが貼られ、色を扱うすべての仕事の不適格者といわれるまでになっていった。そのため、全ての国民が職業選択前に色盲検査を受けるべきとされ、尋常小学校で全児童に行うという制度が1921年から始まった。この検査実施は、少数色覚者の排除だけでなく誤った色覚認識の拡大再生産にもなっていく。
 戦後も検査制度は踏襲され、学校でも誤った認識が詳しく教えられていく。1950年代の日本の中学校保健体育教科書では、「色盲でない両親から色盲の男子が生まれるしくみ」を遺伝図で説明。そこでは女性の保因者は「見かけは健全」と表現され、結婚前に相手の女性の身元調査をすべきと諭している。また不適当な職に就くと「職業の能率を低下させ、社会の発展を害する」として「不向きな職業」が示されている。
 このような教育が明治以降、教員や医師、さらに家庭でも行われ、今でも「赤と緑が全く同じ色に感じる人」や「車の免許取得不可の人」「きわめて稀な異常をもつ人」とかつてと同じ認識を持ったままの人は決して少なくない。やがて公務員採用からの排除、取得不可の資格や企業等の採用拒否、学校の入学拒否の増加等々の施策が次々に行われるようになり、20世紀末には世界に類を見ない「少数色覚に対し極めて不寛容な国ニッポン」となった。
 西洋諸国では、少数色覚は「極めて限定的なちがい」と捉えられ、「劣った」という認識や偏見はないという。イギリスの著名な色覚研究者は「子どもの色覚のちがいを心配して連れてきた母親に、検査をした上で先天的な色覚だと説明すると『なんだ、私の父からの遺伝なんですか。それで苦手な色があるんですね。わかりました』と色覚のちがいや遺伝をマイナスととらえることなく安心して帰る」という。日本とは大ちがいだ。


一律検査の廃止と再開と

 2001年、国は「色覚異常と判定される人でも大半は業務に差し支えないことが明らかになった」「問題がないにもかかわらず事業所が採用を制限するなどの事例が見られる」として、雇用時健康診断の必須項目だった色覚検査を廃止、ようやく一定の歯止めがかかった。2003年から学校での一律検査もなくなった。
 しかし2014年頃から学校での検査が推奨され始める。眼科医会は、学校での検査は「子どもたちに、現在色盲を制限している職業を知らせる良い機会」であり、「異常」の子どもに早期指導をすべきと主張する。文科省はその方向へ舵を切り、「検査は廃止したが、検査を受けることを推奨する」と混乱を招く通知を発した。通知は命令と受け取られ2016年からは堰を切ったように全国で推奨され始め、色覚多様性の理解のないまま子どもや保護者は検査を受けていった。
 検査方法は、多くの人が知っている石原式検査表だ。「色盲の疑いであっても排除すべき」と考えられていた当時、非常に鋭く検出できることで世界的に高い評価を受けたが、多数色覚者とほとんど変わらない人まで抜き出してしまう検査表だ。廃止となった根拠が忘れ去られ、多くはその検査表の判定だけで職業指導もされている。案の定、私には「異常」の判定や医師の指導に涙を流す親子の話がたくさん届いてきた。
 公正な採用選考の基本は、応募者に広く門戸を開くことだ。職業適性を測るならば実際に携わる実務で測るべきだ。海外ではパイロットの適性検査としてコンピューター解析で実務の適性を測る検査も開発されている。検査表とは全く異なる結果も得られるという。
 また、進路指導とは発達段階に応じて教育の中で系統的に行われるもので、一つの身体的特徴のみを重点化して指導することは問題だ。しかも職業選択などまだ早い小学生に「異常」という検査結果と職業指導など行うべきではない。今ある就労制限の見直しや改善を否定し、無条件に制限を受け容れさせることになるからだ。検査が再開された2016年に施工された障害者差別解消法の理念とは全く相反し、憲法が保障する職業選択の自由を侵すことにもつながる。


「しきかく学習カラーメイト」

 こうした状況から、「検査そのものや検査表をなくせばいい」という怒りの声も多い。しかし、それでこの国の少数色覚者に対する誤認識や社会的分断がなくなるとは考えられない。実際、学校での検査廃止からわずか十余年で、あっという間に「色盲検査」に逆戻りした。それが必要だと考える認識が根強くある。日本での鉄道運転免許は「色覚正常」が未だ法規で求められ、検査表だけで判断され続けているという。
 浸透してしまった誤った認識は、放置されたままではなくならない。学校からの検査案内が届き、子どもや保護者が受けるかどうかを考える前に、色覚のちがいや検査について学習できる教材をつくろうと教員や元教員らが集まった。それが私たち「しきかく学習カラーメイト」という集まりだ。正しい知識を最も必要としているのは子どもたちや保護者にちがいないと考え、これまでマンガ冊子2種類自費出版してきた。
 2021年7月に、米国で出版された絵本 "ERIK the RED sees GREEN A Story about Color Blindness"を翻訳し「エリックの赤・緑」として発刊した。少数色覚の主人公が、クラスメイトと共によりよく過ごしていくための方法を見つけていくストーリーだ。保護者などへの説明もつけている。ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。


p6-7_image2.jpg翻訳 ごとう あさほ/説明 尾家 宏昭
発行者 しきかく学習カラーメイト
発売元 学術研究出版
ISBN 978-4-910415-59-8



「しきかく学習カラーメイト」
URLhttps://color-mate.net/