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国際人権ひろば No.121(2015年05月発行号)

肌で感じるアジア・太平洋

クウェートからの風 ―クウェート大学留学日記

保道 晴奈(やすみち はるな)
大阪大学外国語学部外国語学科アラビア語専攻

 遠い国へ

 
 日本からクウェートへの直行便はない。2014年9月、初めてのクウェート渡航はタイで乗り継ぎだった。トランジットは12時間と長く、次の便を待ちながら、本当に自分はそこにたどり着けるのかと不安に苛まれた。
 クウェートはそのくらい遠い国なのだと心から思う。
 元々、高校時代にパレスチナ問題を学びたいと思って大学はアラビア語専攻に入った。入学後に漠然と留学を考えるようになったが、パレスチナへの留学は様々な事情が重なり実現しそうもなかった。それなら全額給付の奨学金があり、充実した外国人学生向けのアラビア語コースのあるクウェートは、私にとって未知の世界でもあり、面白いのではないかと思うようになった。
 クウェートと聞いて、どのような国なのか想像できる人が日本にどのくらいいるのだろう。日本でアラビア語を専攻していた私自身も、恥ずかしながらクウェート大学に留学が決まるまでクウェートのことはほとんど知らなかった。産油国でいわゆる資源に依存して国の運営をしている「レンティア国家」であること、そのくらいの知識しか押さえていなかった。
 留学が決まったときも、留学に来てからも、クウェートは危なくないのかと日本人から何度も尋ねられた。湾岸戦争や最近ではイスラーム過激派や「イスラム国」などのイメージを持つ人が多いのか、クウェートもそうだろうと思う人が多いようだ。
 

 クウェートの大学

 
 到着した翌々日にアラビア語の授業が始まった。言われるままに乗った大学のマイクロバスで留学生が授業を受けるランゲージ・センターのあるキャンパスへ向かう。留学生を支援する学生団体の女子学生たちが私たちを迎えてくれ、入学手続きの世話をしてくれた。全身を真っ黒なアバヤという衣服で覆い、髪の毛はもちろん黒いヒジャーブで隠して、更に顔までもニカーブという黒い布で隠している彼女たちの姿に最初はたじろいでしまったが、真面目そうな学生だと思った。留学生はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど世界各国から集まっていた。
 授業のガイダンスを済ませた後、私たちの世話をしてくれたBさんが留学生たちを連れて大学を回ってくれた。思えば、ここで初めてクウェートと出会ったような気がする。ランゲージ・センターにたどり着くまで、緊張していたのか全く周りが見えていなかった。
 ランゲージ・センターのあるクウェート大学シュウェイフ・キャンパスには社会科学部や法学部などの学部が置かれており、広大な敷地を持つ。文学部や教育学部、理学部、工学部、シャリーア(イスラーム法)学部などはそれぞれ別のキャンパスに置かれている。
 Bさんは留学生が利用する施設を回ってくれた。ランゲージ・センターから少し歩いたところにある図書館。蔵書数は日本の大学ほど多くないものの、モスクを想起させる美しい建物で、自習スペースが完備されている。そして、社会科学部・法学部棟のカフェテリア。ここがランゲージ・センター最寄りのカフェテリアだった。Bさんは、男性は上の男性用へ行ってねと言い、女性を女子学生用カフェテリアへ招き入れた。
 カフェテリアにいる女子学生たちは、多くがBさんと同じ全身真っ黒のスタイルだった。そうでない学生も、ほとんどがヒジャーブをしていて、露出の少ない格好をしていた。また、多くがヴィトンやシャネルなど有名ブランドのハンドバッグを持っており、化粧の匂いが立ちこめていた。Bさんはそうでもなかったけれども、クウェートの女性はとにかく化粧が濃くてオシャレだ。日本の地味な女子大生スタイルで、リュックを背負っていた私は、ここでもたじろぐことになってしまった。
 全身真っ黒だけれど持ち物が明らかに高価である女子学生と、石油王のような服装(ディスダーシャ)を着ている多くの男子学生の中で、ただでさえ東アジアの顔立ちで目立つというのに、ヒジャーブで髪の毛を隠さない私はよくじろじろ見られる。だがそれも、秋学期が終わる頃にはすっかり慣れてしまった。
 中級以上の授業は全てアラビア語で行われる。幸か不幸か、クウェートにいながらにして私の先生はエジプト人とシリア人だった。当初は宿題が何か聞き取ることすら覚束なかったが、同級生たちの助けにより今はなんとかついていっている。全世界からアラビア語を学びに集まったこの友人たちは、クウェートという私にとって未知の世界で堂々とあり続ける勇気をくれている気がする。
保通晴奈さん1.jpg
クウェート大学のキャンパスの風景
 

暮らすということ

 
 クウェートでの生活に慣れるにつれ、買い物へ出かけたり友達と遊んだりすることも増えるようになった。
 クウェートシティの中心部にスーク・ムバラキーヤという伝統的な市場があり、ここは私のお気に入りの場所でもある。アバヤやディスダーシャの店が軒を連ねる他、青果市場や魚市場、肉市場もあり、中央のムバラキーヤ広場では時々イベントが行われる。クウェートのナショナルデーにそこへ出かけると、国旗のカラーをあしらった服装の人々で賑わっていた。
 郊外にもいくつかショッピングモールがある。日本のショッピングモールとほとんど変わらない。クウェート最大のショッピングモールのアベニューズにはH&MやZARAなど日本でも有名なブランドのショップが入っている。私も時々アベニューズを訪れるが、いつ行っても本当に人が多い。よく、外国人のお手伝いさんを連れたクウェート人の家族連れを目にする。
 クウェート人の平均所得は日本と比べ物にならないほど高い。言ってしまえば石油収入によるものだ。以前、クウェート人の学生が留学生を招待してホームパーティーを開いてくれたが、家が宮殿のようですっかり恐縮してしまった。クウェートの一般家庭では、お手伝いさんは何人か、そして運転手も雇われているのが普通だ。そういった豊かさも背景にあるのか、気前がよくおおらかなクウェート人が多い。
 一方、クウェートの人口のうち60%が外国籍である。タクシー運転手や大学の清掃員はインド系の移民労働者が多い。ショッピングモールではフィリピン系らしい英語の流暢な女性がよく勤務している。また、エジプトなど他のアラブ諸国の出身者も多い。クウェート大学にもかなりのアラブ人留学生が在籍しており、女子寮にはエジプト人、オマーン人、サウジアラビア人などの学生がいる。
 そして豪華な家が立ち並ぶクウェート人の住宅街を離れて外国人の多い地区に行くと、全く違う景色が広がっている。シリア人の友人の家を訪れたときに見たのは、ガタガタの砂っぽい道路にベージュ色のマンションがいくつも立ち並び、その合間を縫ってケバブなどを売る小さな店が軒を構えるという、女子寮があるクウェート人地区とは全く違った景色だった。
 そのシリア人の友人Mさんはクウェート育ちだ。趣味で日本語を勉強している大学生である。私は彼女の家でご飯をごちそうになった。Mさんは、自分の家はクウェート人の家と違って小さいと言うが、広々としたリビングにアラブ風の装飾が施されたソファが置かれており、居心地の良い空間だった。Mさんのお母さんは私たちに野菜たっぷりのシリア料理を振る舞ってくれた。肉中心のクウェート料理とはまた違った味でとてもおいしかったのだが、たくさん余ってしまった。私たちは一緒に片付けをし、余った料理は保存用の容器に入れた。お母さんは「クウェート人なら残すけど、それはハラーム(イスラームにおいて宗教的に禁止されている行為)よ!」とおっしゃった。私も密かに同じことを思っていた。
保通晴奈さん2.jpg
クウェート最大のショッピングモールのアベニューズ
 

 クウェートの空

 
 豊かすぎるほど豊かなクウェートで、外国人として暮らすということ。
 Mさんのお母さんが「クウェート人の行為にはよくないことがある」と言うように、それは違うのではないかと疑問に思ったり不思議に思ったりすることはいくらでもある。時に、この国の行方について友人ととりとめもなく語り合う。
 クウェートで目に入るもの、手にするもの全てが優しく正しいわけではない。それでも、灼熱の太陽をたたえる雲一つない空の美しさを私が知ったのは、クウェートだった。この空は確かに日本とつながっているのだと思いながら、今日も空を見上げた。

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