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国際人権ひろば No.146(2019年07月発行号)

人権の潮流

人権を尊重し、未来を志向する観光の提案 -韓国の「公正観光」が示唆するもの

桔川 純子(きっかわ じゅんこ)
明治大学兼任講師

 公正と観光-日本ではあまり結びつかないこの二つが、韓国では「公正観光」というオルタナティブな観光形態として進化している。2008年にその概念が韓国に初めて紹介されてからわずか10年だが、現在では中学校の国語や社会の教科書で「公正貿易(フェア・トレード)」とともに「公正観光」が紹介され、公正観光条例を制定する自治体も現れてきている。では、「公正観光」とは一体何なのか。その概要を紹介してみたい。

移動人口13億2,600万人-「観光」のインパクト

 国連の専門機関である世界観光機関(UNWTO)が発表した「世界観光指標」によると、2017年の累計海外旅行者数は前年に比べ約7%増加し、2009年の世界経済危機以降最大の13億2,600万人を記録した。国際観光収入は5%増加し、総額で1兆3,400億米ドルに達している。世界の輸出区分においては、観光は化学、エネルギーに次ぐ第3位で、自動車関連の産業を上回る。観光は、10人に1人の雇用を生み出し、世界GDPの10%を占める一大成長産業なのだ。

 しかし観光人口が増加するに従って、環境破壊や、近年では地域のキャパシティを超えた観光客が訪れるオーバーツーリズムの弊害が世界の観光地で起こっている。ソウル市と協定を結んでいるバルセロナ市は、人口の20倍もの観光客が訪れる世界有数の観光地だが、オーバーツーリズムの影響で、住宅用のマンションを観光客の宿泊用に変更する物件所有者も多く、その結果、賃貸料が跳ね上がり、また物価の上昇、騒音など、地域住民たちの被害が著しい。自治体の対策は急務だ。地域住民の平安を守るためにバルセロナ市は積極的な対応を図り、これまでの公正観光フォーラムではその取り組みが紹介されてきた。

「公正観光」の登場

 2018年、世界観光機関が設定した世界観光の日(9月27日)に向けて、ローマ法王庁のピーター・トクスン枢機卿は「観光とデジタル技術革新」という談話を発表した。そのなかで「デジタル利用客の約50%がオンラインに掲載された画像と評価に影響され、70%が旅行を決定する前に、すでに旅行した人々の映像と意見を参考にしている」ことに触れながら「『持続可能な観光』を過小評価してはなりません。非常に有名で人気のある多くの観光地が、健康で公正な観光に反する、いわゆる『オーバーツーリズム』現象がもたらす負の影響に苦しんでいます」と言及し、「公正観光」の必要性に触れている。

 「公正観光」という概念は、1988年イギリスのNGO「ツーリズム・コンサーン」が社会に提起したものだ。「ツーリズム・コンサーン」は、旅行者の責任を問いながら、倫理的な行動を促す教育プログラム、キャンペーンなどを通じて、国際観光の社会的問題に取り組んできた。アメリカでは、1989年に反グローバリズムのNGO「グローバル・エクスチェンジ」が、旅先での人権、環境破壊などの問題に取り組むかたちで新たな旅行形態を提案している。

 韓国では2007年「イマジンピース」という市民団体が「公正旅行祭り」を開催するなかで紹介したのが最初だ。もともと「公正観光」とは、「公正貿易」の概念が観光分野に適用されたものであるが、韓国ではその意味が拡大し、オルタナティブな観光形態として発展してきた。類似した概念としては、持続可能な観光、責任のある観光、エコツーリズム、グリーンツーリズム、福祉観光などがあるが、持続可な観光の原則を基盤にし、それぞれの概念を包括したうえで、「公正性」を強調した観光スタイルである。韓国で初めて「公正観光」の専門旅行社として創業した社会的企業「優しい旅行」は、公正観光のプログラムにおける重点ポイントを次のように定めている。

  1. すべての人に旅行の機会を提供する
  2. 「取引の公正さ」で観光産業の発展に寄与する
  3. 旅行者と旅行先との公正な関係性をつくる(環境破壊を最小限に抑え、地域経済に貢献する)

 これまでにも企業がCSRとして貧困地域に暮らす人々に旅行の機会を提供したり、ソウル市がシングルマザーと子どもたちに旅行を支援したりするといった事例があるが、旅行を「健康で文化的な最低限度の生活」の条件と考え、これまでの旅行に対する認識に一石を投じている。そして、何よりも「地域住民が幸福でなければ観光客も幸福ではない」という「公正観光」の理念が共感を呼び、地域住民主導型で作成された観光プログラムが全国で盛んになってきている。

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詩人で独立運動家だった韓龍雲が修行した寺としても有名な
百潭寺を訪れる貧困地域の住民たち(2014年10月)

広がる自治体の取り組み

 2016年の「ろうそく革命」で民主主義を推進させた社会状況も後押しし、「公正観光」を地域で取り組もうという団体、自治体も増えている。韓国の大田市では、2017年8月韓国で初めて「公正観光育成及び支援条例」を制定し、済州特別自治道も公正観光条例案を現在検討している段階である。そして多くの観光客が訪れるソウル市も、2011年に人権派弁護士の朴元淳(パク ウォンスン)氏が補欠選挙で市長に当選してから、公正観光の分野においても先進的な取り組みを行っている。

 ソウル市は2016年から世界観光機関と協定を結び、「公正で持続可能な観光国際フォーラム」を毎年開催してきた。2016年は「誰もが幸せな観光-大都市と公正観光、大都市とマウルツアー(注:マウルは韓国語で、まち、村の意味)」、2017年は「都市観光-公正かつ持続可能な都市のアジェンダ」、2018年は第7回世界観光機関世界都市観光総会と連動し、「誰もが幸せな観光-未来の公正観光」をテーマに国際的な視野で議論を重ねてきた。そして、フォーラム開催期間中、「フェア・トラベル・リビング・トゥゲザー」というキャンペーンを展開し、「旅行する市民」というガイドラインを設け、次のように提案している。

  1. 私たちが旅行で訪問する地域に暮らす市民の暮らしと権利を尊重する。
  2. 騒音を抑え、ゴミを減らす努力し、プライバシーを尊重する。
  3. 炭素排出を減らし、自然や森、川や水などの環境を保全しながら旅行する。
  4. すべての社会的弱者が旅行と移動の自由を享受できるように努力する。
  5. 地域の商店や飲食店、市場や工芸品を選択し、倫理的な消費を実践する。
  6. 旅行業に携わる人々の人権や権利が尊重されるように努力する。
  7. 旅行者も旅行先の市民もともに幸福で持続可能な暮らしを享受できるように努力する。

(2018年「フェア・トラベル・リビング・トゥゲザー」パンフレットから)

 2018年11月にソウル市は、2019年~2023年の観光中期計画の「哲学」を「ソウル市「公正で持続可能な観光」であると発表した。中期計画のなかでソウル市は、「公正観光支援センター」を設立し、地域住民主導型の地域観光を育成することや、観光を通じて南北の「平和観光」と交流を構築するという内容も盛り込んでいる。

 韓国の「公正観光」は社会運動としての側面が強い。2007年に「社会的企業育成法」が制定されてから、民主化運動、市民運動などを経験した人たちが社会的経済の分野にも進出し、その担い手になっている。彼らは「公正観光」という手法を通じて社会を変革していくということを念頭におき、戦略的に運動を進めている。ソウル市の観光政策のなかで「公正観光」が強い存在感を示しているのも、この10年間「公正観光」関係者がたゆみなく政策提言やキャンペーンを続けてきた成果だ。

「公正観光」のススメ

 2018年、日本を訪れた海外の観光客は約3,100万人だ。「観光立国」を標榜し、オリンピック・パラリンピックが開催される2020年はさらに訪日外国人は増えるだろう。日本でもすでに京都や鎌倉などの観光地ではオーバーツーリズムによって、地域住民の生活に影響が出てきている。観光客の増加は、観光産業に携わる人にとっては望ましいが地域住民にとっては苦痛にもなり、外国人に対する偏見を助長しかねない。国や自治体はオーバーツーリズムの対策を始めてはいるが、もっと積極的に国際的なネットワークのなかで、上述の「旅行する市民」のような価値を共有する働きかけが必要ではないだろうか。

 2018年の訪日外国人のなかで、韓国人は中国人に次いで多く、約754万人。一方日本から韓国を訪問している人は約294万人だ。日韓関係が悪化しているなかでも、訪韓する日本人は前年度から27.6%増加している。が、その倍の韓国人が来日している。まずは日韓で交流を深めていくような「公正観光」を提案したい。

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北海道の知床で環境保護の取り組みについての話を聞き、
大自然を満喫する韓国の公正観光愛好者の皆さん(2016年3月)