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国際人権ひろば No.112(2013年11月発行号)

特集 中国延辺スタディツアー

国境の町「図們」から、旧間島の中心地、「龍井」へ

伊藤 公雄(いとう きみお)
京都大学(文学研究科・文学部)教授

 「あっち側に越境したくなっちゃいました」。参加者の一人が言った。「え、例の『地上の楽園』側へ、ですか」とぼくはたずねた。「そうですよ」と真顔で答えてくれる。9月1日の(中朝国境の)図們江「いかだクルーズ」の時のことだった。
 参加した多くの方の感想も「川幅がこんなに狭かったとは来て見てはじめてわかった」というものだった。いかだは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の岸辺、数メートルのところまで接近したため、確かに、ちょっと飛べば「越境」は、それほどむずかしいことではない。人為的に作られた「国境」というものの奇妙さを味わったひとときだった。
 

 中国朝鮮族非物質文化遺産展覧館

 
 このいかだクルーズがあった延辺スタディーツアーの「初日」は、朝食後、8時半のホテルのロビーでの集合から始まった。今回のコーディーター役の地元出身の蔡春花さん、ガイド役の延辺大学で学ぶ日本人留学生の宮崎洋一さんの紹介の後で、一路、図們へ。途中で花を全車に飾った高級車とすれ違う。蔡さんが、「あれはたぶん結婚式の車です」と、ご自分の結婚式の様子も含めてこの地の結婚式の様子を詳しく説明してくれた。現地の図們江広場に到着すると、同じような花飾りの車と民族衣装の大人や子どもたちが大勢いる。「あれは、還暦祝いだと思う」と蔡さん。でもよく見ると、もうちょっと年上の男性が祝福を受けている様子だった。「古希かな」という声も。
 この日の最初の訪問先は、この公園に設置されている「中国朝鮮族非物質(非物質とは変な言葉だと思ったが、後で、日本語だといわゆる「無形」にあたる言葉だな、と気がついた)文化遺産展覧館」。延辺朝鮮族の生活文化史が、鮮やかに再現されていて、ツアーの入門編としてもぴったりだった。
 続いて、冒頭のいかだクルーズへ。当初「オプション企画」だったこの図們江クルーズには、当然のことながら参加者全員が希望。乗ってみたら川風も吹いていて快適で気持ちがいい。魅力的な乗船ツアーだと思う。それにしても、中朝国境を見学することが「観光資源」になるなんて、いったいどういう時代状況が生み出したことなんだろうと、ふと考えてしまった。
 
中朝国境の川、豆満江でのいかだクルーズp5-1.jpg
中朝国境の川、豆満江でのいかだクルーズ
 

 尹東柱ゆかりの地、龍井へ

 
 その後は、豪華な中華料理を食べた後、一路、龍井の「日本帝国時代」の旧間島日本国総領事館遺跡跡地へ向かった。当初、警備員に入場を止められるのでは、という心配もあったが、結局、門衛も居ないということで、スムーズに(というか勝手に無断で)入場。京都大学の時計台を小さくしたような設計の旧領事館(戦前の帝国日本は、いわゆる「外地」の建物には、ものすごく格好をつけているといつも感じる。この建物もしゃれた洋風建築だ)や隣に配置されている総領事官舎跡(こちらも瀟洒な平屋つくり)などを見学した。その後、建物の後ろ、地下にある日本の間島における弾圧・抑圧のミニ博物館「間島日本総領事館・罪証展覧」に向かった。蔡さんによれば、以前は、学校の見学などもあったようだが、現在は、さびた鍵がかかっている。見られなくて、ちょっと残念だった。
 続いて、龍井に来た目的のひとつ、尹東柱ゆかりの地、大成中学校に。尹さんの詩碑や、当時の学校風景とともに、延辺朝鮮族の移入期からの歴史展示なども展示してあった。1920年代からの間島地域の抗日運動やマルクス主義の導入などが、写真で展示されている。ここが、いわゆる間島パルチザンの地域だったことを、今さらながら思い出した。
 当初予定されていた韓国の歌曲「先駆者」の歌詞に登場する一松亭(イルソンジョン)の見学は、交通事情などもあり、たどり着けない見込みだということで、バスで最接近できるところから眺めるだけに終わった。一松亭への遠足(予定通りなら30分か40分の「山登り」と見学ということだった)の中止により、予定より早く延吉市内の餃子屋さんに到着。おいしい水餃子を食べながら、談笑。ぼくは、今回定番となった「どこでもワイン」路線を確立。参加者の池内さんと「共謀」して、ちょっと甘い中国産ワインを注文して、飲みつつ食べ続けた。
 
旧間島日本総領事館(現、龍井市庁)p5-2.jpg
旧間島日本総領事館(現、龍井市庁)
 

 蔡さんのご自宅訪問

 
 この日の最後は、案内と通訳を引受けてくれた蔡さんのご自宅訪問(蔡さんは現在は大阪在住)。部屋に飾ってあった修正されたご両親の還暦写真(写真があまりに若いイメージなので、みなご両親の結婚式当時の写真だと思っていた)や、蔡さんご自身の結婚式の写真などを眺めつつ、おいしいお菓子とお茶をいただく。
 蔡さんのご両親は、ちょうどぼくと同世代(お父さんは、ひとつ上で、お母さんとは同い年)、文化大革命時代の「下放」のなかで結ばれたという。その後の、お父さん、お母さんの働き方、特に、「休暇」を申請して、中朝国境越えの「アルバイト」をしたお母さんの話など、生き生きした個人史をうかがった。個人史が民族史とつながって、立体的に見えてきたような気がした。
 現在進行中のグローバル化にともなう人の移動を考えるとき、延辺朝鮮族の歴史と現在は、興味深いさまざまなヒントを与えてくれる。旧(偽)満州国の歴史や、朝鮮半島の歴史とも重ね合わせながら、いろいろ考えさせられることの多い一日だった。