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国際人権ひろば No.116(2014年07月発行号)

特集 アセアンの人権保障メカニズムの現状

アセアン政府間人権委員会の可能性と課題 -アジアにおける人権の普遍性の強化か、人権の「地域化」か-

三輪 敦子(みわ あつこ)
(公財)世界人権問題研究センター嘱託研究員

 「設立以来、40年以上にわたり、アセアン(東南アジア諸国連合)は政府間機構として、加盟国の市民の生活が、経済、政治・安全保障、社会文化面で向上するよう常に努力してきた。より一層、アセアンの人々の福祉を保障することを目的として、アセアンは、独自の地域的人権機関を設立することを決定した。これは人権と基本的自由の伸長と保護についてのアセアンの強い意思の表れである」。1
 これは、アセアン政府間人権委員会のHPに掲載されている「ABOUT」つまり組織の概要説明の一部分である。アセアンは、1967年に設立された東南アジアの政府間機構である。加盟国は、原加盟国の5ヵ国から10ヵ国に拡大した2
 良く知られているとおり、アセアンにはマレーシアやシンガポール等、国際的な人権の議論からは距離を置く、あるいは明確に一線を画す立場をとってきた国々が含まれている。そのアセアンに政府間人権委員会が存在するという事実は非常に興味深い。本稿では、まず、(1)アセアン政府間人権委員会の設立の経緯と設立後の活動を説明し、(2)東南アジアという地域において、政府間人権委員会が果たす役割や展望を検討してみたい。
 

 アセアン政府間人権委員会の設立と活動

 
 国際的な人権保障体制のなかで、アセアン政府間人権委員会はどのように位置づけられるのだろうか。
 人権の伸長と保障の推進役となってきたのは国際連合であり、そのことはまず、国連憲章の理念として明示されているが、それをさらに詳細に規定するために、1948年には「世界人権宣言」が採択され、1966年には社会権規約と自由権規約が採択された。また、人種、女性、子ども、障害者等、人権の実現が課題となる諸分野における人権条約が採択されてきた。
 こうした条約を実施する主体は、第一義的には条約の締約国となった各国政府であるが、一方で、地域における人権保障体制の発展が、各国による努力を補完し強化してきた。
 ヨーロッパでは、欧州評議会(Council of Europe)が中心になって地域的人権保障体制が形成されてきた。1950年にはヨーロッパ人権条約が調印され、1998年以降は、個人、国家の両方が申立をおこなうことができるヨーロッパ人権裁判所を通じ体制の整備が図られている。
 南北アメリカの地域的人権保障体制は、米州機構(OAS)を基礎としている。1948年に米州人権宣言、1969年には米州人権条約が採択され、同条約が1978年に発効してからは、人権委員会に加え、米州人権裁判所も設立された。
 アフリカでは、アフリカ連合(AU)を基礎に、1981年に採択されたアフリカ人権憲章に基づいて地域的人権保障体制が整備されてきた。アフリカ人権委員会に加え、2006年には裁判所が設置された。
 このように、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカでは地域的人権機関が設置され、それぞれの地域の歴史的背景を反映した活動を展開してきているが、アジアにおいては、そのような地域的人権機関の設置には困難が多いと考えられてきた。その主な理由としては、①他の地域に比べて幅広い多様性を有した地域であること、②他地域のように基礎となる地域機構が存在しないこと、③人権の保護や伸長に関し積極的ではない態度を表明してきた政府が存在すること等が挙げられる。
 そのような状況のなか、設置されたのが、アセアン政府間人権委員会である。その構想が明らかにされたのは、1993年にウィーンで開催された第2回世界人権会議後に開かれたアセアン外相会合の場であった。それを受け、市民社会は「アセアン人権メカニズムのための市民社会ワーキング・グループ」を設立し、ポジション・ペーパーや地域的人権機関の青写真を提示したが、設立への動きはなかなか具体化しなかった。
 状況を大きく変えるきっかけになったのは、2008年に発効した「アセアン憲章」である。鋭い意見の対立があったものの、アセアンの信頼性をより高めるためには人権機関の設立が不可欠との認識に立ち、アセアン憲章では14条でアセアン人権機関の設置が明記された。ハイレベルパネルによって任務と機能が協議され、構想表明から16年が経過した2009年10月にアセアン政府間人権委員会は誕生した。
 政府間人権委員会という名称が示すとおり、委員は各国政府に指名された10人の委員から構成されており、この点は、政府から独立した個人の資格で活動する他の地域的人権機関の委員と異なっている。各委員の任期は3年間である。設立以来、2014年4月までの間に15回の会合を開催してきており、2014年6月現在、任務や機能を定めた取決め文書の見直し作業を始めている。2014年4月の会合では、8月の外相会合に提出されるアセアン政府間人権委員会2014年版年次報告の最終案を作成し、2015年度の優先課題・プログラムについて討議した他、ポスト2015に関する協議に対しアセアン政府間人権委員会から意見を提出することについて合意した。
 

 アセアン人権宣言(ASEAN Human Rights Declaration)

 
 アセアン政府間人権委員会の最大の実績に挙げられるのが、アセアン人権宣言の草案作成であろう。委員会が起草したアセアン人権宣言は、2012年11月18日にカンボジアで開催された第21回アセアン首脳会議で採択された。
 アセアン人権宣言は、アジアで最初の地域的な人権宣言という意味では画期的である。しかし、その内容には市民社会から懸念が表明されている。まず、「人は他の個人、地域、社会に対して責任を有しており、従って人権と基本的自由は、関連する義務の遂行とバランスがとれる形で享受されなければならない」(6条)としており、義務と関連づける形で人権が規定されている。また、全ての人権は普遍的で不可分であると述べつつ、「人権の実現は、様々な政治的、経済的、法的、社会的、文化的、歴史的、宗教的背景を念頭に、地域と国家の文脈のなかで考慮されなければいけない」(7条)と規定しており、人権の普遍性よりも地域の特殊性を上位に置いているととれる規定が存在する。こうした点については、アムネスティ・インターナショナルが宣言草案には重大な欠陥があるとして宣言採択の延期を呼びかけた他3、宣言採択直後にはNGO61団体が宣言を非難する声明を発表した。またピレイ国連人権高等弁務官は、宣言の起草段階で市民社会との協議がなかったことについて懸念を表明した4
 

 アセアン政府間人権委員会の課題と展望

 
 アセアン政府間人権委員会の歴史と活動を概観してきたが、「政府が主体である人権機関」としての委員会の課題が、アセアン人権宣言の内容となって顕在化しているように思える点については懸念を感じざるを得ない。「どの世界地図にも載っていない小さなところ」で、「すべての男性、女性および子どもが平等な正義と機会と尊厳を確認できる状況」をつくりだすことに宣言と委員会が貢献できるのか、注意深く見守る必要がある。
 人権の保障を求める国際的なメッセージが内政干渉だと捉えられたり、また義務や地域社会の権利とのバランスの上でのみ人権が実現するという考えが抑圧的な力を発揮しないために、どのような取り組みが有効なのだろうか。効果的な処方箋を提示することは簡単ではないが、各国内での市民社会の活動、さらに国を超えた国際的なレベルでのネットワークと協力が重要な要素となることは間違いないだろう。非常事態のような理由を口実に、表現の自由や集会・結社の自由に制限が加えられる場合には、国際的なネットワークがどれだけ実質的な力を発揮できるかは楽観できないが、しかし、インターネットが普及した現代の社会では、そうした状況でこそ、国際的なネットワークが助けになるとも考えられる。そのためには、アセアン各国の市民社会をつなぐNGOやネットワークの存在が効果的に機能するのではないだろうか。
 そうした点に留意しつつ、それぞれの国内における人権保障に向けて、市民社会と国家をつなぐ役割をアセアン政府間人権委員会が果たすことができるなら、ともすれば特殊性と独自性が強調されるアジアにおける人権の議論に対して重要な貢献ができるのではないかと思う。そのことを通じて、人権の「地域化」の強化ではなく、文化の多様性を踏まえた人権の普遍性の理解と保障につながることが望まれる。
 
 
 
 
1: ASEAN Intergovernmental Commission on Human Rightsのサイト(http://aichr.org/)より。
2: 原加盟国であるインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5ヵ国に、ブルネイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムの5ヵ国が加わった。
3: http://www.amnesty.or.jp/news/2012/1113_3619.html
4: http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-550280.html(ウェブサイトはいずれも2014年5月31日検索)