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国際人権ひろば No.54(2004年03月発行号)

ヒューマンインタビュー

京都の「竜馬通り商店街」から考えたミャンマーの経済

ミャ ティダ キョウ さん (MYA THIDAR KYAW) FM CO・CO・LO プログラム・スタッフ

プロフィール:
ミャンマーのヤンゴン出身。FM CO・CO・LO (76.5MHz)のプログラム・スタッフとして、毎月第4月曜日、23:30~24:00放送の『Mingala ba! Myanmar』(こんにちは ミャンマー)を担当している。龍谷大学経済学部4年生。2004年4月より同大学大学院に進学する。

聞き手:村上好美(ヒューライツ大阪)


村上:最初に、来日のきっかけを教えて下さい。

ミャ:1992年にヤンゴン大学の有機化学修士課程を修了したのですが、その専門を活かす仕事が何もありませんでした。子どもの頃から日本語に興味を持っていたので、ヤンゴン市外国語学院で日本語を2年間勉強しました。外国語学院を卒業後、勉強の成果を活かすために、観光省の日本語ガイドの試験を受験して合格し、日本語の観光ガイドを始めました。それが1996年で、3年間ガイドの仕事をしました。
 ガイドになって2年目の時に、今ではお母さんと呼んでいる日本の女性がミャンマーに観光でやってきたのです。ちょうどそのグループをガイドしていたとき、お母さんは私に、日本で勉強したらどう、と声をかけてくれました。すぐにでも日本に行って勉強したい気持ちはあったのですが、ミャンマーは軍事政権ですから、外国に行くということはとても難しかったのです。特に女性はさらに難しいため、パスポートを取ることも大変でした。出国の手続きに手間取りましたが、お母さんが尽力してくださり、ようやく龍谷大学に入学できたのが2000年でした。

村上:ヤンゴン大学では有機化学を専攻されていたのに、日本ではどうして経済学部を選ばれたのですか?

ミャ:ミャンマーは今、社会主義から市場経済への移行が始まったばかりです。経済のことがわからなければ自分の国のこともわからないと考え、経済学部を選びました。また、龍谷大学は仏教の大学ですし、ミャンマーも仏教の国ですから龍谷大学を選びました。

村上:ミャンマーと日本の大学の違いはありましたか?

ミャ:日本の大学では、自分の興味のある科目を選択し、映像を見たり、感想を書いたりするのでとても好きです。ミャンマーでは映像を使った授業というものを受けたことがなく、ただ先生の講義を聞くだけの授業でした。

村上:大学のゼミではどのようなことをされていたのですか?

ミャ:ゼミでは商店街の活性化について取り組んでいました。私たちが取り組んだのは京阪伏見桃山駅近くの「竜馬通り商店街」でした。小さくて細い商店街だったのですが、伝統的な雰囲気があって非常に良いところでした。しかし、以前に比べて観光客も減り、空き店舗も増えてきました。そこを活性化させ、もっと大勢の人に知ってもらうために、商店街の皆さんと私達学生が一緒に取り組むことになったのです。まず観光客は何のためにここに来ているのかや、坂本竜馬についてなどのアンケート調査をしました。そして着物を着て、パレードをしました。そこで私は初めて着物を着たのです。

村上:そのパレードの効果はありましたか?

ミャ:1年目はあまり効果が表れませんでしたが、2年目には観光客も増えてきたのです。龍谷大学の学生と「竜馬通り商店街」が一緒に活動をしていると京都新聞にも載ったんですよ。また、学生が商店街のお年寄りの方にパソコンを教えるという授業もしました。私も一度教えに行きました。すごくいい経験でした。

村上:日本とミャンマーの生活についてお話を伺いたいのですが、日本の食べ物は口に合いますか?

ミャ:鍋物が好きです。ミャンマーは年中暑いので、鍋物のような冬の食べ物はありません。日本に来て初めて鍋を知り、うどんすきもすごく好きになりました。刺身も好きですよ。でもミャンマーでは魚は川魚を多く食べます。迷信かもしれませんが、海魚を食べるとかゆくなったり、湿疹が出たりすると言われています。私の出身地ヤンゴンはアンダマン海に面しているのに、家の食卓にはナマズや鯉などの川魚が並ぶことが多かったです。

村上:海に面しているミャンマーなのに不思議な感じがしますね。

ミャ:それから、ミャンマーでよく食べられているのはチキンなんです。豚はイスラム教の人は食べないですし、ナッ信仰と呼ばれる精霊を信じる人たちもあまり食べません。牛はヒンドゥー教の人は食べないですね。ミャンマーではお米を耕すときに牛を使いますから、ミャンマーの人は牛を恩人のように大切に考えています。だからヒンドゥー教徒以外でも牛をあまり食べないんですね。食べてはいけないということはありませんが、私の母は絶対に牛と豚は食べません。

村上:食べ物以外で日本と異なった文化はありますか?

ミャ:例えば、ミャンマーでは名字がないです。みんな名前だけで、結婚しても名前は変わりません。名前で生まれた曜日もわかります。生まれた曜日の音を名前に入れるんです。だから名前を見れば何曜日に生まれたかがわかります。そういえばお墓もないんです。昔は土葬で、お葬式を終え、埋めた後に板を立て、名前と死亡時の年齢と年月日を書いて終わりです。日本のようにお墓参りをしないのです。死んでしまったらもう何もできないし、してあげることができないからです。今は火葬ですが、煙が出て灰になったらもうそれで終わりです。その灰を政府が回収して肥料などに使ったりしますが、どこで使われているかわかりません。

村上:えっ!肥料にですか?

ミャ:そうなんです。死んだら終わりです。終わりというと寂しい気もしますが、そういう考えです。

村上:日本の仏教とは全然違いますね。

ミャ:だから、親が生きている間にできるだけ大切にして親孝行をします。死んだら拝んでも何もできない。ですから、死んでからは拝まないし、お供え物もしないんです。

村上:では、日本のお盆のようなものはないのですか?

ミャ:ないですね。ミャンマーでは多くの遺跡があり、日本人からよくそこには誰がまつられているのですか、という質問を受けます。遺跡には誰か偉い人が入っているということはなく、そこには悟りを開いたお釈迦様の歯や髪などの尊いものがまつられているんです。ミャンマー人の95%は仏教徒ですから、家には仏壇がありますが、先祖ではなくお釈迦様を拝むためにあるのです。

村上:里帰りはするのですか?

ミャ:はい。2月から1ヶ月ほど帰ります。1年ぶりの里帰りなので、今のミャンマーの観光業がどうなっているのかを昔のガイドの友達に会って聞きたいですね。

村上:ミャンマーへの外国人観光客は増えているのですか?

ミャ:はい、特にヨーロッパと韓国からの観光客が増えています。ミャンマーの人は本当に優しいです。外国人をとても大切に思っています。特に日本人に対してそういう気持ちは強いと思いますよ。優しい気持ちが基本なのです。

村上:そういう優しさや受け入れる気持ちはとても大切ですね。

ミャ:そうですね。私は日本に来てミャンマーに関するホームページの多さに驚きました。私がミャンマーにいた頃は政府が規制しているためにホームページは見ることができませんでした。自分の国についてよく知ることができなかったのですが、日本で勉強をし、日本からミャンマーを見ると、本当に自分の国のことがよくわかりました。

村上:ところで、大学院では何について研究されるのですか?

ミャ:ミャンマーの為替システムについて研究しようかなと考えています。

村上:大学院卒業後はどうされるのですか?

ミャ:経済を勉強していますから、ミャンマーに帰って貿易関係の仕事に就けたらいいなと思っています。通訳や翻訳などをしてミャンマーにある日本企業で働けたらいいですね。もうひとつは、以前私がツアーガイドとして働いていた会社が日本にも進出していますから、日本のその会社で何か役に立てる仕事ができればいいなとも思います。

村上:最後に今後の抱負をお聞かせ下さい。

ミャ:在日ミャンマー人との交流もしたいですし、今でも頼まれることがありますが、ミャンマーから届いた手紙なども翻訳して役に立ちたいと考えています。また、ミャンマーには貧しい子どもがたくさんいます。その子どもたちが学校に通い、勉強できるように活動をしたりしたいですね。この活動は私の前に担当していたDJのカインさんから誘われています。私が大学3年生の時に、日本ミャンマー友好協会から依頼があって、京都の小学校で講演会をし、子どもたちにミャンマーについて話をしました。ミャンマーから帰ってきたら南大阪の中学校で講演会をする予定があります。これからはどんどん小学校や中学校に出向いて、ミャンマーの話をし、少しでも多くの子どもたちにミャンマーを知ってもらいたいと考えています。