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国際人権ひろば No.32(2000年07月発行号)

現代国際人権考

「ヒューライツ大阪」の今後に期待する

~所長職を辞するにあたって~

キム ドンフン(金 東勲)
ヒューライツ大阪所長・龍谷大学教授

 今日では「ヒューライツ大阪」という愛称も定着したアジア・太平洋人権情報センターは、一九九四年十二月、日本の国内外の人々、NGOそして政府機関の期待を背負って開設され、その準備過程で議論され定立された目的を達成するためにその活動を開始した。アジア・太平洋地域の人権伸長に寄与することと並んで、人権の尊重と多文化共生に根ざした(国内)地域社会の国際化にも貢献するという大きな理念を掲げて活動を始めたのである。設立五周年を迎えた昨年一二月には、小規模ではあるがシンポジウムを開催し、センターの過去をふり返り将来を展望した。また、最近、五年間の活動とその成果を一冊の報告書にまとめ、関係者の皆さんにも振り返っていただくことにもなった。そして、設立以来、日本国内とアジア・太平洋の人権を共に考えるためのメディアの一つとして刊行してきたこのニュースレターも今回で三十二号となり、毎号にわたって、「現代国際人権考」を執筆してきた者としての感慨も一潮である。その間、読むに堪えない内容もあったかもしれないが、目を通してくれた読者の皆さんには感謝の気持で一杯である。

 「ヒューライツ大阪」は、元国連人権センターの職員であった故久保田洋さんの提言がきっかけとなって設立された。彼の提言は、筆者が人権小委員会を訪ねたときに、アジア・太平洋地域の人権状況を憂い、その改善に強い思いを寄せながら、日本が果しうる役割を二人で話し合った時の会話に始まる。そのため、久保田さんの提言に応えて、苦労を重ねながらも設立に漕ぎ着けることができた時の感激は人一倍強かった。準備段階から参加し、設立後は「所長」の要職を引き受けたのも、久保田さんへの思いがあったことにもよる。つまり、筆者のセンターに対する思いは、地域社会の国際化よりも、アジア・太平洋地域、とりわけ発展途上にある東南アジアと南アジアの人権伸長に多少とも役立ちたいということであった。

 設立から五年と六カ月の間には、職員の献身的な努力と大阪府・大阪市はもちろん、数多くの研究者と実務家そしてNGOの協力と支援に支えられて、さまざまな事業を展開し、一定の成果を納めることができた。中でも、アジア・太平洋地域のNGOと専門家そして人権機関と共に推進した事業を通して形成できたネットワークの意義は大きい。しかし、国内においては、アジアと共に展開する事業の具体的成果を目に見える形で期待する人々からは必ずしも正当な評価を受けることができず、残念かつ淋しい思いをしたこともしばしばあった。また、アジアの人権が国内において自己の課題として受け容れらない現実に何度も出くわし、日本のアジア回帰の日はまだ遠いことも実感した。「アジア・太平洋」を冠した人権機関の意義を今一度確認し、五年間の成果を基礎にして、次の五年、そして十年と、名実共に「アジア・太平洋」のセンターとして発展することを期待する。

(* 金所長は二〇〇〇年六月でヒューライツ大阪所長を退任し、同顧問となりました。)