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国際人権ひろば No.146(2019年07月発行号)

特集 マイノリティと言語

ろう者の文化としての手話言語

山本 芙由美(やまもと ふゆみ)
Deaf LGBTQ Center代表

私の前の二つの世界

 私は、ろうの両親の間にろう者として生まれ、両親の手話を見ながら育った。しかし、同居していた祖母や伯母は聴者(聞こえる人)で、声で話すことを求めていた。

 当時は、今以上に「障害=マイナス」とする考え方が一般に強く、今問題になっている、「障害を持つ子が生まれないようにする」優生保護法がまだ存在していた。そうした中で私がろう者として生まれたことの「責任」は母にあるとし、父や祖母から責められたとのことである。これが後に両親が離婚する一つの理由となっている。

 言語についても、父も母も、祖母らの前ではできうる限り音声語を使おうとしていた。しかし、その一方ではろう者の集まりに出かけた時には解放されたように手話で話していた。私が幼稚部だけ通ったろう学校でも、聴者に合わせることに重点が置かれ、発話・読話訓練などに多くの時間が割かれていた。

 幼かった私の前には、手話で自由に快活に話し合うろう者たちの世界と、無理に聴者に合わせて声で話そうとする家やろう学校などの世界と、二つの世界が横たわっていた。なぜその二つに分断されているのか疑問に思いながらも、手話と音声言語と、どちらをも覚えていった。

 小学校の時に両親が離婚し、最初、強引に父のもとに留め置かれた私は、しばらくはろう者の世界から遠ざかっていた。しかし、数年後に両親の離婚訴訟が終わった後は母のもとに引き取られることになった。

 母は私をさまざまな場に連れて行ってくれた。ろう者の集まりだけではなく、さまざまな障害者の集まる場にも連れて行ってくれた。その経験が後に「多様性を尊重する社会」の大切さを実感していくことに結びついている。

 そして、高校の時に、「ろう文化宣言」に出会った。日本手話は日本語とは異なる文法構造を持つ独立した言語であり、話者たちがそのコミュニティー独自の文化を持つとし、日本(音声)語と対等な存在であること等を訴えた、日本におけるろう者の人権宣言ともいえるものだった。幼い時、父の家では手話は「身振り、ジェスチャー」のようなものと低く見られ「言語」ではないと見られていた。しかし、このろう文化宣言は私にとって一つのカルチャーショックだった。

言語としての手話にこだわって

 手話は独立した言語であるという視点は、ろう者としての誇りと権利意識を大きく呼び覚ましてくれた。本来のろう者の手話である「日本手話」に対して、音声語の単語に合わせた形で表現する「手指日本語」と呼ばれるものがある。日本手話は視覚言語であり、空間を活用して表現する。その中ではちょっとした眉やあご、肩の動きも大きな意味を持つ。文法や語順なども音声語とは大きく異なる。しかし、手指日本語は日本語の文章に手話の単語を当てはめたようなものである。そこには大きな違いがある。

 当時、私の通っていた高校は、全国で一つだけろう生徒に対する情報保障がある高校で、ろう生徒が数名在籍していた。そして年一度、手話弁論大会が開かれるが、そこではろう生徒は手話と音声語を併用することが求められていた。私はこれを拒否し、本来の日本手話だけで話すことを貫いた。

 性的マイノリティとしての自覚を持ち始めたのもこの頃である。しかし、私自身はLGBTQそれぞれのカテゴリーに縛られたくないという思いから「Q」…クィア(Queer)(注と名乗っている。これは日本ではあまり知られていないが、LGBTQの総称として使われることもある。いろいろな意味で私にとって高校時代は大変貴重な時代だったと思う。

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ヒューライツ大阪で講師として報告(2019年3月9日)

“差別される側”と“差別する側”

 やがて大学を卒業し、今のパートナーとの交際が始まった頃から、もう一つの問題に直面するようになった。私のパートナーはトランスジェンダーであり、男の心を持ちながら女の身体を持って生まれた。その彼に対して同じろうの仲間から「気持ち悪い」という言葉が投げかけられるのである。

 ろう者は一方的に「差別される側」ではなく、内容によっては「差別する側」にもなりうるという現実を突きつけられた。差別される苦しみを知る人々であるからこそ、それ以上の差別を受けたくないという気持ちが無意識に他の被差別者に向けられてしまうことがある。『私たちは「あの人たち」とは違うんだよ。「あの人たち」を嫌っているのは私たちも同じなんだよ』と、差別する側に身を寄せようとしてしまう。(もちろんこれは、ろう者だけではなく他の様々な被差別者に見られる現象である)

 ろう者の間で過去使われてきたLGBTQを意味する手話は、ゲイなら『男の後ろから他の男が突き入れる』というような形の表現であり、レズビアンなら、『女同士が身体をすり合わせる』形の表現である。どちらも性的な面だけでしか見ていないもので、内面的なものが含まれていない。最近LGBTQは「性的嗜好」の問題だとする発言が問題になったが、それに近いものがある。

 ろう学校の中でもそうした手話表現がからかいに使われ、教師たちもがそれを容認している状況があると聞いた。私はろうLGBTQの仲間たちと、そうした手話表現を変えてほしいと声をあげるようになった。それは同時にLGBTQに対する正しい理解と知識を持ってほしいという内容も含んでいる。

 そうしたLGBTQの手話を掲載した「ろう×LGBTQサポートブック」(2018年)を作り、多くのろう者や手話通訳者たちに見てもらうようにした。また、ろう児向けのDVDなども制作を進めている。

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多様な性を表す手話表現や手話通訳現場での
問題などが掲載されている。

手話と差別

 そうした私たちの取り組みに対して疑問が投げかけられることもある。ろう者がその歴史の中で作り上げてきた手話(=ろう者の大切な文化)は尊重するべきであって、容易に変えるべきではないという指摘である。聴者たちから差別され、教育の場では手話を禁止されながらも、なお自分たちの言語として手話を大切に伝えてきたろう者の歴史は尊重されるべきであると私も思う。「容易に変えるべきではない」とする指摘も受け止めるべきだと思う。

 ただ、先ほども述べたようにこれまでのLGBTQを表す手話は性的な面だけを強調した一面的なものであり、多くの場合、差別といじめに使われてきた歴史がある。また、手話の場合、はっきりと「男」「女」を表現するものが多くある。例えば「何々さん」と言う時の「さん」は、英語のMrやMissのように「男」や「女」の表現をつけて表す。男女二元論に当てはまらない人たちにとって、こうした表現が苦痛となる時も多い。

 ろう者と手話の歴史は大切にするべきだが、その中に差別があるならそれはできうる限り変えていく必要もあるだろう。とはいえ、迫害されてきた手話は今なお公立のろう学校では正式に教えられることはなく、全体としては地域ごとにやや異なる手話が使われている状況がある。これについていろいろな意見があるが、多様な手話があっていい。多くのろう者の中で形成されてきた手話はできうる限り尊重し、伝えていく必要があると思う。差別的な表現は変えるべきだが、「差別されてきた側」が、それまで差別に使われてきた言葉をそのまま投げ返すこともある。聴者のLGBTQの中でも「おかま」や「おなべ」あるいは「変態」といった言葉を当事者自身があえて使っていくことはある。その中には「変態の何が悪い?!」といった問い直し、あるいは居直りといったものが含まれているだろう。手話もまた同様である。当事者自身がそれまでの手話をそのままの形で使っていくことはある。

 ただ、それは当事者自身がさまざまな意味を込めて投げ返すのであって「差別する側」がそのまま無自覚に使っていくのとは全く意味が違うだろうと思う。そうした点も含めて、今後もっともっと広い範囲でいろいろな意見を受け止めながら模索していきたいと思っている。

 私としては「言語」「文化」も含めて、さまざまな人々がいるのであり、一人として「同じ」人はいない。そうした個人個人の在り方を尊重していける社会へと変えていきたいと強く思っている。

 

注:クィア…元々、英語で「変態」という蔑称だったが当事者により肯定的な意味合いで使われるようになった。