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国際人権ひろば No.49(2003年05月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

ダリット女性のたくましさに触れて

山本 愛 (やまもと あい) 特定非営利活動法人 アジアボランティアセンター(AVC)

ネパールのダリットについて


 ネパールを語るとき、地理的、文化的、民族的な「多様性」が特徴として挙げられる。そして世界で唯一、憲法でヒンドゥー教を国教と定めている「ヒンドゥー国家」としても知られている。ネパールの憲法ではカースト、性別、民族によるいかなる差別も禁止されているにもかかわらず、ネパール社会に浸透しているヒンドゥー教は社会に歪みをもたらしている。ダリット(被差別カーストの総称:抑圧された者の意)に対する差別と女性差別である。
 2001年の国勢調査によると、ダリットは人口の約13%を占めていることがわかった。しかし、現在もダリットの定義については曖昧で、様々な議論がなされているところだ。同年、ダリットの生活向上と開発のために地方開発省に設置された「被抑圧者及びダリット階級向上開発委員会」は、伝統的に職業と世系(門地)に基づいて差別されていたカーストおよびエスニックグループのうち28をダリットと指定した。そこでも指定にあたって具体的な基準は定められていなかった。「ダリット」ということば自体、援助機関や解放運動関係者以外にはあまり浸透していないのが現状のようである。
 ネパールにおけるダリットの解放運動自体は1950年代以前から記録がある。90年の民主化以降、NGOの活動が自由になってからはダリット自身によるNGO活動も盛んになり、96年には「ダリットNGO連盟」も設立された。現在は100を超えるNGOが加盟している。加盟団体の性格は、運動型、開発型など様々である。
 私は02年4月から約10ヶ月間、ネパールにおけるダリットの女性のエンパワメントに携わる現地NGOの活動や、彼女たちの運動について実態を把握するため、現地に赴き調査活動をおこなった。以下、ダリットの女性たちによるエンパワメントの取り組みを少しではあるが、私の受入れNGOであったFEDOでの経験をもとに紹介したいと思う。

ダリット女性とFEDO


 FEDO(Feminist Dalit Organization:フェミニスト・ダリット協会)は、95年北京でおこなわれた世界女性会議に出席したダリットの女性たちが、各国の女性活動家と経験を交流した結果、正式に立ち上げられた現地NGOである。カーストとジェンダーの複合差別に苦しむダリット女性のエンパワメントを目指し、伝統的父権社会とカースト差別に対して果敢に立ち向かっている。識字をすべての活動のエントリーポイントとして位置づけ、女性グループや学校にいけない子どもたちにノンフォーマル教育を行っている他、教育、保健衛生、収入向上、啓発・政策提言の分野において、特にダリットが多い地方で女性たちを組織化しながら活動を展開している。理事はすべてダリットの女性で、スタッフもほとんどがダリット出身者である。しかし、沈黙していたダリットたちを目覚めさせ、これまで容認されていたヒンドゥーの社会的価値観を覆す活動は、FEDOにとって大きな挑戦である。
 ダリットをはじめとする低位カーストには経済的に貧しい家庭が多く、女性も経済活動に従事せざるを得ない。男性も女性の経済活動が家計を助けていることを積極的に認めているため、ダリットの男女間には比較的ジェンダー平等がみられるという研究論文を日本で読んでいた。高位カーストの女性よりもダリットの女性の方が自由で、男性から抑圧を受けていないのかと、私も当初は理解していた。しかし、実際に私が出会ったダリット女性たちは都会でも農村でも、やはり女性であることの役割から逃れられずにいた。「生まれ変わったら絶対男がいい」と私が会ったほとんどのダリットの女性は言う。
 ダリットの多くは耕作可能な土地を所有していないために自給自足のための農業もできず、男性も女性も働きに出かけなければならない。一日中働いて、家に帰ると女性には家事が待っている。
 そして、妊娠中、出産直後を問わず労働を強いられている女性のからだは酷使されている。妊産婦死亡率が世界一高く、平均余命が男性よりも短い。男性の識字率は61%であるが女性は33%であるという数字からも、ネパールの女性がおかれている状況は想像できるだろう。その中でも、ダリット女性の識字率はたった7%である(FEDO調べ)。そのような困難な状況下にもかかわらず、ダリットの女性たちはFEDOとともに、自分たちの地位や生活を改善するために動きだしていた。

ダリットの中の「ダリット」をターゲットに


 ネパールには、3つのカテゴリーのダリットがいる。1つめは、ネパール語を母語とする「丘陵地帯のヒンドゥー教徒」のダリット。2つ目は、マイティリ語などを母語とし、インドの影響を強く受けている「平野地帯のヒンドゥー教徒」のダリット、そして3つめはネワール語を母語とするネワール民族のダリットである。
 インドと国境を接するネパール南部平野地帯に居住する「ドム」は、「平野地帯のヒンドゥー教徒」のダリットで、豚を飼育したり、ハート・バザール(定期市)や建物内を掃除したり、竹細工をつくるなどして生計をたてている。平野部のダリットはネパール語を母語としないことや教育水準の低さからも、丘陵地帯のダリットに比べても社会から阻害されており、とりわけ女性は解放運動の表舞台に立つ人も少ない。
 さらに、ドムは平野部のダリットのカースト間でも最下層に位置づけられ、他のダリットからも差別をうけている「ダリットの中のダリット」であると言われているのである。FEDOは平野部でも活動しているが、これまでドムと活動できたことはなかった。しかしドムには幼児結婚の問題が頻繁にみられることや、就学率が他のダリットに比べても低いことから、なんとかして活動に巻き込むことが懸案であった。
 ドムには結構な現金収入があるのだが、男性がほとんど飲酒に浪費してしまうらしい。そして、女性は酒に酔った夫に暴力を振るわれることもしばしばあるという。彼女たちは、その事実も受け入れるより他はないといった様子であった。
 まずはドムの声を聞こうということで、FEDOはドムたちと1泊2日の集会をもつこととなった。場所は町なかのゲストハウス。シラハ郡の各地から40名ほどドムの男女が集まった。「ここの掃除は私たちの仕事だけど、まさか自分が泊めてもらって、食事もさせてもらえるなんて思わなかった。今日が人生で一番嬉しい日になるわ」と興奮気味に話す女性もいた。
 この集会で、ドムのグループが新しく結成された。そしてこれからはFEDOの側面支援を受けながら、活動をはじめるとのことであった。私はそこで女性たちが自分たちに必要なことを、かなり冷静に判断していることを知り驚いた。「私たちは、人口が少ないうえに集落がそれぞれ離れている。だから、ドムが一丸となって何かをすることは難しいのです。わたしたちが団結して何かをすると、高位カーストからくる反発も怖い。しかし、私たちが力をつけるにはまず団結することが必要です。安心して行動を起こせるように、FEDOには守ってほしい」と女性たちは言った。女性たちのたくましさに、ドムのグループの未来を感じた。

女性たちが前進している


 私の約10ヶ月の滞在期間中、街で、農村で、感じたのは女性たちのパワーである。もちろん、中には活動がうまくいっていない村もあった。毎日食べるために稼ぐのに必死で、権利や構造的な差別のことなどについて考える余裕がないダリットも多い。しかし、FEDOが活動する地域においては、自分たちで社会を変えなければという意識はゆっくりと、しかし確実に醸成されつつあるように感じた。単にダリットの基本的ニーズの充足だけでなく、女性の人権、そしてエンパワメントの視点からNGOが活動を展開していることは、大変心強い。
 「まだFEDOは一般市民を巻き込んだ運動をおこすには至っていないのです。今、私たちは学びのプロセスにあります」とFEDOのスタッフは言う。そして日本の部落解放運動をはじめとする日本における人権運動について知っているネパール人からは、もっと日本から学びたいという声もよく聞かれた。日本にもネパールと同様の差別の問題が存在し、闘っている人々がいることをほとんどのネパール人は知らないのである。当事者間の草の根レベルの連帯・経験交流は、ネパールのダリットの多くが望んでいることであると同時に、私達が積極的に働きかけていくべき課題であると感じている。

)2002年よりAVCの現地カウンターパートNGOとなっている。

(著者のより詳しい報告は、国際人権ブックレット10『地球規模で捉えるカースト差別・部落差別の今』(編集・発行:ヒューライツ大阪、発売元:解放出版社・03年3月)の「カーストと女性の複合差別~ネパールのダリット女性の証言」を参照ください。)