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国際人権ひろば No.61(2005年05月発行号)

特集:第4回世界女性会議から10年 Part2

紛争下の女性に対する暴力と「慰安婦」

渡辺 美奈 (わたなべ みな)
「女たちの戦争と平和資料館」建設委員会事務局長、VAWW-NETジャパン運営委員

紛争下の女性に対する暴力、この15年


  1990年代は紛争下の女性に対する暴力が、根絶すべき重要な課題としてクローズアップされた時代だった。それまで紛争下の強かんや性的虐待は戦争時の意識的な戦術のひとつとして顧みられなかった。罪を犯した兵士たちは何の制裁も受けなかった。反対に、被害を受けた女性たちが社会から汚名を着せられ、沈黙していた。そのような意識を変えるきっかけを与えたのは、半世紀以上前に日本軍の性奴隷にさせられた女性たちの、勇気ある告発だった。
  1991年、韓国の金学順ハルモニが50年の沈黙を破り、その辛い体験を証言した。そして厳しかった人生の最後に名誉と尊厳を回復するために、謝罪と賠償を求めて日本政府を訴えた。
  1993年の国連世界人権会議(ウィーン会議)にも「慰安婦」問題は持ち込まれた。おりしも、旧ユーゴの紛争で、セルビア軍が女性たちを強制収容所に連行して強かんしていたことが明らかになっていた。その東西の被害女性たちがウィーンで出会い、戦時性暴力根絶の声をあげ、その熱気は第4回国連世界女性会議(北京女性会議)へとつながっていった。
  1995年にアジアで初めて開かれた北京女性会議では、日本軍性奴隷制度の被害女性たちの勇気ある告発は大きな感銘を与えた。男女平等を実現するための包括的な処方箋、「北京行動綱領」には12の関心分野があり、そのひとつが「女性と武力紛争」である。紛争下の女性に対する暴力を裁き、救済を与えることが加盟国のとるべき行動として明記され、この行動綱領に盛り込まれた。
  ウィーン会議を通じて任命された国連人権委員会の女性に対する暴力特別報告者、ラディカ・クマラスワミは、大規模で組織的な戦時性奴隷制として「慰安婦」問題を調査し、1996年日本政府の法的責任を指摘し勧告を行った。1998年、国連人権小委員会の武力紛争下の組織的強かんに関する特別報告者ゲイ・マクドゥーガルは、戦時性暴力の不処罰の連鎖を断ち切るため、加害者を処罰することの必要性を説き、日本政府にも勧告した。
  国連が設置した旧ユーゴ法廷やルワンダ法廷では、武力紛争下の性暴力が罪に問われるようになった。国際法上の重要な罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程(1998年採択)には、人道に対する罪、戦争犯罪として「性奴隷制」が規定された。これは、「慰安婦」の女性たちの証言があったからこそ可能になった。2002年7月、ハーグで国際刑事裁判所が始動した。
  2000年には国連安保理で、武力紛争下における女性の保護を強化し、紛争の予防・解決に関わるあらゆる意思決定への女性の参加を要請する決議1325が採択され、安保理レベルでの取組みが強化された。
  北京女性会議から10年、成果もあった。しかし、「慰安婦」制度の被害女性たちは、いまだに正義を勝ちとることができないまま、毎月のようにひとりひとり、この世を去っている。

「北京+10」プロセスでの活動


  国連は、1975年以来大規模な世界女性会議を定期的に開催してきた。しかし北京女性会議から10年後にあたる今年は「国連女性の地位委員会(CSW)」を閣僚級に格上げして行われることになった。2005年2月末から2週間、ニューヨークの国連本部で開かれたこの会議の焦点は、新たな成果文書をつくるのではなく、「北京行動綱領」を再確認する政治宣言の採択だった。
  成果文書を作らないという方針は、昨年の段階でNGO側にも伝えられていた。よって「慰安婦」問題に取り組む私たちの活動は、この10年の活動の成果とともに、未解決の課題であることを世界の女性たちに知らせ、戦後60年の今年、被害女性たちの尊厳を回復するために、再度協力を呼びかけることだった。
  「北京+10」プロセスには準備段階から関与した。2003年7月には、タイのバンコクで「北京+10アジア太平洋NGOフォーラム」が開かれ、アジア太平洋地域の男女平等に関するこの10年の進展や障害、新たな課題を検討した。私たちもこのフォーラムに参加し、「戦時性暴力の被害女性への救済」というテーマでワークショップを行った。謝罪、賠償、次世代への教育といった日本軍性奴隷制の被害者の希望にそった救済を行う「前例」をつくることの必要性を明記したワークショップ声明は、アジア太平洋の女性の声をまとめた「パープルブック」という報告書に盛り込まれた。
  本番の「北京+10」会議には、物価が高いニューヨークであるにもかかわらず、保守派のバックラッシュに危機感を強めた女性たちが各国から延べ6,000人が集まった。そして、政治宣言や決議文へのロビイングを行いつつ、国連内外の限られた会場を使ってNGOフォーラムが開催された。
  紛争と女性に関するフォーラムはいくつかあったが、そのうち2つが「慰安婦」問題を中心課題として取り上げた。
  ひとつは、米国で活動する「『慰安婦』問題に関するニューヨーク連合」主催のフォーラムである。フィリピン、韓国、日本、米国在住の「慰安婦」問題に取り組む支援者が、被害女性の現状や正義を求める活動について報告した。フィリピンからは、被害女性が自ら参加して尊厳の回復をうったえ、「『慰安婦』問題の解決を求める100万人署名」を集めた。
  加害国日本から参加した私は、日本政府の施策である「国民基金」の「償い金」を受け取った・受け取らないにかかわらず、被害者たちの尊厳は回復されていないこと、そして「『慰安婦』問題の解決なくして日本の安保理常任理事国入りなし」との決議が、2005年2月、被害各国のNGOが参加した会議で採択されたことなどを報告した。
  もうひとりのパネリスト、米国のデニス・スコット弁護士は、頻発している国連平和維持軍による現地女性への性暴力について報告した。現在世界各地で任務にあたっている平和維持軍は、派遣した各国政府に究極的な権限があり、国連は平和維持軍の兵士が犯した犯罪について管轄権がないという。加盟国として自国の平和維持軍兵士の性犯罪を捜査し始めたフランスの例が紹介されたが、これらの犯罪を防止し加害者を処罰するシステムの整備が急務である。
  もうひとつは、女性に対する暴力を根絶するキャンペーン団体V-day主催のフォーラムである。米国ベースのこの団体の発起人はイブ・エンスラーという劇作家で、女性の性体験に関するインタビューをもとに「ヴァジャイナ・モノローグ」という演劇を1996年に発表して人気を博し、現在は世界53ヵ国語に翻訳され、上演されている。彼女はこのインタビューを通じて、女性たちがいかに日々暴力に晒されているかに気づき、女性に対する暴力根絶キャンペーンを1998年にスタートさせた。フィリピン公演の際に「慰安婦」にさせられた被害女性たちに出会い、その勇気と魅力に感激、解決に協力すると約束したのだった。
  V-dayは、今年特別に取り組む啓発キャンペーンのテーマに「慰安婦」問題を選んだ。来年初頭には世界2000カ所以上でイベントが開催され、「慰安婦」の経験が世界で共有される予定である。

戦時性暴力を根絶するために


  「21世紀は戦争のない世紀に」という人々の願いは9.11以降もろくも崩れ、世界各地で紛争の火種は絶えない。世界の女性たちが日本軍性奴隷制の被害者たちを支援するのは、「慰安婦」制度が大規模で計画的な政府・軍の違法行為であったからだけではない。今日も続いている武力紛争下の女性に対する暴力は、過去においてこれらの犯罪が裁かれてこなかった「不処罰の歴史」に起因していることに気づいたからである。そして被害者の希望にかなう方法で救済を行う前例をつくることが、いまはまだ告発ができない被害者の希望になると信じるからだ。
  国連安保理改革の議論が喧しい。日本政府は安保理の新常任理事国への意欲を示しているが、世界中のあらゆる人の平和に責任を負う常任理事国に選ばれる基準は、経済や政治の力だけではないはずだ。「慰安婦」問題を含む過去の克服に真摯に取り組み、国際刑事裁判所規程を批准して、国際法上の責務を忠実に守る姿勢を示すことこそが今、求められているのである。