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国際人権ひろば No.97(2011年05月発行号)

特集 企業と人権を考える Part1

「企業と人権」へのアプローチ

白石  理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

 
 企業が人権を尊重すべきであるとする話でよく聞くことがある。「これからは、企業の生き残りのために人権に配慮しなければならない」とか、「グローバル化が進行する世界で競争に勝ち抜くためには人権尊重を掲げる必要がある」とか。他方、「人権は社会福祉の分野のことではないか。利益を上げることを第一とする企業にとって、人権を経営に取り入れることでどんな益があるのか、理論ではなく実際の効用を説明願いたい」という声も聞かれる。

人権尊重を前提とした「企業と人権」

 実は、人権を企業の生き残りのために取り入れようとするのも、人権は企業にとって余計なものと考えるのも、突き詰めていけば根は同じ。「企業第一」、「業績第一」、「人権は役に立つ限り使いましょう」ということではないだろうか。
 「人を大切にする」こと、「人権を尊重する」ことには何の条件も付かない。人権は、何時でも、どこでも、誰にでも 認められるはずである。この前提が認められない場合には、「企業と人権」の議論は人権有用(あるいは無用)論に終わってしまう。
 人権は世界中の全ての人に認められ、そして企業は社会の一員として人権を無視してはならないということである。人権は、企業の都合によって大切にされたり、無視されたりしてよいというものではない。人権の側からいえば、競争に勝つために人権を尊重してはいられない企業は、競争に負ける以外に選択の余地はないということになる。

企業性悪説

 企業が人権を侵害する事例を挙げて企業を批判し糾弾する側からは、企業を監視し、その活動を規制しない限り人権侵害が起こる。これは、利益第一という企業のあり方が原因であるとする。企業性悪説である。これまで、企業が、自らの企業活動によって人権を侵害することになったり、企業の海外展開に際して受け入れ国の政府や現地子会社、関連会社などを通して人権侵害に関わった例は枚挙にいとまがない。したがって企業に対する不信には、それなりの理由がある。企業を監視し、企業活動を規制し、必要ならば、制裁や処罰を視野に入れた企業の責任を明確にする規範を求める動きにはこのような背景があった。

企業の社会的責任(CSR)

 この10年あまり、企業の社会的責任(CorporateSocialResponsibility=CSR)がさかんに語られるようになった。これは企業の社会性に注目する考えである。そこでは、環境や労働に関して企業が持つ責任と共に、企業と人権の関わりについても光を当てる。
 現実を見てみよう。これまで多くの企業は、とりたてて人権に配慮する心配はしないでもよかったという。経営者も株主も一般社会も、企業には人権を尊重する責任があるなどとは考えたこともなかった。人権尊重は、憲法に謳われているもので、責任は国にある。法律に定めがない限り、法的な義務が企業にあるわけではない。企業が海外に事業展開するときには、安い労働力と法的規制のないあるいは緩いところを選ぶという。郷に入っては郷に従え、現地企業の慣行に倣っていれば問題はないと考えた。「人を大切に」というのも「現地なみ」でよかった。
 多国籍企業の主に開発途上国での活動による好ましくない影響が注目を集めるようになった1970年代の後半、多国籍企業の活動を規制しようとする試みが始まった。OECD(経済協力開発機構)の「多国籍企業ガイドライン」、ILO(国際労働機関)の「多国籍企業および社会政策に関する三者宣言」、そして失敗に終わった国連多国籍企業委員会の「多国籍企業行動規範」起草の試みなどである。
 2000年には、OECDの「多国籍企業ガイドライン」が改訂され、国連の「グローバル・コンパクト」が出来た。
 ともに人権に言及し、企業が人権を尊重することを求めている。但し、両者とも企業の自主的な行動によって問題の公正な解決を期待するものであり、強制力を持つ規制を目指したものではない。これに対して国連人権委員会(今の人権理事会の前身)のもとにあった人権促進と保護のための小委員会(人権小委員会)が2003年に採択し、人権委員会に送った「人権に関する多国籍企業およびその他の企業の責任規範」草案では、企業の責任を明確にし、企業活動の監視をも想定した規定が盛り込まれていた。これには国際法上の根拠が乏しいとしてその妥当性を問題視し、企業団体やいくつかの国がその採択に強硬に反対した。結局人権委員会では決議保留になり採択までには至らなかった。対案として人権委員会は2005年、「人権と多国籍企業およびその他の企業の課題に関する国連事務総長特別代表」の任命を決め、事務総長はジョン・ラギーをこれに指名した。

ラギーの枠組み提案

 ラギーは2006年以来、毎年人権理事会に報告書を提出してきた。そこでは「人権に関する多国籍企業およびその他の企業の責任規範」草案とは異なるアプローチで「企業と人権」の課題を取り上げてきた。すなわち、国際法上の国の責任と並ぶ企業の責任を明確にして企業活動に規制を加え、制裁をも視野に入れるという試みではなかったのである。
 ラギーは、2008年の報告書(A/HRC/8/5)で「企業と人権」のための枠組みとして「保護、尊重、救済」を提唱し、これが一躍注目を浴びた。ラギーの枠組みは、まず、人権を護り、人権侵害を防ぎ、人権を積極的に促進し、人権侵害被害者に対しては救済の途を整えることについて、第一義的、法的責務は国にあること、つぎに、企業は人権を尊重する責任があること、そのために企業はその企業活動によって人権侵害を引き起こさないように適切な注意(デュー・ディリジェンス)を払い、その企業が持つ影響力の範囲で人権侵害を防ぎ、人権侵害に加担しないようにする責任があるとする。
 ラギーは、人権を守り、人権侵害を防止し、積極的に人権を実現することについて、国際法では国が第一義的な責任を持つとする。これと企業の「人権を尊重する責任」とは同列に議論されてはいない。企業活動を監視するという側面よりも企業の自発的な行動を促すというのである。その後の報告書では、ラギーはこの枠組みをどのように実践できるかに踏み込んでいる。

ISO26000

 このアプローチを大幅に取り入れて組織の人権尊重を中心課題の一つとしたのが、2010年11月に発行したISO26000「組織の社会的責任」のガイドラインである。これは、これまで国際標準化機構(ISO)でつくられてきた多くの認証規格とは異なり、ガイドライン規格とされている。第三者機関による認定は想定されておらず、適切な履行がされているかどうかの検証も考えられていない。あくまでも自主的な履行に任されているのである。ここで注目したいのは、ISO26000ができるまで、作業部会には多様な利害関係者(ステークホルダー)が参加し、議論を重ねるマルチ・ステークホルダー・プロセスがとられたということである。政府、産業界、労働界、消費者、NGO、有識者等が、対等の立場で多数決ではなくコンセンサスに至るまで議論をし、また開発途上国からの積極的な参加も図られたという。そのために、最終的に合意されたガイドライン文書は、広く支持されるものとなった。その意味では、企業を含む多くの組織にとって、すでに国際的な社会的責任の基準となっている。
 ISO26000は、企業ばかりではなく 政府組織、自治体組織、教育関係組織、労働団体、経営者団体、非政府組織など広く社会にある組織を視野に入れて作られているが、企業が主な対象と考えてよい。この国際基準がこれからどういう形で現実に効果を生んでいくかを見るのにはまだ時が必要であるが、日本経済団体連合会の「企業行動憲章」2010年版にも人権尊重が部分的にではあるが取り入れられており、また2011年に予定されているOECDの「多国籍企業ガイドライン」の再改定版では、人権に対する言及が大幅に増えると言われている。
 このように、企業の社会的責任、行動規範などのガイドラインとして出来上がったものに関しては、広くまた一般的な合意がある一方で、実際に企業が自主的、かつ積極的にそれぞれの企業活動をガイドラインに沿ったものにしていくというところがこれからの課題である。
 多くの企業では、CSR報告書などを発行しながら、ISO26000の中心課題の一つである人権尊重については、まだ理解が十分ではないところも見受けられる。これらの企業と協力して、企業とその経営者、そして従業員の人権に対する理解を深め、人権尊重を企業方針として確立し、企業活動をそれにそったものにしていくために、何を、どのようにしていけばよいかが今後の課題である。

社会づくりのパートナーとしての企業

 企業は社会で重要な役割を持っている。企業が製造し供給する物や提供するサービスがなければ、今の社会は成り立たない。当然、企業の影響力は大きいものとなる。したがって、企業は利益を追求しながら社会のルールに従うことを求められる。単に企業行動を規制する法律を守っていればよいということではない。その社会のルールは「企業の社会的責任」、「人権を尊重する責任」という形で具体化されてきた。そこでは、企業は決して人権を侵害することをいとわない組織ではなく、よりよい社会を作っていくための力強いパートナーとなるように期待されているのである。