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国際人権ひろば No.89(2010年01月発行号)

「外国籍市民の不安全と闘う―日韓協力の可能性」

武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで)

「闘う」ということの意味

 大阪や中部地方が多文化共生に向かって先進的な役割を担う地域となることは大事である。しかし、地域は、国家の中にはめ込まれていることから、日本という国の中に地域があるという点で、まず国という観点から話をしたい。
 第二次大戦後、日本の侵略や植民地主義への反省の上に日本国憲法ができた。その前文には、「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持しようと決意した」と述べ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言している。
 それをもとにし、2003年に国連の人間安全保障委員会の最終報告書が出て「人間の安全保障」ということが世界的に提唱されはじめた。日本政府は、外交あるいは政治の中心に「人間の安全保障」を据えるといってきた。それは要するに人間が平和に生きることを保障することであり、その権利をどう実際にあてはめるかということだ。日本の外交ではそういうことを大事にしているが、日本の中で生きている人々と、特に外国籍の市民が、平和に生きる権利、人間として安全に暮らす権利がいま侵されている。そういう状態をなくしていこうとする取り組みが、いろんな地域、特に外国人の多い中部地方や大阪が、その闘いの現場になっている。そこで、韓国と日本の国、あるいは国民がどのようにしてこの「不安全」と闘うことができるのか考えてみたい。

エスノクラシーの現実と植民地主義の克服

最初に、自民族中心の民主主義、つまりエスノクラシーの現実について述べる。日本の場合、エスノクラシーの問題は深刻であると思う。1980年代後半、私が国連大学の副学長をしていた時に、南アフリカはまだアパルトヘイトが続いていた。国連大学の会議で、先住民族の権利に関するメキシコの研究者が、「エスノクラシーはなくさなければいけない」という趣旨の意見を言った。それを受けて、私は南アフリカやイスラエルの例を出し、「自分の民族のことだけを考えるのはいけない」と賛同した。すると、彼は笑って、「そうはいうが、南アフリカに次いで、自民族中心主義の民主主義を実行しているのは日本ではないか。いま、あなたの国のことを批判しているのに、平気な顔でそのようなことをいうのは困る」と返されたのである。
 それ以来、私は、日本では民主主義はあるが自民族中心であり、選挙も日本人による日本人のための民主主義として行われており、外国籍市民のことはあまり考えられてこなかったとみるようになった。そもそも日本は侵略や植民地化したことを反省して、平和に生きる権利を大事にしているはずだ。日本国籍を持つ人の人権だけを守るのは間違っていると思う。
 外国籍市民の不安全と闘うということは、新しい形の植民地主義と闘うことであると考えている。なぜなら、国と国との関係での植民地は明確であるが 現在のグローバル化した世界では、国内での植民地化、地域間の植民地化や、そこに住む一部の人たちが他のマイノリティを差別したり、搾取したりするのが新しい形の植民地主義である。

「多文化共生」を問う

なぜグローバル規模での移住が起こっているのかをよく考えると、移住しなければ自分の国では家族や親族が平和に暮らせないからだ。仕送りをすることで、やっと人間らしい暮らしが実現できるということが移住の大きな動機になっている。さらに問題は、自分の国において平和で安全に豊かに生きることができなくて移住した人が、やっとたどり着いた移住先で、場合によっては不法な移住者になってしまっていることだ。
 そうしたなか、日本の市民や自治体は頑張っている。外国籍市民の子どもたちが在籍する学校の教員も、その子どもたちが、日本人の子どもたちと同じように教育を受けられるよう取り組んでいる。しかし、今の教育基本法では、日本の学校は、日本人らしく日本のために尽くすことができるよう教育することになっている。それでも、外国籍の子どもたちがいる学校では、外国籍の子どもの立場を配慮した教育に努めようとしている教員が多くいる。
 多文化共生とは何かというと、国で言われていることと地方レベルでいろいろ取り組まれていることの間にはかなりの違いがある。しかし違いがあっていい。なぜなら、教育基本法に基づいたような多文化共生が地方で実践されると、日本はもっともひどい自民族中心の民主主義を「多文化共生」という仮面の下で進めざるをえないことになる。

多文化共生と移住者のアイデンティティ

結局、多文化共生というときの多文化主義とは何かを考えると、私たち日本人あるいは韓国人が決めることでなく、移住してくる人たち、場合によっては、日本人と結婚した女性たちが、自分たちがどういう風に日本で、あるいは韓国で暮らしたいのかをまず出発点として尊重すべきだ。要するに多文化共生の主体は、移住者あるいは外国籍市民であり、その人たちが考えているよりよい共生、つまり強く規制されるのではなく、本当に仲良く生きる共生を考えていく必要がある。
 そのときにアイデンティティの問題が重要になる。共生するといえば、とにかく日本語を話し、日本文化を理解し、日本に溶け込むこと、つまり、日本のアイデンティティをある程度持つことを前提にしている。これは、あからさまな同化を和らげて多文化共生をするという考え方であるが、けっこうこれが蔓延しているようだ。
 国際結婚をしたフィリピンの母親たちと話す機会がある。その母親たちは、子どもに日本語も教えたいし、タガログ語も教えたい。自分の母国のアイデンティティも失わないで、日本のアイデンティティも持たせたい。しかし、実際にはタガログ語の教育をするのは難しいという。
 一方、母親たちのなかには、辛かったフィリピンでの生活のことは忘れたいけれども、かといって日本社会にもうまく入っていけないという人たちがいる。そのような状態は相当苦痛である。場合によっては精神的な安定が失われてしまう。あるいは、日本語は絶対に勉強しないで、夫や子どもとも英語のみで話すという人たちがいる。
 しかし、それでは、子どもと夫、あるいは夫の家族との関係がうまくいかない。やはり日本のこともある程度理解しなければならない。逆の場合は、日本語を一生懸命習い、日本人に溶け込み、子どもにもタガログ語を絶対にしゃべらせないし、自分も話さない。
 結局、持続可能な多文化共生というのは、自分の国のアイデンティティも守るし、移住でやって来た国のアイデンティティも身につけようとすることである。

在日コリアンと「ニューカマー」の人権確立をめざしたネットワークを

 これまで日本の移住者に対する国の政策も含めて、在日韓コリアン、いわゆる「オールドカマー」とどうつきあうかということで移住の問題が議論されてきた。日本の朝鮮半島における植民地主義という負の歴史を乗り越えることができたら、持続可能な多文化共生の国に近づくと思う。同時に、それぞれが自分であり続けることを大事にしないと、理屈だけで「多文化」だといっても仕方がない。
 被差別部落出身者、アイヌ民族、沖縄の人々などいろんなマイノリティと一緒になって本当の意味での多文化主義というものを求めていく必要がある。新渡日の外国人、いわゆる「ニューカマー」自身、あるいは「オールドカマー」自身が中心になって、それぞれが固有のコミュニティを作り、それがうまくネットワークを形成して、共に生きていくことが、持続可能な多文化共生である。
 それは、無国籍的なコスモポリタンではなく、それぞれのアイデンティティを大切にするような地球民主主義を作っていく。それを実現するという目的が、日韓協力の課題のひとつになることを期待する。