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国際人権ひろば No.59(2005年01月発行号)

三施設共同事業

拉致問題とアジアの平和・人権を考えるつどいを開催

ピースおおさか・リバティおおさか・ヒューライツ大阪三施設共同事業

(古野 喜政)

  平和の希求と人権尊重に関する情報発信をおこなっているピースおおさか(大阪国際平和センター)、リバティおおさか(大阪人権博物館)、ヒューライツ大阪(アジア・太平洋人権情報センター)では、2004年11月23日と12月11日に三施設共同事業として「拉致問題とアジアの平和・人権を考えるつどい」を連続して開催いたしました。「北朝鮮」による拉致問題は、本来、保障されるべき自由で平和な生活を奪い、拉致被害者の方々とその家族の基本的人権を踏みにじる重大な人権侵害として、国連の人権委員会の強制的失踪作業部会においても取り上げられているところです。以下に第1回講演会の概要と第2回シンポジウムの報告を紹介します。


「拉致問題とアジアの平和・人権を考えるつどい」
第1回講演会 -拉致被害者家族を迎えて-

  11月23日、天王寺区の大阪国際交流センターで開催された「考えるつどい」。第1回は、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」代表の横田滋さんが「拉致問題の解決に向けて」と題して現状と展望を話し、横田早紀江さんは「拉致被害者家族の思い」と題して、自らのめぐみさんへの思い、そして被害者家族それぞれの思いを伝えた。

娘がいなくなった


  めぐみさんがいなくなったのは1977年11月15日。その日からのことを一つひとつ話していく滋さん。必死になって探した毎日、「交通事故、誘拐、暴行」といった警察の説明、誘拐犯人を騙ったいたずら電話、...死体が発見されるたびに警察へも通った。1日として忘れたことのない、しかし何の情報も入らない20年間だった。
  1997年冬、国会議員秘書からかかって来た電話「あなたの娘さんはピョンヤンにいる可能性がある」。すぐには信じられなかったが、「ああ、生きていた。1日、2日で帰ってくる」と期待を抑えることができない。しかし、帰ってこない娘。徐々に届いて来るのは、さるぐつわ、目隠し、船底を爪で掻きむしった血だらけの指といった拉致の状況だけ。家族は新たな悲しみとともに、巨大なものと闘っていくことになる。

重すぎる決断


  マスコミの問合せに実名報道か匿名報道かの決断が迫られる。それが愛する子どもの命と密接に関わっているのだ。家族は厳し過ぎる決断を繰り返して来た。
  「日本人妻」の一時帰国など、日本と北朝鮮の良好な関係が反映された出来事もあった。しかしテポドン、不審船と家族の期待を裏切り、関係はしだいに悪化。被害者家族は国家の論理に振り回されていく。この状況は小泉首相が北朝鮮を訪れた後も変わってはいない。「拉致被害者数人のために北朝鮮と国交正常化できなくていいのか」という外務省局長の言葉を記憶されている方も多いと思う。
  滋さんは交渉の窓口を失う危険性を懸念しながらも「経済制裁も1つのオプシヨン」と訴えた。

家族の苦しみ


  「娘や息子を奪われた家族の思いと拉致事件の真相を多くの方に知って頂き、1日も早く再会できるようお力添えくださるようお願いいたします」と早紀江さん。失われた貴重な歳月は永久に取り戻すことができないし、家族も歳をとり、拉致被害者の地村保志さんのお母さんのように再会を果たせず亡くなった家族も一人ではない。テレビでは、あれだけ力強く見える家族会の皆さんも、当たり前だが、日々苦しみ、悲しみのなかで生きているのだ。
  「何よりも関心を持って頂けることが大事です」との切実な言葉。
  拉致は明白な人権侵害であり、国連人権委員会の強制的失踪作業部会においても取り上げられているが、私たちがよき理解者であるとはまだ言い難い。「うちは良かった。何ごともなくて幸せだ」と安心するだけの人たち、「それにしても朝鮮人は!」と短絡的にコリアンバッシングをする人たち-拉致問題、横田夫妻がただ世間の感情に「消費」されてしまうのだ。

誰が救うのか


  拉致問題自体が思想的対立に利用されてきた経緯もある。これが私たちを分断し、理解者の増加を妨げてきたという側面もあったのではないか。
  また、朝鮮学校や学校に通う子どもたちへのいやがらせが絶えない現状に、早紀江さん自身も悲しみ、北朝鮮の子どもたちにも、「あったかいおにぎりをつくって食べさせてあげたい」と話す。私たちは今こそ、横田夫妻への共感を、自分なりの行動に繋げる時ではないだろうか。...
(社団法人大阪市人権協会機関誌「ヒューパワァー」第24号より転載)


シンポジウム「拉致問題と東アジアの平和と人権を考える」で感じたこと

古野 喜政 (ふるの よしまさ) ヒューライツ大阪理事、大阪ソウル会会長

■ シンポジウムの概要


  さる12月11日に開催したピースおおさか、リバティおおさか、ヒューライツ大阪の三施設共同事業の2回目となるシンポジウム「拉致問題と東アジアの平和と人権を考える」は、私がコーディネーターをつとめた。以下は、その感想である。
  シンポジストの1人目は、ジャーナリストの岡本厚さんで、岩波書店の総合雑誌「世界」編集長として、「98年金大中・韓国大統領にインタビュー」など、雑誌「世界」を中心に世界平和、イラク戦争、朝鮮半島問題や教育問題などで積極的に発言されている。2人目は、弁護士の丹羽雅雄さんで、現在、日本弁護士連合会人権擁護委員会国際人権部会長やRINK(すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)代表をされ、鄭商根(旧軍属)戦後補償裁判、在日地方参政権訴訟などのマイノリティーの人権問題に取り組まれている。そして3人目は、国際人権法の研究者で甲南大学法学部教授の中井伊都子さんで、国際法学会、世界法学会、国際人権法学会に所属され、ヨーロッパ人権裁判所の判決例、自由権規約の個人通報、社会権規約の国家の義務等を主に研究されている。
  以上の三名のシンポジストに進行役の私を交えて、約三時間にわたって白熱した真摯な議論を行った。

■ コーディネータからの問題提起


  シンポジウムの冒頭、コーディネーターの私から次のような内容の発言を行い、議論を開始した。
  横田めぐみさんの"遺骨"として第三回日朝実務者協議で北朝鮮が提出したものについて、12月8日、日本政府が別人の遺骨であると公表しました。これは2年前の2002年9月17日の第1回小泉訪朝で、北朝鮮が拉致事件について「5人生存、8人死亡」と明らかにした時の驚きを越える衝撃を与えました。この3日間、どこに行っても「なんで経済制裁しないんだ」という声というより叫び、議論が沸騰しています。
  これで北朝鮮の意図がまったくわからなくなりました。日本国内の反発で、拉致事件の解決のメドが立たなくなった。
  「拉致事件」と「核問題」の二つを解決することにより、→日朝の国交正常化の展望が開け、→その向こうに、日本の経済協力で北朝鮮が"軟着陸"、すなわち改革開放に転じ、→アジアの平和とそれぞれの国での人権問題の解決ができる。これが現在考えられるほとんど唯一の明るい見通しだったのだが、これが暗転しました。私はそう考えています。
  いろいろ考えてきた今日のシンポの展開が、今回の北朝鮮の決定的ともいえる嘘の資料提供で、ご破算になってしまった。いきなり、拉致問題から入らざるをえないかな、と思って会場にきました。

■ キーワードは「人権」と「平和」、そして「日本政府」


  キーワードは「人権」と「平和」と考えています。あえてもう一つと言えば「日本政府」。日本政府を信用していいのか、日本という国家は私たちを守ってくれるのか、ということです。ひと口に人権といっても、(1)拉致被害者の人権、(2)北朝鮮に住んでいる人の人権、(3)在日韓国・朝鮮人の人権など、「拉致事件」だけでも数えきれない論点がある。
  続いて、私がシンポジストに質問を投げかける形で、進行した。紙面の都合で、シンポジストの発言の詳細は紹介できないが、次の諸点で白熱した論議を交わした。
・ 北朝鮮による拉致事件とはなにか。北朝鮮という国をどう理解したらよいのか。拉致事件の解決とは何か。北朝鮮は解決する気があるのか。
・ 独裁国家である北を動かすためには「経済制裁」しかない、という意見が吹き上げているが、制裁に踏み切るべきかどうか。それ以外に、日本として有効な方法があるのか。
・ 拉致事件の解決なしに、国交交渉に入るなというが、拉致交渉と国交正常化を同時平行に行って、同時にゴールに入るべきという意見もある。戦後60年。隣国と国交がないという異常さ。1日も早い北朝鮮との国交樹立が必要である。これには異論がない。北とどう付き合うのか。
・ 過去の朝鮮半島の植民地支配と拉致問題について、どう考えたらよいのか。
・ 国家権力による拉致事件では、国際法上、どういうことが行われるのか。北朝鮮政府、金正日が国家機関がやったと認めた拉致事件の解決に、国際的な枠組み(国際機関、国連、6カ国協議、など)が果たして役に立つのか。この種の事件は所詮当事者間、日本と北朝鮮の間で解決するしかないのではないか。
・ 日本政府、外務省を信用してよいのか。日本はあらゆる手段を講じて拉致された人を取り戻さなければならないのではないか。小泉内閣はどんな方針をもってやっているか。対話と圧力で、つまり対話で道が開けるのか。
・ 北朝鮮では、現代世界で例を見ない壮烈な人権侵害が長期間続いているといわれている。よその国のことだと、傍観してよいのか、傍観せざるをえないのか。そんな独裁国家と国交を結び、巨額の経済援助(=賠償)をしてもよいのか。北朝鮮の国民、民衆にとっては金正日独裁が1日も早く終焉したほうがいいのではないかという見方を、どう考えるか。
・ 北朝鮮政府への反発が、同時に在日韓国・朝鮮人へのいやがらせ・攻撃として生じている現実を、日本人としてどう考えるか。

■ アジアの平和にとっての北朝鮮問題


・ 韓国の太陽政策、生命維持装置としての中国の役割。背景にある米中覇権争い。新たな冷戦構造をどう考えるか。
・ 金正日は核を手放さないという見方がある。核を手放さない→日本からの経済協力がない→改革開放経済への転換ができない→北の国民の人権状況はさらに悪化する。これでは北朝鮮は、東アジアの弾薬庫として危険の度合いを高めながら存続することになる。ではどうすればよいのか、率直にいうと金正日がいなくなればよいのか。韓国の若い世代の声として、「金正日がいなくなれば北の軍が暴発する」との危ぐがあるという。
・ 日本政府が私たちを守ってくれるか。金大中事件で日本政府は金大中を見捨てた過去がある。日本に東アジア外交のビジョンはあるのか。

■ シンポジウムを終えて


  私が今回のシンポジウムで得たものは多かった。自分の考えを整理できた。三人のシンポジストはじめ、特別ゲストの波佐場さん(朝日新聞編集員)、会場の皆さんの発言で、改めて北朝鮮問題についての考えの幅の広さ、対立する意見の歩み寄りの難しさを痛感した。
  シンポジウムの直前に、北朝鮮が提出していた横田さんの遺骨は「ニセものだった」と日本政府が公表した。これで問題点が鮮明になってシンポジウム当日を迎えたのだが、公表がシンポジウムの後だったら、と思うと冷や汗が出る思いだ。日朝の問題、外交交渉は微妙である。
  シンポジウムで気を使ったのは、シンポジストの岡本さん、丹羽さんは経済制裁に慎重、あえていえば反対の立場であり、中井さんは国際法の立場から世界の状況を説明してくれるわけで、制裁賛成・反対ではないだろう、会場の参加者の雰囲気も反対が多いと思われた。コーディネーターとして議論を展開するためには、シンポジストの意見を引き出すために、経済制裁論との対比をせざるをえなかった。(私の意見は後で書く)
  シンポジウムの後、思わぬところから私への非難がでてきて驚いた。私は、ボランティアでユニセフ活動の手伝いをしている。東京の協会から「募金者から『大阪のシンポジウムで大阪支部副会長古野が北朝鮮への経済制裁発動を支持するとの発言が再三あった。子どもの生存第一に考えるべきユニセフの性格としておかしいのではないか』というクレームがあった」と言ってきた。在日韓国・朝鮮人と思われた。直接会っていろいろ話をしなければ、私の考えは理解してもらえないだろうな、多分、会って話しても同じ考えになることはあるまいとも思った。とにかく難しい。なにせ、南北分断60年、南の韓国と日本が国交を正常化してからだけでも40年という気の遠くなる長い時間がこの問題の背景にある。
  今回のシンポジウムでは、北朝鮮による拉致問題が抱かえる問題点はおおよそ出た。国家犯罪であり、国際人権法違反であること、解決とは原状回復、真相解明を中心とすることがはっきりした。経済制裁についても、賛否両論から突っ込んだ議論がなされた。私の問題提起したなかで、アジアの平和についての諸問題について、関心を持ち続けるためのとっかかりになると思った。

■ おわりに


 私の考えを締めくくりに書く。私は、シンポジウムで若干話したが、73年の金大中拉致事件で新聞のソウル特派員として現場にいた。韓国中央情報部の犯行であるという前提で日韓の外交交渉が進められた(韓国政府・朴正煕政権は、政府機関の犯行とは断定しなかった)。この種の事件の解決では、原状回復がもっとも重要である。田中角栄政権(当時)は金大中を見捨てた。原状回復を放棄して、金鍾泌首相(当時)の訪日・陳謝で政治決着した。この決着の絵を描いた駐ソウル大使館の首席参事官は、私に「一国の総理が陳謝特使で訪日するのですよ。"外交的には"日本の勝利ですよ」といった。事件から5年後の検証取材でライシャワー氏は「日本政府が取った態度に私は失望した。直ちに金大中氏の釈放と日本への送還を断固として要求すべきだった。その要求がいれられなければ、日本は韓国とのすべての関係を絶つとまで迫るべきだった。経済援助を切ることも当然考えられる」と語り、"私には理解できない"と日本外交にあきれていた。
 今回、シンポジストだったら、二つのことを言っただろう。一つは、日本はあらゆる手段を講じて拉致された人を一刻も早く取り戻さねばならない。経済制裁が有効であるかどうか是非の議論ではなく、可能なことはすべてやるべきである。もっといい方法があればそれにこしたことはない。二つ目は、国際的な協力、支援も必要だが、基本は日本と北朝鮮の二国間の問題である。国際的な支持が得られないからやらない、という問題ではないということだ。シンポジウムの1週間後、訪韓した。ソウルのジャーナリストと話して、これは日本人がやらねば誰もやってくれない問題だという感をいっそう強めた。

朝鮮半島をめぐる歴史年表 (古野喜政)
1910年
韓国併合
1912年4月15日金日成、生まれる。主体紀元元年
1942年2月16日金正日、シベリア近郊ビアックで生まれる。母金正淑(49年死亡)
1945年8月15日第二次世界大戦終わる。日本敗戦、朝鮮光復(※重工業、電力、地下資源の90%、化学工業の83%が北にあった)
1948年8月15日大韓民国樹立。
9月9日朝鮮民主主義人民共和国樹立
1950年6月25日朝鮮戦争(~1953年7月27日)
1955年12月28日金日成、主体路線を演説。主体思想に初めて言及
1959年12月14日北送船第1陣。総計8万9,702人、日本人妻1,800人余
1960年4月19日韓国学生革命
1961年5月16日朴正煕による軍事クーデター → 79年10月26日暗殺
1962年12月10-12日北朝鮮「4大軍事路線」採択。(1)全人民の武装化、(2)全国土の要塞化、(3)全軍の幹部化、(4)全軍の近代化
1964年2月27日北朝鮮3大革命力量強化論、(1)北半部に社会主義建設を成功させこれを強化、革命基地とし、(2)南の人民を政治的に覚醒させ革命力量を高め、(3)国際革命勢力と連帯を深め南の解放を達成する=革命の基地論
1965年6月日韓条約締結
1968年1月21,23日青瓦台襲撃。プエブロ号事件。秋 蔚珍、三陟に武装ゲリラ上陸。
1972年7月4日南北共同声明。署名は李厚洛と金英柱 (金日成の弟)
12月27日北朝鮮、社会主義憲法制定、金日成を国家主席に。南では維新憲法
1973年8月8日金大中、東京グランドパレスホテルから誘拐拉致
1979年10月26日朴正煕大統領暗殺
1980年5月17日光州事件
1980年10月10日金正日ナンバー2、唯一後継者の地位確保
1985年3月チェルネンコ・ソ連共産党書記長死、ゴルバチョフ書記長就任
9月22日プラザ合意(1$=262<85/9> → 1$=209<85/11> → 1$174<86/3>
1987年6月韓国、6月抗争で民主化へ
1989年11月9日ベルリンの壁崩壊
12月2-3日マルタ島での米ソ頂上会談。冷戦終結発表
1990年9月金丸訪朝団。25日金丸・金日成会談
1991年1月1日ソ朝貿易協定改正、国際価格・ハードカレンシーでの決済へ
1月30-31日日朝国交正常化交渉。第8回(92年12月)で中断
9月17日南北国連同時加盟
1992年2月「南北和解・不可侵・協力合意書」「朝鮮半島非核化共同宣言」発効
1993年5月29日北朝鮮、労働1号(ノドン)試射 → 98年8月31日テポドン1号試射
1994年3月北朝鮮、IAEA(核拡散防止条約)脱退宣言 → 北の核問題表面化
7月8日金日成死
10月21日米朝枠組み合意文調印。(1)2003年までに200万kwの軽水炉提供、(2)完成まで年間50万tの重油を提供
1998年
韓国で金大中大統領が誕生
2000年6月13-15日平壌で南北首脳会談。金大中・金正日
2001年9月11日ニューヨーク同時多発テロ
2002年9月17日小泉訪朝、日朝平壌宣言。金正日、拉致事件を認める。北朝鮮、5人生存8人死亡と伝える
10月北朝鮮が核開発を続けていたことが判明、重油の提供中止
2003年3月イラク戦争
8月27日-29日北京で第1回6カ国協議(米・中・韓・日・北・ロ)、2004年2月、第2回6カ国協議。6月、第3回6カ国協議(北京)
2004年5月22日小泉訪朝
8月第1回実務者協議。9月、第2回実務者協議。11月:第3回実務者協議。
12月8日北が提出した横田めぐみさんの"遺骨" 別人と日本政府発表