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国際人権ひろば No.59(2005年01月発行号)

現代国際人権考

2005年の課題-バンドン・アジア・アフリカ連帯会議50周年をふまえて

武者小路 公秀 (むしゃこうじ きんひで)
大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長 ヒューライツ大阪会長

 2005年は、バンドン・アジア・アフリカ連帯会議の50周年であり、50年前の冷戦期よりもさらに深刻な新植民地主義、帝国主義、覇権主義と闘って、「平和共存」「平等互恵」の多文化共生世界を目指すべき年です。

バンドン会議とは


  1955年、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ連帯会議は、非同盟運動の出発点となったもので、歴史上初めて欧米を除く有色人種のみによる国際会議で、「バンドン会議」とも呼ばれ、日本を含むアジア、アフリカの29カ国が参加して行われました。
  当時のインドネシアのスカルノ大統領による開会演説は、「多様性の中の統一」(unity in diversity)と「反西欧ではなく、アジア、アフリカ諸国の誇りの上に立った国際協調こそが、この会議の目的である」と述べ、その格調の高さで有名です。この演説は、後に「新しいアジア・アフリカ生まれいでよ!」として知られています。彼の演説の基調は、「バンドン10原則」として結実しました。その中で特に今日大切なのは、一方的な反テロ戦争ではなく「平和共存」、弱肉強食の自由放任市場ではなく「平等互恵」という原則です。
  ところが、当時、世界は東西冷戦構造を進行させつつありました。バンドン会議への招請が届いたときに、すでに米国からの圧力をうけていた日本は、総辞職した吉田茂内閣に代わって鳩山一郎を首班とする新政権が発足したばかりで、「アジアとの連帯」か「アメリカとの協調」か、その決断を迫られました。日本は講和条約を受け入れて国際社会に復帰したとはいえ、アメリカの戦後復興援助を得ながら西側陣営に深く組み込まれていき、バンドン会議でも、アメリカの「ドルと核の傘」のもとに、その代弁者としての役割を演じました。

反テロ戦争と日本


  バンドン会議50周年の今、日本政府は、アジア・アメリカそれにラテン・アメリカの三大陸における米国主導の「反テロ戦争」に加担して、イラク派兵を続行しています。日本国内でも、反テロ戦争に参加したついでに「不良外国人」を官民共同して退治するキャンペーンも盛んになっています。これを日本国民に拡げる刑法改正作業は静かにすすめられています。治安維持法並みの「予備罪」と「共謀罪」とを国際犯罪組織対策の名目で制定しようとしています。外国人からしめつけて、すべての国民に及ぶというファシズムの定石が用いられています。
  その意味で、2005年は、覇権国の非道な反テロ戦争に対抗して、日本国民が第三世界の諸国民と連帯すべき年であると同時に、日本国民が非国民(つまり日本国籍を持っていない日本列島にすむ世界市民)と大連合を組み上げるべき年でもあります。

多文化共生の世界の実現に向けて


  いまや、日本列島は多くの国籍の人々が住み、多くの文化が花咲く多文化共生の国に生まれ変わろうとしています。諸民族の各自の個性を尊重するサラダ・ボールだったはずの米国は、反テロ戦争でアラブ系、イスラーム系のコミュニティを監視する国に生まれかわりました。同じ言語と文化を持つ日本国民が均質の市民社会をつくり同一の日本国家に奉仕するという旧弊を改め、米国に代わって諸民族との「平和共存」の開かれた平和国家になるまたとない機会が生まれています。それなのに、日本では、サラダ・ボールになることを拒否して、あくまでも、多国籍移住者の「外人」のサラダの上に、梅干の象徴を真ん中において、日本民族の白米を乗せておこうとする「サカサ・サラダ丼」日本を構築しようとする動きが進められています。われわれは、この「日の丸」丼が食べられたものではないことを日本国民に知らせて、在日外国人とともに、多文化共生を日米「文明」強制で圧殺しようとしている勢力を無害化していく、そういう年にするべきでしょう。
  そのような多文化共生への動きは、逆説的なことですが、世界の人々が互いに苦しみを共有することから始まりつつあります。昨年のイラクにおける日本の人質問題での、高遠さんたちのイラクの子どもたちをはじめ戦争と占領の暴力の元で苦しむ民衆への無手勝流の連帯とその「共苦」の実践は、イラク民衆のみならずイスラーム世界に日本にもやさしい心を持つひとびとがいることをさとらせました(イスラームNGO公開状のことば)。
  いま、インドネシア、タイ、ビルマ、インド、スリランカを襲ったスマトラ沖地震・津波被害に対して(外国からの観光客がいっていないビルマを忘れてしまってはいますが)、全世界的なすばらしい共生の実践を生んでいます。阪神淡路大震災の10年目でもある2005年には、天災の被害者のみなさんとの連帯を持続させて、災いを福に転ずる必要があります。そのためには、天災を人災からの解放へのとっかかりにする研ぎ澄まされた知恵と強い意志とを、われわれ市民が身につける年にする必要があると思います。