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国際人権ひろば No.62(2005年07月発行号)

特集:戦後60年のいまと未来を考える Part2

在日問題と日韓関係の未来を考える

金 敬 得 (キム キョンドク) 弁護士

日韓関係と在日


  2005年は、戦後60年、日韓条約締結40年、日本が朝鮮の植民地支配に踏み込んだ第二次日韓協約から100年にあたる。
  1980年代以後、韓国大統領の訪日毎に、天皇や日本国総理による植民地支配に対する遺憾表明、反省発言が繰り返され、日韓新時代の幕開けが演出されてきた。しかし、日韓友情年とされた今年も、竹島や歴史教科書検定、小泉総理の靖国参拝等をめぐり、両国民の民族的対立感情が刺激されている。
  日本には外国人登録をした約60万人の在日コリアンが居住している。彼らの存在は、日本の朝鮮植民地支配に起因するが、その歴史も100年に達し、今日では、90%以上が日本出生者で占められ、4、5世誕生の時代を迎えている。日本社会は未だに彼らに対する差別を克服し得ていないが、国籍を韓国や北朝鮮に維持しつつ、日本社会に定住する在日コリアンは、日本と韓国・北朝鮮間の民族的対立感情を緩和し、相互の理解を深めるにつき、重要な架橋的役割を果たし得る存在である。

差別構造の完成


  日本の敗戦により植民地支配は崩壊し、日本は朝鮮の独立を承認した。
  日本政府は、韓国併合条約前の状態に朝鮮人の国籍を戻すとの原状回復の論理により、在日コリアンの日本国籍も喪失させたが、それは、広範な国籍差別をもたらし、民族性の回復とは逆の機能を果たした。在日コリアンは、戦後も創氏(通称名)の使用等、戦前と同様の日本人への同化の圧力下に置かれた。
  1965年の日韓法的地位協定により、永住権及び国民健康保険への加入が認められたが、就職差別や社会保障における差別は是正されず、国籍差別による同化政策は維持された。
  また、分断国家の一方である韓国のみとの協定であったことから、北を支持する人々などは協定に反対し、永住権の取得を申請しなかったため、在日コリアンの法的地位に分断がもたらされた。

日韓条約以後の差別撤廃


  1965年は、植民地からの解放年に生まれた在日コリアン2世が成人に達する年である。日本国憲法下の民主教育を受けた彼らは、就職差別や、社会保障差別の是正を求め、訴訟や社会運動を展開した。これは、国際人権規約(1979)、難民条約(1982)、女性差別撤廃条約(1985)、人種差別撤廃条約(1996)の批准とあいまって、国籍差別是正に結びついた。
  例えば、職業選択の分野では、日立製作所就職差別裁判の勝訴(1974年)、司法修習生の採用(1977年)、国公立大学の教授任用法案の成立(1982年)、国公立小中高校教員採用試験における全国的規模での国籍条項の撤廃(1991年)、地方公務員採用の拡大などが実現した。また、社会保障の分野では、住宅金融公庫法、公営住宅法、住宅都市整備公団法、地方住宅供給公社法に関する国籍条項の解釈変更(1980年)、国民年金法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法、児童手当法からの国籍条項の撤廃(1982年)が実現した(但し、経過措置の不備のため高齢者等の無年金という深刻な差別が残されている)。さらには、1980年代の指紋押捺拒否運動により、外国人登録法の指紋押捺制度も撤廃された。
  この時期の国籍差別の是正は、外国人登録上の「韓国」、「朝鮮」の別なく、在日コリアン全てに及んだ。日韓法的地位協定により、協定永住取得者と非取得者に分断された在日コリアンの在留資格は、「日韓外相覚書」(1991年1月)により、日韓法的地位協定当事、留保された協定永住3代目以降の在日コリアンに、子々孫々にわたる永住権が認められたことを受け、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」が制定され、特別永住に一本化された。

国籍法の改正


  1985年の国籍法の父母両系主義への改正の結果、朝鮮人男と日本人女の婚姻夫婦間に生まれた子どもは、日韓(朝)の二重国籍者となり、在日の外国人登録者数の減少をもたらした。
  また、同年の戸籍法改正は、日本人配偶者の氏を外国人配偶者の氏に、子どもの氏を外国人父又は母の氏に変更することを認めたことから、日本的氏名による単一民族イデオロギーの縛りが解かれ、本名での帰化が認められることになった。これらが影響してか、90年代に入り、在日コリアン帰化者の数は毎年1万人に増加している。
  在日コリアンが4、5世の誕生を迎える時代にあって、未だに彼らが国籍により差別される状況にあることは、明白な人権侵害であり、日本に対する国際的批判をかわすことは困難である。在日コリアンを国籍条項により差別、排除するよりは、日本国籍を積極的に付与し、国内問題に転化する方が、外国人差別の枠組維持のためには、得策と判断される状況が生まれたのである。

時代錯誤の最高裁判決


  在日コリアンに対する国籍差別は、70年代以後改善され、現在は、公務就任権や地方参政権等、地域住民として地方自治への参与を求める権利が課題となっている。
  最高裁大法廷は、2005年1月26日、東京都の在日韓国人2世に対する管理職受験拒否を違憲であるとする東京高裁判決を破棄した。多数意見は、在日韓国人2世が管理職に就くことにつき、いかなる弊害が存するかについては全く言及せずに、国民主権を盾に、管理職に任用するか否かは行政裁量であるとした。しかし、少数意見は、「国籍条項は...特別永住者に対し、その資質等によってではなく、国籍のみによって昇進のみちを閉ざすこととなって、格別に過酷な意味をもたらしている」「一律に日本国籍を要件とすることが不合理な差別ではなく、違法でないといえるだけの合理性を明らかにしておらず...違法な差別をするものといわざるを得ない」と判示している。多数意見は差別撤廃の流れに逆行するとの批判を免れない。

在日の役割


  参政権の行使は、自らが所属する地域社会や国家に対する民主的参与の基礎であるが、在日コリアンは、戦後60年間、日本、韓国・北朝鮮のいずれからもその社会のあり方を決めるための一票を投ずる道を塞がれてきた。
  帰国をし、本国に住所を定めれば、地方、国政を問わず本国での参政権の行使が可能であり、日本国籍を取得すれば、日本での参政権の行使が可能となる。それは、帰国か帰化のどちらかを選択し、居住地と国籍の不一致を解消させることで実現するが、それは、本国国籍を維持しつつ日本に居住してきた在日コリアンの歴史性の否定につながりかねない。
  在日コリアンは、本国と日本を国籍や民族による差別のない社会としていくうえで、重要な役割を果たしてきた。日本における在日コリアンの地方参政権を求める動きは、韓国にも影響し、2004年1月に定住外国人に投票を認める住民投票法が成立したのに続き、2005年6月末、永住外国人に地方議会議員及び地方自治団体の長の選挙権を付与する公職選挙及び選挙不正防止法改正案が成立した。
  植民地支配の被害者として日本に居住するに至った在日コリアンが、日韓両国において、外国人地方参政権の実現を目指すことは、多民族共生社会の実現という、未来に向けられた扉を開く役割を担うことを意味する。それは、日韓両国民の感情的対立の緩和と東アジア共同体構築に向けての日韓のパートナーシップの基礎作りに、在日コリアンが参与することでもある。