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国際人権ひろば No.102(2012年03月発行号)

特集 人間らしい仕事 ― ディーセント・ワークを考える

シングルマザーにとって「ディーセント・ワーク」とは

社納 葉子(しゃのう ようこ)
しんぐるまざあず・ふぉーらむ・関西

 

働き盛りにキャリア中断を余儀なくされる

 32歳で離婚をした時、私は駆け出しのフリーライターだった。貧乏だったけれども未来に希望を感じていた。元夫は私が働くことにいい顔をせず、私は家族が寝静まった後にこたつで原稿を書いていた。私の仕事を「仕事」として認めていないのをありありと感じ、「私も働いてるんや!」と何度も叫びたい思いにかられた。
 離婚をした時、「これで遠慮なく仕事ができる。がんばって稼ごう」と思った。しかし1年2年と経つうちに、現実は甘くないと思い知る。働いても働いても収入は伸びない。仕事量が増えても収入は横ばい。下手をすると目減りしている。離婚から15年、今の私の率直な感想は「こんなはずじゃなかった」である。
 フリーライターという仕事は少し特殊に思われるかもしれないが、シングルマザーの現実という意味では決して特殊ではない。
 私は23歳で結婚し、24歳で出産した。その後、娘が幼稚園の年長クラスになるまで家事育児に専念し、再び働き始めたのは30歳である。体力も気力もある20代の大半を家庭のなかで過ごしていたのだ。
 これは今でも珍しいことではない。妊娠出産、育児によって女性の社会的キャリアが中断する、いわゆる「M字型カーブ」である。厚生労働省の「平成21年版 働く女性の実情」によると、M字型の底の部分は30~34歳で67.2%で、25~29歳の77.2%に比べると10%も減っている。近年、M字型の底が上昇する傾向にはある。しかし育児に「配慮」した配置転換や正規雇用から非正規雇用への切り替えなど数字に表れないキャリア中断も少なくなく、女性の経済的自立や社会活動にとって「家庭をもつこと」「子どもを産み育てること」が大きな負担であることに変わりはない。仕事を手放した母親は経済的自立を失い、どうにか仕事を続ける母親も仕事と育児の両立に大きなプレッシャーとストレスを抱えながら綱渡りのような日々を過ごしているのである。
 

「女」「子連れ」「キャリアなし」の三重苦を背負うシングルマザー

 さて、ディーセント・ワークである。厚生労働省のホームページによると、ディーセント・ワークとは「働きがいのある人間らしい仕事」ということである。そして「我が国としては、ディーセント・ワークを以下のように整理している」として、こうまとめている。
(1)働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること
(2)労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること
(3)家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティネットが確保され、自己の鍛錬もできること
(4)公正な扱い、男女平等な扱いを受けること
といった願望が集大成されたものである。
 
 「願望が集大成されたものである」とはまたえらく他人行儀な表現ではないか。「願望」とは誰の願望なのか。「我が国」の逃げ腰が読み取れて情けない。
 嫌みはともかく、シングルマザーとしてディーセント・ワークを語る前に強調しておきたいのが、この国における根強い女性差別の実態である。冒頭に長々と個人的経験を書いたのはそのためだ。
 結婚を「入籍」と表現し、男性の姓になることを選ぶ女性が圧倒的多数であることの延長線上に、家事や育児の大半を女性が担っている現実がある。家族の顔色や都合に合わせて働くことを求められるなかで、キャリアの積み重ねを断念する、あるいは経済的自立を手放さざるを得ない女性は少なくない。「家庭」「育児」を優先させた果てにシングルマザーとなった時、その女性は「女」「子連れ」「キャリアなし」という三重苦をずっしりと背負わされ、「さあ、がんばれよ」と社会に放り出される。その時点ですでに労働者として「足下を見られる立場」なのである。
 女であることが労働者として不利なことは男女の賃金格差にはっきりと表れている。男女雇用均等法の施行から26年が過ぎた今も、女性の賃金は男性の約7割である。近年は縮小傾向にあったが、2010年は前年に比べ0.5ポイント格差が拡大した(厚労省調べ)。
 厚労省の研究会は「仕事と家庭との両立が困難な働き方を前提とした制度設計で、採用や配置で男女差が生まれ、賃金格差につながっている」と分析している(2012年2月17日付 東京新聞)が、その背景には家事育児といったアンペイドワークを含めた女性の労働を「価値のないもの」として貶め、買い叩く男性中心社会が存在する。ここでいう「男性」とは「健康で家事育児に時間をとられない」という条件つきである。
 

月20万円を稼ぐために怪我も有給もスルー

 私は3年前からファストフード店の厨房で、週2~3日働いている。
 初出勤した日、先輩の女性からいきなり「ほかにも仕事してるの? 母子家庭?」と訊かれた時には驚いた。「なんでわかるんですか?」と問い返すと、「母子家庭の人はよう働くから。うちもやねん」という返事だった。
 3人の子どもを育てている彼女は、パートとしては最高位のマネージャーになったうえに賃金が割増しになる深夜勤務を選んでいる。深夜1時に自転車で出勤し、朝9時まで働く。そのため夜7時には就寝する。休憩時間には自宅に戻り、洗濯物を干し、子どもの弁当をつくる。
 月20万円の生活費を稼ぐために彼女がしなければならないのは、20万円分の時間を働くことだけではすまない。たとえば、ズボンの裾をめくってふくらはぎを見せてくれたことがある。ざっくりとえぐれた傷があった。マシンを分解洗浄する作業で怪我をしたが医者にはかからず、自分で消毒してすませた。労災申請どころか、怪我をしたことすら店長には報告していない。言えば「だからどうしろと?」とばかりに機嫌が悪くなるからと彼女は説明した。
 また、子どもの学校行事などで休みをとりたいと思っても、有給は決してとらないという。一度だけ有給をとりたいと申し出たことがあったが、露骨にイヤな顔をされ、その後しばらくはあきらかにシフトを減らされた。「権利やからと有給なんかとると、使いにくい人間やと判断されるねん。だからもう絶対に有給なんかとれへん」。
 そうやって「店(会社)にとって使いやすい(都合のいい)人間ですよ」とアピールし続けなければ、簡単に時給が安く体力のある学生アルバイトにシフトを奪われてしまう。
 言うまでもなく、奪っているのは学生アルバイトではなく会社だ。しかし労働の現場では、働く者同士が対立させられる。最低賃金で働く高校生が、「あのおばはんのほうが高い時給もらってるのに、なんで俺らばっかりきつい仕事させられるねん」と60代のパート女性(ちなみに彼女も独立した子どもをもつシングルマザーである)の陰口をたたくといったふうに。
 先の女性マネージャーは陰口をたたかれないよう、そして何より月20万の収入を確保するため、誰よりも率先して力仕事、汚れ仕事を引き受けてきた。しかし「ここは若い人の職場。これから体がきつくなる一方やから潮時を考えないと」と、昨年からスーパーで在庫管理のパートをかけもちで始めた。数年かけて軸足をそちらに移していく心づもりだと教えてくれた。
 

普通に働いて普通に生活したいだけ

 多くのシングルマザーにとって「働きがいのある人間らしい仕事」など、絵に描いた餅にすぎない。本物の餅が目の前にあったとしても、手を伸ばせない有形無形のプレッシャーがある。まずその構造に切りこむべきなのだが、産業界の反発に政治は常にあっさりと屈してしまう。
 そもそも「働きがい」とは何なのか。「自己実現」「やりがい」などと口当たりのいい言葉ではごまかされない。「普通に働いて、普通に生活でき、普通に自分の楽しみをもてる」。これに尽きる。「私たちの労働を労働として認め、きっちり金を払え」ということだ。当事者団体として政治を監視しながら、生活や労働の現場から声を挙げていきたい。