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国際人権ひろば No.122(2015年07月発行号)

特集 国連人権教育世界プログラムと日本の課題

「人権教育のための世界プログラム」第3段階(2015-2019)に寄せて

阿久澤 麻理子(あくざわ まりこ)
大阪市立大学大学院教授、ヒューライツ大阪所長代理

人権教育と人権研修

 
 1960年代生まれの私は、学校では憲法を習い、法学部で人権を学んだ。でも、それが抽象的な法概念としてではなく、「人の権利」として心の底から腑に落ちたのは、人権の実現のために行動する、多くの人びととの出会いがあったからだ。部落解放運動や、在日外国人、女性、障がい者の権利を求めて運動する人びと、発展途上国における民主化運動との出会いから、人が自らの権利を知り、権利の主体として、その実現のために行動することは人間性の回復であり、社会を変えていくことなのだと教えられた。それは、学生を終えて社会に出て、女性として「見えない天井」にぶつかったり、生き方に悩んでいた私が与えられた、大切な「エンパワメントの感覚」である。
 国際的な人権教育に対する取り組みも、まさに人権の実現と民主主義を希求する人びとの声と行動の中から生まれた。冷戦終結後、各国で民主化運動が進展する中で、人権が法や条約の中の文言ではなく、暮らしの現実となることを求める人びとの運動が高揚し、「市民が人権を知り、権利意識を高める」ことへの取り組みが各地で強化されていったからである。
 一方、人権教育とは、市民が権利を学ぶだけでは終わらない。「人権を実現する“責務の保持者”」(法や条約の名宛人である国・国家機関で働く人びとなど)の側が、人権と、自らの職責を理解し、市民に対する応答力を高めることなしには、人権は絵に描いた餅になってしまう。それゆえ、「責務の保持者」が人権を理解することも併せて重要なのである。国際社会においては、「市民」と「責務の保持者」の人権教育は車の両輪と位置付けられるとともに、言葉の上でも区別されている。広義にはどちらも人権教育の一部であるが、狭義には、市民を対象にするものを「人権教育」、責務の保持者を対象とするものを「人権研修」とよんでいる。
 「人権教育のための国連10年」(1995~2004)に続く「人権教育のための世界プログラム」(2005~)にも、こうした基本的視点が位置づいている。「世界プログラム」は、5年ごとに「段階(フェーズ)」を区切り、その間、特に力を入れて取り組む重点領域を設定してきたが、第1段階(2005~2009)の重点領域は「初等・中等教育」、そして第2段階(2010~14)は「教員・教育者、公務員、法執行官、軍関係者」および「高等教育」であった。
 第1段階が「初等・中等教育」に焦点を当てたのは、とりわけ義務教育を中心に学校で人権教育を行えば、将来の社会の担い手となる若い年代層のすべてをカバーできるからである。言い換えるならば「市民を対象とした人権教育」に力を入れたことになる。しかし先に述べた通り、市民の権利意識が高まるだけで、それを実現する責務の保持者の役割が明確でなければ、人権は実現できない。そこで第2段階では「教員・教育者、公務員、法執行官、軍関係者」、すなわち「市民の人権を実現する責務の保持者」(併せて市民の人権を侵害するリスクもある)が焦点化された。中でも、市民の権利を実現する一義的責務は国にあるから、その職員の研修は特に重要であると位置づけられた。
 こうした視点は、「人権教育および研修に関する国連宣言」(2011年)1にも引き継がれている。宣言には、すべての人が人権教育と人権研修を通じて、人権と基本的自由について知る権利を有すること(第1条)が記されると同時に、国と政府の関係機関に人権教育と研修を促進し保障する第一義的責任があること(第7条)が、記されている。
 

 「世界プログラム」第3段階の焦点―メディア専門職とジャーナリストについて

 
 「世界プログラム」第1、第2段階のことを前置きしたのは、今回の第3段階が、これまでの取り組みをもあわせて引き継ぐものだからである。「人権教育のための世界プログラム第3段階(2015-2019)」行動計画2は「第1・第2段階の実施を強化し、メディア専門職とジャーナリストの人権研修を促進するための行動計画」と記されている。第1・第2段階は、終わったのではなく、これらも学校の人権教育や、責務の保持者の研修を継続・強化する必要がある、ということを強調しておきたい。
 また、第3段階の行動計画が、「初等・中等教育、高等教育における人権教育」と「教員・教育者、公務員、法執行官、軍関係者への研修」「メディア専門職とジャーナリストへの研修」というように、「教育」と「研修」という用語を使い分けているところにも注目してほしい。メディア専門職とジャーナリストに対して研修という用語を使っているのは、人権の保障と促進において、こうした職業が果たす役割が大きく、その社会的影響力と責任ゆえである。
 一方、メディア専門職とジャーナリストの研修は、第2段階で重点化された「責務の保持者」と簡単に同列に扱うことができない側面がある。メディアに人権基準を浸透させるという取り組みを、いったい誰が担うのかということは、重要な問題である。国や体制に対して、クリティカルな視点から問題提起を行うジャーナリストは、国や体制から保護されず、また、報道の自由を規制されかねない立場にあるからだ。メディア専門職とジャーナリストの人権研修とが、「上から」実施されるものでないことは言うまでもないが、だとすれば、市民社会の要求(人権基準が報道に浸透することを求める声)や、NGO、国際的ネットワークが果たす役割が大きいであろう。
 興味深いのは、行動計画が「メディア専門職やジャーナリストが、人権を学ぶことができる環境」として、職務を安全に効果的に果たせるよう保障することや、情報の自由、表現や意見の自由を保障する法や政策を求めていることである。ヘイトスピーチに対する法もその中にある。メディア関係者やジャーナリストが人権のための職責を果たすには、「人権の名宛人たる国」が、民主主義の言論を守り、ジャーナリストの安全を保障するという責務を果たすことが不可欠だということになる。
 

 日本の人権法制の限界の中で―一冊の本が果たした役割―

 
 メディア・ジャーナリストと人権、ということを考えるとき、強烈な印象を残した一冊の本のことが頭に浮かぶ。中村一成著『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件
〈ヘイトクライムに抗して〉』(岩波書店, 2014)である。この本は、日本の人権法制の限界の中で、一人のジャーナリストと一冊の本が果たす役割というものを、私たちにつきつける。本書では、京都朝鮮第一初級学校に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)らが3回にわたって押しかけ、街宣行為(ヘイトスピーチ)を繰り返したことに対し、大きな痛みと向き合いながら、裁判に訴えていった学校関係者―保護者、教師、そして子どもたち―の思いや姿を描き出している。京都地裁、大阪高裁とも在特会の行為を人種差別と認定し、損害賠償を命じ、その判決は最高裁で確定した。大阪高等裁判所は判決の中で本書を引用している。
 日本で初めてヘイトスピーチを裁いた判決への強い関心から、本書とともに、ヘイトスピーチに対する海外の取り組みなどを読み、差別禁止法のある国では、加害者とされた側が自分の行為の正当性や、「差別ではない」ことを証明しなければならないが(これを「挙証責任の転換」という)、国内人権機関も、差別禁止法もない日本では、差別をされた側が、繰り返しこれが差別だと言い続け、それを証明しなければならないことを、改めて痛感した。裁判の場で二次被害ともいえる状況に置かれたり、思い出すことによって繰り返し味わう心理的苦しみも、すべて「差別された側」が負う。そんな日本の状況の中で、私にとってはこの本が、裁判へのプロセスに寄り添い、「挙証」の一部を担っているようにも感じられた。ジャーナリストの果たす役割を、改めて考えさせられた。
 ところで、「世界プログラム」第3段階が焦点としている、ジャーナリストの中には、フルタイムの職業ばかりでなく、ソーシャルメディアなどを通じた情報の発信者なども含まれている。在特会もYou Tube等によって、自らの街宣行為を「宣伝」してきたことを考えると、メディア・ジャーナリストの責任とは、専門職だけの話ではない。上記の裁判でもヘイトスピーチを撮影し、ネットで公開したことが、学校への信頼や社会的評価を傷つけたとし、名誉毀損となった。
 また、インターネットの普及により、情報の発信者・受け手の区別はあいまいになり、誰もが「一方的に」情報を発信(「拡散」も発信である)できる時代の中で、表現の自由の意味を再確認する必要がある―表現することは、他者と対話し、言葉をつむぎ、共に社会を築くためにあるのだと。「世界プログラム」第3段階は、書くこと、表現すること、伝えることの意味を私たちに問いかけている。
 
< 国連による人権教育の主な取り組み >
1993                 世界人権会議 ウィーン宣言及び行動計画
1995~2004   人権教育のための国連10年
2005~2009   人権教育のための世界プログラム 第1段階
2005~2014    国連持続可能な開発のための教育(ESD)の10年
2008~2009   人権学習の国際年(2008年12月10日から1年間)
2010~2014   人権教育のための世界プログラム 第2段階
2011                人権教育および研修に関する国連宣言
2015~2019   人権教育のための世界プログラム 第3段階
 
 
注1:人権教育および研修に関する国連宣言の翻訳はヒューライツ大阪のウェブサイトに掲載しています。     https://www.hurights.or.jp/archives/promotion-of-education/post-5.html
注2:「世界プログラム」第3段階(2015-2019)行動計画の翻訳は、国連広報センターのサイトに掲載されています。http://www.unic.or.jp/files/a_hrc_27_28.pdf